「GLAY」のTERUさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。日本のロック史に一時代を築いたTERUさんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
TERU(テル)
1971年6月8日生
身長169㎝
血液型はO型
北海道函館市出身のミュージシャン
GLAYのボーカル
本名は小橋照彦(こばし てるひこ)
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TERUの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:北海道立函館商業高校
出身中学校:函館市立桔梗中学校
出身小学校:函館市立桔梗小学校
TERUの学歴~出身小学校(函館市立桔梗小学校)の詳細
出身小学校:北海道 函館市立桔梗小学校
TERUさんの出身小学校は、地元函館市内の公立校・函館市立桔梗小学校です。
家族構成は両親と姉、妹の5人家族です(3人きょうだいの真ん中)。
TERUさんの呼び名は両親からは「てる」、姉からは「てっこ」、妹からは「お兄ちゃん」だったとのことです。
また小学生時代の同級生からはや街中の人からも「てっこ」と呼ばれていたことを明かしています。
子供の頃からゲーム好きで、当時のことについてはインタビューで次のように話していました。
「ゲーム機じゃないんですが、ゲームに初めて触れたのはMSXなんですよね。その時はMSXマガジンの最後のほうに書かれていたコードを自分で打ち込んで、カセットテープにデータを録音したりしました。2,3時間ぐらい掛っちゃうんですけどね(笑)。」
TERUさんは小学生の頃から野球をはじめています。
また当時はパソコンがかなり流行っており、小学校の卒業祝いには親にパソコンをねだったとのことです。
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TERUの学歴~出身中学校(函館市立桔梗中学校)の詳細
出身中学校:北海道 函館市立桔梗中学校 偏差値なし
TERUさんの出身中学校は、地元北海道函館市内の公立校・函館市立桔梗(ききょう)中学校です。
TAKUROさんとは小学校・中学時代の同級生です。
中学時代は野球部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
ちなみに運動神経はよく、スポーツは全般的に得意です。
当時は高校に入学後も野球を続けて、高校では甲子園に出場をするという夢を抱きながら野球をおこなっていました。
朝練があるため5時にはグラウンドの整備をはじめて、6時から先輩の球拾いなどをする中で、縦社会の厳しさを学んだといいます。
野球部では礼儀や挨拶も仕込まれたため、社会人になってからも目上の人には礼儀正しく挨拶をする習慣が整っていたとのことです。
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TERUの学歴~出身高校(函館商業高校)・大学の詳細
出身高校:北海道 函館商業高校 偏差値49(やや容易)
TERUさんの出身高校は、道立の共学校の函館商業高校です。
同校は1886年開校の伝統校で、部活動が盛んなことで知られています。
高校時代はサッカー部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
前記のようにTERUさんは中学校時代までは野球に熱中をしており、親からも期待をされていましたが親に内緒でサッカーに転向をしています。
TERUさんはこのことについてはインタビューで次のように話していました。
「『キャプテン翼』の魅力に負けて、途中でサッカーやってしまい、親に内緒で高校時代はサッカーをやっておりましたけども…」
なかなか言い出せずにいたところ、ユニフォームが違うことでバレておりこのことについては次のように話していました。
「ずっと内緒にしてて、試合になるとユニフォーム貰うじゃないですか。うちの母親がユニフォーム洗う時に、『あれ?最近の野球のユニフォームって変わった?』って言われて、『これサッカーのユニフォーム』って言って、『え? サッカーやってるの?』って…そこでバレるっていうね」
高校時代に学内のミスターコンテストで2位になるなど、女子からもかなり人気が高かったようです。
加えて高校時代に「GLAY」のメンバーとなるTAKUROさん(函館稜北高校卒)から、一緒にバンド活動をしようと誘われています。
当時は別のバンドでドラマーとして活動をしており、学内の文化祭やイベントに出演をしていました。
「GLAY」でも当初はドラム担当でしたが、ボーカルがなかなか見つからなかったことから仮にデモテープに歌を入れてきたところTAKUROさんはTERUさんの歌声を聞いて「あなたは明日から歌いなさい。ドラムのバチを捨てなさい」という風に言ったとのことです。
しかしTERUさんはドラムを演奏したかったため、新しいボーカルを連れてきましたがTAKUROさんから却下されました。
以降はTERUさんはボーカルとしてバンド活動をおこなっています。
また高校生の頃には、函館市の老舗ライブハウス「あうん堂」にライブをおこなうために足を運んでいました。
高校3年生の時の修学旅行では、はじめて乗った新幹線の中にタレントや司会者として活躍していた高島忠夫さんがいました。
TERUさんははじめて見た芸能人だったこともあって物珍しそうに、高島さんの前を行ったり来たりしていたというエピソードを明かしています。
また高校3年生の時にはGLAYとは別に「花とゆめ」というバンドを結成し、イベントや文化祭で演奏しています。
【主な卒業生】
瀬川伸(歌手)
大学には進学していない
なおTERUさんは高校卒業後は大学に進学せずに、上京をしています。
そして凸版印刷に就職しながら、音楽活動を継続していました。
ところがバンド活動と仕事の両立ができずに、会社は試用期間開けをもって退職しています。
アマチュア時代だった1990年に、「いかすバンド天国」に出演していますが審査員たちから酷評を受けています。
その後は様々な仕事をしながら音楽活動を継続して、23歳だった1994年にGLAYはメジャーデビューを果たします。
すると1996年にリリースした4枚目シングル「グロリアス」がヒットしています。
以降の活躍は周知のとおりで、バンドはCD売上やライブ動員数などで日本記録を更新するほどの人気バンドに成長していきました。
2002年に「PUFFY」の大貫亜美さんと再婚した際には大きな話題になっています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が「GLAY」TERUさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
「GLAY」は国内でも有数の人気バンドになっています。
また単独でも数多くのミュージシャンとのコラボで知られています。
未だに絶大な人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1988年にTAKUROらとロックバンドGLAYを結成。
1990年に深夜番組「いかすバンド天国」に出場。
1994年にバンドは1stシングル「RAIN」でメジャーデビュー。
1996年の4thシングル「グロリアス」が初のオリコンTOP10ヒットになる(4位)。
以降も「HOWEVER」や「誘惑」、「Winter、again」などの楽曲が軒並み大ヒット。
私生活では1993年にファンの女性と結婚して2人の子供をもうけるも、後に離婚。
2002年にPUFFYの大貫亜美と再婚して、娘がいる。
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