桐谷美玲の学歴と経歴|出身大学高校(フェリス女学院大・千葉東高校)や中学校の偏差値と学生時代のかわいい画像フェリスなの?
人気女優の桐谷美玲さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。超進学校に通学しながら女優やファッションモデルとしてデビューした高校時代など、学生時代のエピソードも併せてご紹介します
桐谷美玲(きりたに みれい)
1989年12月16日生
身長164㎝
血液型はA型
千葉県出身の女優、ファッションモデル
本名は松岡さや紗(さやさ)
以下では桐谷美玲さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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桐谷美玲の学歴まとめ
出身大学:フェリス女学院大学 文学部
出身高校:千葉県立千葉東高校
出身中学校:高槻市立第二中学校→市原市立国分台中学校
出身小学校:高槻市立芥川小学校
桐谷美玲の学歴~出身大学(フェリス女学院大学)の詳細
出身大学:フェリス女学院大学 文学部コミュニケーション学科 偏差値47(やや容易)
桐谷美玲さんは高校卒業後は、「お嬢様大学」で知られるフェリス女子大学に進学しています。
後述するように桐谷さんは「超」のつく進学校に通っていたことからレベル的に物足りないようにも思われますが、高校時代には既に芸能活動をバリバリとやっていたことを考えると、大学に進学したのは大したものとも思えます。
大学ではコミュニケーション学科に在籍して、メディア論や心理学、言語学を学んでいます。
ちなみに桐谷さんは高校時代に芸能界入りしていますが、その際に父親と大学に進学することを約束しています。
またこの学科を選んだのは、仕事にとってもプラスになると考えたからでした。
桐谷さんは大学在学中のインタビューで、大学生活について次のように述べています。
「もう、そのまんまですよ。本当に仲いい友達とご飯食べて、講義受けながら途中で居眠りしてしまったり…。他愛のないおしゃべりをして楽しんだり、通信ゲームして楽しんだり。あと学校帰りにみんなでご飯食べに行ったりとか、プリクラを撮りに行ったり、カラオケ行ったりとか。普通に大学生活を楽しんでいます」
また大学時代は桐谷さんは仲良しの4人の友達がおり、かつてバラエティー番組で親友との画像を公開しましたが、みなさん非常にきれいです。
大学時代にはこの仲良し5人組でディズニーランドなどにも行っていますが、誰にも気づかれなかったとのこと。
ただし既に売れっ子の女優だったことから、何と卒業するまでに7年もかかっています。(卒業は2015年3月で既に25歳)
とは言えテレビドラマや映画などで超多忙だったにも関わらず、大学を卒業しているのは立派です。
またフェリス女学院は出席日数に厳しいことで知られていますから、やはり女優業をしながらでは留年もやむを得なかったのでしょう。
さらに大学時代は、仕事が入った際の睡眠時間は3時間程度だったと話しています。
なお桐谷さんは同大を卒業した際には、公式ブログで次のようなコメントを掲載しています。
「本日3/20、わたし、大学を卒業しました。2年間の休学を挟み、入学から7年かかっての卒業です。人より長い時間がかかってしまいましたが、その分多くの出会いがあったし、いい経験ができたと思っています。今年度は、復学して、久しぶりにお仕事と学校の両立でなんだか懐かしく、楽しく、時に苦しく。。笑 でもね、入学したからにはどうしても卒業したかったんだ。もう最後は意地です。笑」
また7年間の大学時代を振り返って、次のようにもコメントしています。
「この7年間はわたしにとってかけがえのない忘れられないものになりました。仕事をしてるだけじゃわからないことを知れた。大量のレポートにもへこたれない体力がついた。この先ずっと付き合っていくだろうなっていう友達ができた。なにより普通の女の子としての時間が楽しかった。途中で諦めないで本当によかったです。」
ちなみに7年かけて大学を卒業した際には、大学の同期やゼミの先生が卒業パーティーを開いてくれることを報告しています。
「同期の友達やゼミの先生が、私のために卒業パーティーを開いてくれるらしいんですよ。まだ時期は決まってないけれど、私のスケジュールに合わせてくれるそうで。すっごく楽しみです」
このことからみても、桐谷さんは大学の友達や先生に好かれていたんでしょうね。
後述しますが高校は超進学校に通学し頭脳明晰なことは明らかな桐谷さんですから、芸能活動さえしていなければ留年はおろか、より難関大学にも合格していたことは間違いなさそうです。
また桐谷さんは大学時代に女優として大きな成長を遂げており、21歳の時に「音楽人」で映画に初主演しています。
(音楽人 出演:佐野和真、徳澤直子、足立梨花、高橋ジョージほか)
同じ年に「女帝 薫子」で連続ドラマに初主演して人気女優の階段を上っていきました。
(女帝薫子 出演:黒川智花、原沙知絵、国生さゆり、有坂来瞳、萬田久子ほか)
他にも大学時代に「NEWS ZERO」に出演してキャスターにも挑戦しています。
また大学時代はファッションモデルとしても高い人気を誇り、22歳から25歳まで専属モデルを務めていた人気ファッション誌「non-no」ではわずか3年間で15回も7表紙を飾っています。
同時期には人気女優の本田翼さんや波留さん、大政絢さんらも専属モデルを務めていることを考えると、いかに桐谷さんの人気が高かったかわかります。
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桐谷美玲の学歴~出身高校(千葉県立千葉東高校)の詳細
出身高校:千葉県 千葉東高校 偏差値70(超難関)
桐谷美玲さんの出身校は千葉県内でも難関公立校として知られる千葉東高校。
数学と英語の重点教育に定評があり、多くの卒業生は東大や京大をはじめとする難関国公立大や早慶上智などの難関私立大学に進学します。
千葉東高校に一般受験で合格した桐谷美玲さんの学力は相当のものでしょう。
そんな超進学校に在籍していた桐谷さんですが、中学生の頃からかなり勉強していたようで、自らをガリ勉だったと語っています。
(高校時代)
また高校進学後も相変わらず勉強に専念しており、彼氏はいないことはもちろん、意外にもさほどモテなかったようです。
容姿は高校時代からずば抜けていましたから、どちらかと言えば当時は異性にさほど興味がなかったようですね。
またお笑いコンビ「オズワルド」の伊藤俊介さんは隣の高校に通学しており、桐谷さんの噂を聞いて友達と自転車で見に行っていますが、あまりの美しさにしり込みして、誰も話しかけられなかったことを明らかにしています。
やはり当時から桐谷さんの美貌は際立っていたようです。
オズワルド伊藤俊介の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値|教師を目指していた!
高校時代はラグビー部のマネージャーを務めていました。
「中学までバトミントンをやっていたんですけど、高校にはバトミントン部がなくて。なんとなく見学に行ったラグビー部のマネージャーの先輩たちがとても面白くて、それで選びました。今でも仲が良いです」
ラグビー部のマネージャー時代は合宿で洗濯したりご飯を作ったりしたことが非常に大変だったとインタビューで話しています。
ちなみに桐谷さんはかなり真面目にマネージャー業務にとり組んでおり、前記の合宿では保護者と協力して1度に100人前もの食事を作っています。
またバレンタインデーの際には他のマネージャー7人で、徹夜で部員全員に渡すチョコレートを作っています。
さらに高校3年生の最後の大会では、部員全員分のミサンガを作って渡したというエピソードも残っています。
なおトーク番組に出演した際には、1学年上のラグビー部員と交際していたことを明らかにしています。
また意外にも高校時代の桐谷さんは食欲旺盛で、1限目か2限目の授業の終わりに「早弁」をしており、ぐみなどのお菓子も机に隠しており、先生に見つからないようにこっそりと食べていたことをラジオ番組に出演した際に明らかにしています。
高校1年生の夏休みに現在の所属事務所からスカウトの電話がかかってきましたが、一度は断っています。
「まさか自分が芸能界に入るとは思ってもいなかったです。スカウトされた時は高校に入ったばかりだったので、普通に大学に行って就職すると思っていました。だからお話しをいただいた時は、やる気はなかったですね」
その際は母親と一緒にスカウトマンに「私を付け回すのはもうやめてください」と言っていますが、事務所人に内山理名さんの撮影現場の見学を持ち掛けられ、そこで内山さんがキラキラと輝いて見えたため、気持ちが傾いたとインタビューで語っています。
「先輩の女優 内山理名さんの撮影を見学させていただいて、“凄くキラキラしているんだなー!”とビックリしたんです。で、こういうチャンスがあるんだったら、とりあえず分からないで断るよりちょっと1年やってみてから決めようと」
その帰り道に母親と相談し父親にも了解をとって、「まずは1年だけ」ということで芸能界に入っています。
ちなみに芸能界入りした際には桐谷さんは本名である「松岡さや紗(さやさ)」での活動を希望していました。
しかし事務所のスタッフが「松岡」の苗字に懸念を示し、当時放映されていたテレビドラマ「野ブタを。プロデュース」で主演の亀梨和也さんの役名の桐谷修二から苗字をいただいて、名前も苗字と組み合わせて響きのいい美玲に決まったとのこと。
そして高校1年生の終わりごろに映画で女優デビューを飾っています。
桐谷さんが高校1年生の時に出演したテレビドラマの動画がありましたのでご紹介いたします。
さすがに女優デビュー直後だけあって演技やセリフ回しも現在とは比較にならないほどぎこちないですが、初々しさは伝わってきますね。
ちなみに動画のドラマは2007年1月に放映された「恋する日曜日 レンズ越しの恋」のようです。
さらに高校2年生の時には連続ドラマに立て続けに起用されるようになって、ファッション誌「SEVENTEEN」の専属モデルにも抜擢されています。
当時の「SEVENTEEN」には榮倉奈々さんや大政絢さん、武井咲さんや波瑠さんも専属モデルを務めていた豪華な世代でしたが、桐谷さんは榮倉さんと並んで同誌でも屈指の人気モデルとなっています。
(武井咲と)
SEVENTEEN時代は表紙の登場回数も34回を誇り、榮倉さんの46回には及びませんが、武井さんが16回、波瑠さんが7回、大政さんが2回だったことを考えると、かなり多くの読者に支持されていたことがわかります。
ただしデビュー当初はかなり緊張して、仕事を楽しむことができなかったとインタビューで話しています。
「最初は何をするにも緊張しちゃって、自分らしさというのも分からないまま、ずっとやっていて、モデルもそうですし、女優の時も特にそうなんですけど。楽しむ事がまったく出来なかったんです」
このように高校時代から芸能活動をしており既に連ドラにも出演していましたから、このような進学校を留年もせずに卒業できたということはかなりの努力をしていたはずです。
ちなみに人気タレントの小島瑠璃子さんはこの高校の後輩(4学年下なので在籍期間は重なっていない)ですが、2018年現在までなぜかこの2人の共演はないようです。
小島瑠璃子の学歴|出身大学高校中学校の偏差値と高校時代や経歴
【主な卒業生】
戸部洋子(アナウンサー)
小島瑠璃子(タレント)
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桐谷美玲の学歴~出身中学校(市原市立国分台中学校・高槻市立第二中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 市原市立国分台中学校 偏差値なし
桐谷美玲さんの出身中学校は、市原市内の公立校の国分台中学校です。
桐谷さんは市原市の出身ですが、父親の仕事の都合で小学校5年生から3年間は大阪の高槻市で過ごしています。
そのため高槻市立第二中学校に入学して、バドミントン部に所属しています。
この中学校のバドミントン部の練習は、かなり厳しかったとインタビューで語っています。
そして中学2年生の時に再び市原市に戻って来て旧友と再会することになりますが、大阪時代に性格が非常に明るくなったことをインタビューで明らかにしています。
「大阪の活気が、私の内なる性格に合っていたらしく、すごく性格が明るくなったねって言われるようになりました。大阪に住んでいなかったら、たぶん芸能生活を送ってなかったと思います」
大阪に住んでいなかったら芸能生活を送っていなかったと言うほどですから、この際の変わりようは大変なものだったようですね。
また関東出身の桐谷さんですがテレビドラマなどでは関西弁が非常に好評なのも、大阪での3年間の生活が活きているようです。
なお桐谷さんは当時の自分については、「田舎に住む普通の女の子だった」とインタビューで述べています。
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桐谷美玲の学歴~出身小学校(高槻市立芥川小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 高槻市立芥川小学校
桐谷美玲さんの出身小学校は、大阪府高槻市の公立校の芥川小学校です。
前述のとおり桐谷さんは市原市の出身で当初は市内の小学校に入学しますが、小学5年生の頃から父親の仕事の都合で大阪の高槻市に転居して、この小学校に転校して卒業しています。
家族構成は両親と弟の4人家族ですが、父親の職業の詳細などは不明です。
母親は薬剤師です。
また両親は箸持ち方や椅子の座り方、礼儀などの躾には厳しかったといいます。
小学生の頃はピアノを習っており、ピアノは芸能活動をはじめる高校1年生の頃まで続けていました。
小学生の頃は将来は花屋か幼稚園の先生になりたいと思っていました。
また小学校時代は極度の人見知りで、知らない人に話しかけられても返事をすることができなかったほどです。
「小さい頃は、とても人見知りするタイプで、人と話すのが苦手でした。クラスでも目立たず、存在感の薄い子でしたね」
小学生時代は「セーラームーン」がお気に入りでしたが、弟がいたことからテレビの戦隊モノもよく見たと語っています。
2014年に桐谷さんは戦隊モノのコメディ映画「女子ーズ」に出演していますが、その際には次のようにコメントしています。
「私自身は子供の頃、セーラームーンになりきって遊んでいましたが、弟がいたので、戦隊モノもよく見てたんです。レッドをできることなんて、たぶんもう二度とないので、嬉しかったですね」
(女子ーズ 左から山本美月、藤井美菜、桐谷美玲、高畑充希、有村架純)
余談ですがこの映画は「女子ーズ」のメンバーが怪人たちから地球を守るという荒唐無稽なコメディ映画ですが、当時の若手女優の有望株を主要キャストに起用しており、錚々たるメンバーが出演していますね。
子供の頃は保育士か薬剤師になりたいと思っていました。
「保育士になりたいと思ったのは、幼稚園で先生が優しくしてくれたのがきっかけです。引っ込み思案だった私の手を引っ張って輪の中に入れてくれて、みんなでお歌を歌ったり、折り紙を折ったりしたのです。それがとても楽しくて、先生のようになりたいと思いました。
薬剤師は、母の影響です。母は薬剤師なのですが、私が病気にかかると、まるでお医者さんのように「この薬を飲みなさい」と指示してくれていました。また、用事があって母の勤め先に行くと、白衣姿でお客さんに薬の説明をしていました。そんな母をかっこいいと思っていて、それが薬剤師になりたいという気持ちにつながりました」
加えて桐谷さんは小学校時代は安室奈美恵さんやSPEEDが大好きで、SPEEDの中では島袋寛子さんのファンでした。
以上が桐谷美玲さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめとなります。
現在も人気の連続ドラマや映画に主演するなど、押しも押されぬ人気女優になりました。
また2014年の「世界で最も美しい顔100人」で8位にランクインされるなど、その美貌は世界的にも認められています。
その一方で桐谷さんはインスタグラムなどでたびたび「すっぴん」を公開しており、やっぱりかわいいなどと好評です。
またプライベートでは俳優の三浦翔平さんと結婚し、公私ともに充実しています。
ちなみに桐谷さんは三浦さんと初対面の時は見た目から「軽い」と思い込んで、苦手なタイプだったとのこと。
「実は私、当時は好意を抱くどころか、彼のことがちょっと苦手だったんです」
しかし2016年のテレビドラマ「好きな人がいること」で共演した際に、三浦さんのイメージが変わったと続けています。
「話すうちに“あれ、思っていたような人じゃないかも”って。単純に優しいし、周りへの気配りも忘れず、いつも現場を盛り上げてくれる。私が困っているときも、いち早く気付いてくれるのが彼だったりもして…。最初のイメージが良くなかったぶん、小さなことが素敵に見えたのかもしれないけど(笑)」
(好きな人がいること)
とは言えこの美男美女のビッグカップルは大きな話題となりました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
桐谷美玲の経歴
1989年(0歳):千葉県で生まれる
2005年(16歳):スカウトされて一度は断るが芸能界入り
2006年(17歳):映画「春の居場所」で女優デビュー
2006年(17歳):「SEVENTEEN」の専属モデルに抜擢
2010年(21歳):「音楽人」にて映画に初主演
2010年(21歳):連続ドラマ「女帝 薫子」に主演出演
2011年(22歳):ファッション誌「non-no」の専属モデルになる
2012年(23歳):報道番組「NEWS ZERO」にてキャスターを務める
2016年(27歳):連続ドラマ「好きな人がいること」に出演
2018年(29歳):三浦翔平と結婚
2020年(31歳):第一子の男児が誕生
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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。
市原市立国分寺台中学校の写真が間違っています。
訂正して下さい。
アメシスト様
こんばんは。確かに写真は国分台西小学校のものでした。
謹んで訂正させていただきました。
ご拝読及びご連絡は感謝申し上げます。
ありがとうございました。