いっこく堂の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値|実家が貧乏だった

 

腹話術師のいっこく堂さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。その道の第一人者として数多くのテレビ番組に出演しているいっこく堂さんですが、実は実家が貧乏でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

いっこく堂(いっこくどう)

 

 

1963527日生

身長175

血液型はA型

 

神奈川県出身(沖縄県育ち)の腹話術師

本名は玉城一石(たまき いっこく)

 

以下ではいっこく堂さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

スポンサードリンク

 

目次

いっこく堂の学歴まとめ

 

出身専門学校:横浜放送映画専門学校(中退)

出身高校:沖縄県立北谷高校

出身中学校:コザ市立コザ中学校

出身小学校:コザ教育区中の町小学校

 

いっこく堂の学歴~出身小学校(コザ教育区中の町小学校)の詳細

 

出身小学校:沖縄県 コザ教育区中の町小学校

※現在は沖縄市立中の町小学校

 

 

いっこく堂さんの出身小学校は、地元沖縄県コザ市(現在は沖縄市)内の公立校の中の町小学校です。

 

家族構成は両親と兄、弟の5人家族です(3人兄弟の真ん中)。

 

(左端が本人)

 

父親はタンカーの船員でした。

 

実家は非常に貧しく、本人もインタビューで家の中に下水が流れている「倉庫のような家」で育っています。

 

また実家には風呂や洗濯機、テレビがありませんでした。

 

そしてご馳走はケンタッキー・フライド・チキンだったとのこと。

 

加えていっこく堂さんは小学校時代から野球をはじめています。

 

いっこく堂の学歴~出身中学校(コザ市立コザ中学校)の詳細

 

出身中学校:沖縄県 コザ市立コザ中学校 偏差値なし

※現在は沖縄市立コザ中学校

 

 

いっこく堂さんの出身中学校は、地元コザ市内の公立校のコザ中学校です。

 

中学校時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

当時はプロ野球選手を夢見ていました。

 

ただし些細なことで友人関係がこじれて、中学校時代は友達がいなくなったことがありました。

 

そんな時にテレビで見た腹話術に興味を持っています。

 

当時は腹話術で使う人形を入手することができずに諦めてしまいましたが、この経験が後に腹話術をはじめる遠因になっています。

 

【主な卒業生】

ISSA(DA PUMP)

岸本セシル(ファッションモデル)

 

スポンサードリンク

 

いっこく堂の学歴~出身高校(沖縄県立北谷高校)・大学の詳細

 

出身高校:沖縄県 北谷高校 偏差値39(かなり容易)

 

 

いっこく堂さんの出身高校は、県立の共学校の北谷(ちゃたん)高校です。

 

この高校は1976年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

特にバスケットボール部が県内でも強豪です。

 

高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

 

前記のように少し残念な中学校時代を送ったいっこく堂さんでしたが、高校時代からモノマネをはじめており、文化祭などで披露していました。

 

そのためクラスの人気者になっています。

 

また勉強も頑張っており、高校1年生までは学年で最上位の成績でした。

 

高校2年生の時に西田敏行さん主演のテレビドラマ「池中玄太80キロ」を見て、俳優を志しています。

 

さらに高校3年生の時にはものまねの全国大会に出場して、西城秀樹さんや野口五郎さんのものまねを披露して見事に優勝しています。

 

【主な卒業生】

ORANGE RANGE(ロックバンド)

 

スポンサードリンク

 

いっこく堂の学歴~出身大学(横浜放送映画専門学校)の詳細

 

出身大学:横浜放送映画専門学校(中退) 偏差値なし

現在は日本映画大学(偏差値35

 

 

いっこく堂さんは高校卒業後は、大学ではなく横浜放送映画専門学校に進学します。

 

同校は日本映画学校を経て、現在は日本映画大学となっています。

 

在学中は内村光良さんや南原清隆さんも在籍していました。

 

いっこく堂さんは俳優を目指してこの専門学校に進学しましたが、わずか3か月で中退して俳優になることは諦めています。

 

その後はものまねタレントとして活動していますが、それだけでは食べていけずに4年間アルバイト生活をしています。

 

そして芸能界を諦めていったんは沖縄県に戻りますが、母親の励ましもあって再び俳優を目指します。

 

23歳だった1986年に再上京後して劇団民藝に入団し、俳優として活動しています。

 

そして劇団の宴会で腹話術を披露したところ、看板俳優の米倉斉加年さんから腹話術師の道を勧められ、独学で腹話術をマスターしています。

 

そして29歳だった1992年から腹話術師として活動を開始して、1995年の「ポンキッキーズ」への出演で知名度が上昇しています。

 

さらに1998年に「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」内の「OWARAIゴールドラッシュⅡ」での優勝をきっかけにブレイクしています。

 

 

以降の活躍は周知の通りで、腹話術師としては絶大な人気を誇っています。

 

また腹話術とモノマネのコラボ芸など、今まで誰もやったことのなかった芸を開発するなど、その道の第一人者でもあります。

 

2016年にクモ膜下出血で入院しましたが、その後に復帰しており、今後もさらなる活躍にも期待が高まります。

 

スポンサードリンク



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次