歌手で俳優の吉川晃司さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は吉川さんは学生時代は水球に打ち込んでおり、高校時代に日本代表になったこともありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコいい画像なども併せてご紹介いたします
吉川晃司(きっかわ こうじ)
1965年8月18日生
身長182㎝
血液型はB型
広島県府中町出身のミュージシャン、俳優
本名同じ
以下では吉川晃司さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
吉川晃司の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:修道高校
出身中学校:修道中学校
出身小学校:府中町立府中小学校
吉川晃司の学歴~出身小学校(府中町立府中小学校)の詳細
出身小学校:広島県 府中町立府中小学校
吉川晃司さんの出身小学校は、地元広島県府中町内の公立校・府中小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
子どもの頃や小学校時代のエピソード
父親は板前だったことから子供の頃から父親から料理を教わっていました。
父親からは何でも一番を目指せと言われていたことから、喧嘩で負けて帰ってきた際には家に入れてもらえないこともあったそうです。
吉川さんは子供の頃に少林寺拳法をやっていました。
また子供の頃から広島カープのファンだったことから、小学校にはカープの帽子をかぶって登校していた時期がありました。
スポンサードリンク
吉川晃司の学歴~出身中学校(修道中学校)の詳細
出身中学校:広島県 修道中学校 偏差値63(やや難関)
吉川晃司さんの出身中学校は、私立の男子校の修道中学校です。
この中学校は出身高校に併設している系列校で、高校には内部進学で進んでいます。
また中学受験でこの中学校に入学しており、高い学力を有していました。
中学時代のエピソード
ちなみにこの中学校を受験した理由については、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べています。
吉川さんは元々サッカーをやっていたそうですが、半ば強制的に水球部に入れられており当時のことについてインタビューで次のように振り返っています。
「もともとサッカーをやっていたけど、暑い日、プールがきらきら輝いて見えてね。誰もいなかったんだよ。男子校だから、海パンなんて落っこってて、そのままはいて水に漬かってたわけよ。そうしたら中高6年制だったから、高校生の主将がちょうど来ちゃって。『お前、何しとんじゃ!』『今日から水泳部!』と」
記事引用:日刊スポーツ
スポンサードリンク
吉川晃司の学歴~出身高校(修道高校)・大学の詳細・水球がすごかった!
出身高校:広島県 修道高校(中退) 偏差値70(超難関)
吉川晃司さんの出身高校は、私立の男子校の修道高校です。
同校は江戸時代からの藩校の流れをくむ名門校で、これまでも政財界に多くの人材を輩出していることで知られています。
政治家の亀井静香さんなども同校の卒業生です。
現在は広島県内でもかなりの進学校でが、吉川さんが在籍した当時から進学校でした。
高校時代は水球部で活躍
高校時代は水球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
水球部では夏場は1日14時間プールに入っていることもあったそうです。
吉川さんは水球部のエースでした。
また世界ジュニア水球選手権の日本代表に選ばれており、2年連続で全国日本高校最優秀選手に選ばれるほどの腕前でした。
最年少の日本代表としてイタリアやエジプト遠征にも参加をしていました。
しかし吉川さんは海外遠征で海外の選手を目の前にして面食らってしまったそうで、インタビューでは次のように話しています。
「外国には100キロの選手がざら。(元プロレスラーで親友の)前田日明さんを背負って水の上で受けるみたいな感じですよ。前田7人はやめてと。想像を超えてますよね」
記事引用:日刊スポーツ
この時に世界との実力差に絶望をして五輪に出られるかもという夢は捨てたそうで、水球の道を諦めています。
ちなみに吉川さんは高校時代は水球に熱中していたこともあって、学校の成績はあまりよくありませんでした。
また高校生の時には並行してアマチュアバンド「はまちバンド」を結成して活動をしており、当時の広島市内では人気バンドでした。
ただしメンバー間の音楽性の違いが顕著で、次第に人気が低迷していきます。
そして佐野元春さんのコンサートを見て衝撃を受けたこともあり、音楽の道で勝負することを決意しています。
高校を中退して上京
そのため水球で慶応大学の特待生の道が開かれたにも関わらず、高校2年生をもって同校を中退し、渡辺プロダクションに入所します。
当初はスカウトされることを待っていましたが、地方都市に住んでいたのでそうそうにスカウトされることはないと考えて、自ら売り込んでいます。
また渡辺プロダクションを選んだのは、当時売れていたアン・ルイスさんの影響でした。
当時の吉川さんは音楽の道よりも五輪の方が難しいと感じたようで、インタビューでは次のように話しています。
「五輪に出られたかも? そんな厚かましい夢はみませんよ。無理だと思ってやめたんです。語弊があるかもしれないけど音楽と五輪のすごい人なら、五輪のほうがすごいと思ってしまうところはあるよね。」
記事引用:日刊スポーツ
音楽の道に絞った際には両親だけでなく高校の教師や周囲の人から反対をされたそうです。
そのため大学などには進学しておりません。
ちなみに吉川さんは芸能界デビューをした後も仕事で上手くいかないときには広島に戻り、同校のプールをこっそり訪れていたそうでインタビューで次のように話しています。
「“症状”が重い時は、夜中に海パン持参で忍び込んで泳いでいた。ここに来ると、つらい思いを水に流して、また仕事に戻ることができた。100回ぐらいは来ていると思う」
記事引用:デイリースポーツ
同校については「ここで学んだり、仲間と切磋琢磨したことが己の根幹、血肉になっている。僕にとっては母の体みたいなもの。」だと話しています。
【主な卒業生】
福井謙二(アナウンサー)
モーリー・ロバートソン(ミュージシャン)
山縣亮太(陸上選手)
いきなりブレイク
吉川さんは高校中退後は上京してレッスンを重ね、18歳だった1984年2月にファーストシングル「モニカ」で歌手デビューしています。
デビュー当時は所属事務所の渡辺プロダクションも「10年に1度の逸材」として、社運を賭けたプロモーションをおこなっています。
すると楽曲はいきなりヒットして、一躍人気歌手になります。
また1988年には布袋寅泰さんとユニット「COMPLEX」を結成し、こちらでも人気を博しています。
音楽活動以外にも俳優としても活動しており、数々の話題作のテレビドラマや映画に出演しています。
既に50歳を超えていますが、現在も精力的に活動しています。
今後の活動も楽しみですね。
以上が吉川晃司さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
デビュー曲がいきなりヒットして、1980年代や90年代を代表するようなミュージシャンでした。
現在も精力的に音楽活動をおこなうほか、俳優としてもドラマや映画に出演しています。
今後も末永い活躍を期待したいですね。
経歴・プロフィールの詳細
1983年に渡辺プロダクション入りし翌年2月「モニカ」で歌手デビューし、同時に主演映画「すかんぴんウォーク」で俳優デビュー。
「ユー・ガッタ・チャンス」「サヨナラは8月のララバイ」などを立て続けにヒットさせる。
この年の歌謡賞の新人賞を総なめにしたほか、俳優としても日本アカデミー賞新人賞を受賞。
1988年に布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、「BE MY BABY」などをヒットさせるが、1990年に活動停止。
ソロに戻った後も「VENUS」や「BOY’S LIFE」などのヒット曲をリリース。
2000年代に入ると俳優としての活動を再開し、「天地人」や「八重の桜」、「下町ロケット」などの人気作のドラマに出演。
2010年に出演した映画「必殺剣 鳥刺し」の演技の評価が高く、日本アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。
私生活では2011年に一般人の女性と結婚し、子どももいる。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。