人気ミュージシャンのYOSHIKIさんの出身中学校や高校などの学歴情報をお送りします。荒れていた中学時代や音楽に熱中した高校時代など、学生時代のエピソード、若い頃のカッコイイ画像などをご紹介していきます
YOSHIKI(ヨシキ)
1965年11月20日生
身長174㎝
血液型はB型
千葉県館山市出身のミュージシャン、プロデューサー
ロックバンド「X JAPAN」のメンバー
本名は林佳樹(よしき)
以下ではYOSHIKIさんの学歴や経歴、高校・中学校の偏差値、高校時代をはじめとする学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
スポンサードリンク
YOSHIKIの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:千葉県立安房高校
出身中学校:館山市立第二中学校→館山市立第三中学校
出身小学校:館山市立北条小学校
YOSHIKIの学歴~出身小学校(館山市立北条小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 館山市立北条小学校
YOSHIKIさんの出身小学校は、地元の館山市の公立校の北条小学校です。
YOSHIKIさんは出身小学校も明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターにはこの小学校の出身者であるという情報が多数見られます。
ちなみに「CHA-CHAーCHE」のヒットで知られる歌手の石井明美さんとは、小学校・中学校を通じての同級生でした。
またTOSHIさんとは幼稚園の頃からの幼なじみで、小学校時代も同級生でした。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
実家は呉服屋を経営しており、裕福な家庭に生まれています。
亡くなった父親は華やかで派手好きな人物でした。
実家の呉服屋の経営のほか、タップダンサーとしても活動していました。
そんな父親をYOSHIKIさんは子供の頃から尊敬していました。
音楽好きだった父親の影響で、幼い頃から音楽に親しんでピアノを習っています。
父親は亡くなるまで毎年、YOSHIKIさんの誕生日に楽器をプレゼントしています。
幼少期は家業で忙しい両親の代わりに、家政婦がYOSHIKIさんと弟の面倒をみています。
また子供の頃から小児喘息を患っており、小学校の半ばくらいまでは入退院を繰り返す生活をおくっています。
9歳で作曲をはじめていた
音楽面ではわずか9歳の頃にピアノでの作曲をはじめており、当時から才能の片りんを窺わせています。
10歳の頃から学校のブラスバンドに参加して、トランペットを担当しています。
10歳で最愛の父親を亡くす
そして前述のように10歳の時に最愛の父親が亡くなってしまっています。
その際にはインタビューで次のように振り返っています。
「夏休みの器楽クラブから帰ると父が布団に寝かされていて。でも頭には白い頭巾を被されていて…」
また実家にいた親戚の人たちからは、「お父さんは病気で寝ている」と説明されています。
後に父親の死を知ったYOSHIKIさんは荒れて死に方についての本なども読み漁っています。
なお父親の自殺の原因は借金と言われていますが、真相は不明です。
小学校時代に早くもバンドを結成
そんなYOSHIKIさんを救ったのが音楽で、小学生時代に幼なじみのTOSHIさんとバンド(ユニット)「ダイナマイト」を結成して音楽に熱中しています。
小学生でバンドとは驚きですが、近所の貸しスタジオで当時人気のあったアメリカのロックバンド「キッス」の楽曲を練習するなど、既に本格的なものでした。
当時のYOSHIKIさんはボーカル兼ドラムスでした。
しかも当時から作曲を手掛けていたと言いますから驚きです。
ちなみに12歳の時にはギターもはじめていますが、細かい作業が性に合わず、ギターは早々にやめてしまっています。
スポンサードリンク
YOSHIKIの学歴~出身中学校(館山市立第二中学校・館山市立第三中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 館山市立第二中学校 偏差値なし
※卒業は館山市立第三中学校
YOSHIKIさんは小学校を卒業すると、地元の公立校の第二中学校に進学しています。
この中学校でもTOSHIさんとは同級生でした。
中学時代はブラスバンド部に在籍してトランペットを担当するとともに、サッカー部にも所属していました。
中学時代に「NOIZE」を結成
また中学校の頃にはTOSHIさんと本格的なロックバンド「NOIZE」を結成しています。
このバンドは後述するTOSHIさんと小学校時代に組んだバンドが前身で、当時はドラムスとボーカルを担当していました。
しかし中学に入っても声変りが遅く高音しか出すことができなかったことから、この頃からボーカルは諦めてドラムに専念しています。
中学時代に父親の死の真相を知る
さらに10歳の時に亡くなった父親の死が、中学生の時に自殺だったことを偶然知って大きなショックを受けたことを後のインタビューで明らかにしています。
「本当にびっくりしました。沸いてきたのは父への怒りで、その思いはきっと今もおさまってないんですよね。父への思いは、愛、恋しさ、怒りがミックスされていて、自分でもよくわからないんですよね」
その反動か、中学時代は荒れていました。
卒業式で木刀を振り回して暴れたこともありました。
また父の死の直後に母親と弟と行ったアメリカのロックバンド「KISS」のコンサートを見て、ロックスターになる夢を持ったと語っています。
中学は転校している
なお中学3年生に上がるタイミングで館山市立第二中学校から分離した館山市立第三中学校に移って卒業しています。
YOSHIKIさんは出身中学校を明らかにしていませんが、インターネット上やツイッターには数多くの在籍情報が存在します。
なお前記のようにYOSHIKIさんは中学時代の途中から不良になっていますが、中学時代の成績は非常によく前記の進学校にも合格しています。
また暴走族の集会に英語の単語帳を持参して参加したというエピソードも残っていました。
ちなみに館山市立第二中学校と館山市立第三中学校は2021年に統合されて、現在は館山市立館山中学校になっています。
スポンサードリンク
YOSHIKIの学歴~出身高校(千葉県立安房高校)・大学の詳細
出身高校:千葉県 安房高校 偏差値58(中の上)
YOSHIKIさんの出身高校は、県立の共学校の安房高校です。
同校は1902年開校の伝統校で、地元では古くから進学校として知られています。
この高校がYOSHIKIさんの母校であるという情報は多数あります。
なお後にロックバンドXを結成することになるTOSHIさんとは、高校時代も同級生でした。
(インスタグラムにアップした高校時代のうたた寝ショット)
進学校の不良だった
当時のYOSHIKIさんは不良で、高校の入学式には真っ赤な髪で膝まである学ランを着用して出席しています。
また全教室をまわって「文句のある奴は出てこい」とか「いつでも相手になってやる」と他の生徒を挑発もしています。
前記のようにこの高校は進学校なので、当時は先生たちから「開校以来2番目の不良」と呼ばれています。
ちなみにYOSHIKIさんは入学式では、全校生徒の前で先生たちに殴り倒されています。
また在校中は金髪のリーゼントで「不良だった」とインタビューで語っています。
YOSHIKIさんは高校時代も当初はサッカー部に所属していますが、当時は血の気が多くて開始5分でレッドカードをもらうほどでした。
このあたりについてはインタビューで次のように話しています。
「超ダメダメでしたけどね。高校時代は血の気が多かったんで、サッカーなんて5分でレッドカードをもらっちゃうくらい。コーチには「サッカーはボールを蹴るもので、人を蹴るもんじゃない!」って怒られてました(笑)」
記事引用:ナタリー
なおサッカー部は途中で退部したようです。
また高校時代にブラスバンド部にも在籍した時期があるそうです。
その一方で勉強もしっかりとしており、「勉強もできる不良」でした。
ピアノ教室にもちゃんと通っていました。
ちなみにYOUTUBEには高校時代にお祭りで太鼓を叩いているYOSHIKIさんの映像がありました(大太鼓を叩いているのがYOSHIKIさんです)。
高校時代も音楽活動に熱中!
高校時代にはTOSHIさんらと中学時代から結成していたロックバンド「NOISE」で引き続き音楽活動をしています。
しかし高校2年生だった1982年の夏に他のメンバーが受験勉強のために脱退したことをきっかけに、「NOISE」は解散しています。
そしてより本格的なロックバンドを指向して、同じ年に同じ学校に通っていたTOSHIさんらとXを結成。
ちなみにバンド名を「X」と命名したのはYOSHIKIさんで、理由はパンフレットなどに載った際に長いバンド名より目立つからという理由でした。
それをTOSHIさんに告げると「それでいこう!」と即答したそうです。
「NOISE」時代はレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、キッスやアイアン・メイデンといった洋楽のハードロックバンドのコピーをおこなっていましたが、X結成以降はオリジナルの楽曲の演奏もはじめています。
14歳の誕生日に母親に頼んで買ってもらったドラムを練習して、高校の文化祭などで演奏を披露しています。
また当時からライブハウスにも出演していましたが、YOSHIKIさんの強引なチケットの捌きもあって100人以上を動員したこともありました。
ちなみに当時からボーカルを担当していたTOSHIさんは真面目なバレーボール部員だったことから、丸刈りの坊主頭でした。
(高校時代のTOSHI)
高校3年生の時には受験勉強の合間を縫ってヤマハが主催する音楽コンテストの「EastWest」に出場して、バンドとしては受賞を逃したものの、個人としてはベスト・ドラマー賞を受賞しています。
ちなみにこのコンテストではTOSHIさんもベストボーカル賞を受賞しています。
なおこのコンテストの本番ではYOSHIKIさんは遅刻したばかりか、演奏後にドラムのスティックを観客目がけて投げて流血させています。
とは言えYOSHIKIさんはこの頃から、「ひょっとして俺たちすごいんじゃない?」と思いはじめたことをインタビューで述べています。
勉強面でも高校3年生の頃から音楽大学への進学を目指して本格的にピアノに打ち込んで、受験用のプログラムによってソルフィージュや和声、楽典などの音楽理論を学んでいました。
なお話は脱線しますが乃木坂46の高山一実さんもこの高校の後輩で、YOSHIKIさんと親交があり、紅白歌合戦の楽屋に遊びにきてくれたことをインスタグラムで紹介していました。
【主な卒業生】
高山一実(乃木坂46)
加藤純一(YOUTUBER)
鈴木おさむ(放送作家)
武蔵野音楽大学に合格していたのに進学せず
そしてYOSHIKIさんは高校卒業後は大学などに進学せずに、音楽活動に専念しています。
当初は武蔵野音楽大学の推薦入学試験に合格していたので、この大学に進学するつもりでした。
ちなみに武蔵野音楽大学のピアノ学科は東京音楽大学や国立音楽大学に次ぐ存在で、けっこうな難関レベルです。
そのためYOSHIKIさんの当時のピアノの腕前はかなりのレベルで、ライブなどでもたびたびピアノの演奏を披露しています。
ところが高校3年生の冬休みにTOSHIさんが自宅を訪れた際に、「俺たちどうする?」と切り出されて東京で音楽活動を続ける決意を伝えれます。
するとYOSHIKIさんもあっさりと武蔵野音楽大学への進学を辞退しています。
その際には母親には猛反対されています。
高校卒業後は同じく音楽の道を選んだTOSHIさんとともに上京し、HIDEさんらもバンドに加入。
21歳だった1986年にはインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を自ら立ち上げるなど、既にこの頃からバンドの成功を確信していたようです。
デビュー当時の動画はこちら。
その2年後の1988年には母親に1000万円を借金して、デビューアルバム「Vanishing Vision」をリリースしています。
ちなみに母親に借金をしたエピソードについては、次のようにインタビューで話しています。
「1千万円貸してくれないかなってお願いしたんです。そうしたら、『そんな大金なにするの』 て聞くから、アルバム出すって答えたんです。そしたら 『そろそろバンドやめたら』 って言われたんです。」
その際には「そんなお金はない」と母親に電話を切られてしまいますが、その翌日には銀行口座に1000万円が振り込まれていました。
このアルバムはインディーズレーベルながらオリコンチャートで19位を記録して、インディーズレーベルの作品ではじめてメジャーチャートにランクインした作品として知られています。
「X」がメジャーデビュー
そのためバンドの人気は急上昇して、YOSHIKIさんが24歳だった1989年にバンドはメジャーデビューを果たします。
するといきなりヒットを連発し、ヴィジュアル系ロックバンドの中でも傑出した人気を得ます。
また当時はYOSHIKIさんのドラムを破壊する激しいパフォーマンスが話題になりました。
その後も数々の名曲を世に送り出しましたが、1997年に解散しオリジナルメンバーのHIDEさんの死という不幸にも遭っています。
しかし2007年に再結成して、ファンを大いに喜ばせています。
またYOSHIKIさんはYOUTUBEの公式チャンネルでもたびたび情報を発信しています。
以上がYOSHIKIさんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
以降の活躍は周知の通りでバンドは再結成を果たしますし、ソロアーティストとしても高い人気を誇っています。
また近年はタレントとしてバラエティー番組に出演しはじめるなど、活動の幅を広げています。
公式インスタグラムもフォロワーが70万人を超えるほどの人気を誇っています。
そして2018年10月のコンサートが台風で中止になった際におこなった無観客ライブは、「神対応」として大きな話題になりました。
カリスマ性の非常に高い人物だけに、今後の動向にも注目です。
経歴・プロフィールの詳細
1965年(0歳):千葉県館山市で生まれる
1975年(10歳):父親を亡くす
1978年(13歳):TOSHIとロックバンド「NOISE」を結成
1980年(15歳):新設の館山市立館山第三中学校に移動
1982年(17歳):TOSHIとロックバンド「X」を結成
1989年(24歳):Xがアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビュー
1992年(27歳):X JAPANに改名し、NHK紅白歌合戦に出場
1997年(32歳):X JAPANが解散
2007年(42歳):X JAPANが再結成
2020年(55歳):ボノ、ウィル・アイ・アム、ジェニファー・ハドソンとコラボ
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。