氷室京介の学歴|出身は藤岡高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

ミュージシャンの氷室京介さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「ボウイ」時代に一世を風靡した氷室さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

氷室京介(ひむろ きょうすけ)

 

 

1960107日生

身長非公表

血液型はO

 

群馬県倉賀野町(現在は高崎市)出身のシンガーソングライター

本名は寺西修、愛称は「ヒムロック」

ロックバンド「ボウイ」の元メンバー

 

以下では氷室京介さんの出身校や学生時代のエピソードをご紹介いたします

 

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目次

氷室京介の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:群馬県立藤岡高校

出身中学校:高崎市立倉賀野中学校

出身小学校:高崎市立倉賀野小学校

 

氷室京介の学歴~出身小学校(高崎市立倉賀野小学校)

 

出身小学校:群馬県 高崎市立倉賀野小学校

 

 

 

氷室京介さんの出身小学校は、地元高崎市内の公立校の倉賀野小学校です。

 

家族構成は両親と4歳年上の姉の4人家族です。

 

 

実家は高崎市内で寺西精肉店を営んでいました。

 

父親も元不良でしたが放任主義で氷室さんを育てており、後に何度も警察に捕まった際にもうるさくは言わなかったと話しています。

 

子供の頃から絵を描くの好きでかなりの腕前だったようですが、前記の山田さんにはかなわなかったとのこと。

 

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氷室京介の学歴~出身中学校(高崎市立倉賀野中学校)

 

出身中学校:群馬県 高崎市立倉賀野中学校 偏差値なし

 

 

 

氷室京介さんの出身中学校は、地元高崎市内の公立校の倉賀野(くらがの)中学校です。

 

氷室さんは中学校の入学式に着用していた改造スボン(ボンタン)が上級生の目の留まって不良たちに校舎の裏に呼び出されますが、それを返り討ちにしたことでケンカに目覚めたそうです。

 

そのため中学時代もケンカに明け暮れています。

 

さらに中学校時代はバイクを乗り回していたこともインタビューで語っています。

 

「バイク乗ったり。バイクっていってもゲンチャリ。ダックスっていうのを盗んでくる奴がいて、それを河原でみんなで乗ったり。友達の兄貴の部屋が溜り場になってて、そこで麻雀やったり。年上の奴でも悪い奴に憧れるっていうのがありましたね。ケンカの強い奴とか。悪いことを見つからないようにやるっていうスリルばかり求めていて、大人がやっちゃいけないことをいかに見つからずにやるかってことがすごく楽しかった」

 

中学3年生の時に姉の持っていたエレキギターを手にして、キャロルの解散コンサートを目にしたことがきっかけで氷室さんは音楽に目覚めています。

 

また氷室さんは幼稚園から中学校までは詩や絵の才能を発揮しながらもわずか17歳で早世した山田かまちさんと同級生でした。

 

(山田かまち)

 

後にボウイのベースを務める松井常松さんを含めて、3人の実家が近かったことから、遊び仲間でバンドも一緒にやっていました。

 

群馬県高崎市にある「山田かまち水彩デッサン美術館」には、氷室さんからのメッセージが記された手紙が展示されています。

 

「久し振りにかまち君の作品に触れてみて、改めに才能に気付かされたし、当時は理解出来なかった深い部分も、今は分かるような気がします。これらの作品を見てると、当時がいろいろ懐かしく思い出されてきます。そして、彼の死はやはり残念だった。もし彼が今でも生きているなら、きっと人生の良き相談相手となって今でも・・・・」

 

山田さんは17歳の8月にエレキギターを演奏中に感電死して亡くなってしまいますが、当時高校生だった氷室さんは志賀高原でバンドの合宿をしていましたが、訃報を聞いて着の身着のままで高崎に戻ってきて山田さんの葬儀などに参列しています。

 

ふたりの強い絆も感じられるエピソードです。

 

中学時代もやんちゃだった氷室さんですが、中学3年生の時は高校へ進学するために「とりあえず勉強もやった」と語っています。

 

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氷室京介の学歴~出身高校(藤岡高校)・大学

 

出身高校:群馬県 藤岡高校 偏差値43(現在・容易)

※現在は藤岡中央高校

 

 

 

氷室京介さんの出身高校は、県立の男子校の藤岡高校です。

 

この高校は1897年開校の伝統校でしたが、2006年に高校教育再編整備計画に伴って藤岡中央高校が開校した際に閉校になっています。

 

氷室さんは高校時代はかなりのワルで、毎日のようにケンカに明け暮れていました。

 

(高校時代・右端)

 

この件については氷室さん自身も「(ケンカは)強くはないが、売られたら必ず買う」とのことで、校内でもそれなりのポジションにいたそうです。

 

また週刊現代は高校時代の氷室さんはケンカが強かったことから、地元では「帝王」と呼ばれていたとの噂があることを報道しています。

 

加えて氷室さんと親交のあるミュージシャンの吉川晃司さんも、氷室さんについては「路上のプロ」と語っていますのでかなりやんちゃであったことは間違いなさそうです。

 

さらに後にロックバンド「ボウイ」を共に結成することになる布袋寅泰さんも、バンド結成前に氷室さんに呼び出された際に、殴られるのではと身構えたこともあったとか。

 

これらに加えて、氷室さんは高校時代に暴走族のブラックエンペラーの群馬支部に加入していたとの情報もあります。

 

(高校時代・手前右)

 

いずれにしても氷室さんは高校時代はかなり荒れていたようです。

 

ただし高校時代もバンド活動には熱心に取り組んでおり、後にボウイのメンバーとなる松井常松さんらとバンドを組んでいました。

 

大学には進学していない

 

そして氷室京介さんは高校卒業後は大学に進学していません

 

以降は上京して音楽活動を開始していますが、20歳の時に布袋さんらと「暴威」を結成。

 

 

1986年の4thシングル「BBLUE」がヒットすると、以降は「ONLY YOU」や「マリオネット」などの楽曲もヒットして人気ロックバンドの仲間入りを果たしています。

 

 

しかし人気絶頂だった1988年にバンドは解散して、以降はソロとして活動しています。

 

 

以上が氷室京介さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

人気絶頂時にボウイを解散しソロデビューしていますが、その後も多くのヒット曲をリリースして「伝説のロッカー」になりました。

 

 

またボウイ時代も含めて数えきれないほどのアーティストたちに多大な影響を与え続けています。

 

一時は耳の不調でライブ活動を休止していた時期もありましたが、その後は無事に音楽活動を再開しています。

 

 

偉大な足跡を残してきた人物だけに、今後のさらなる活躍も期待したいところです。

 

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