俵万智の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

歌人の俵万智さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「サラダ記念日」がベストセラーになった俵さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

俵万智(たわら まち)

 

 

1962年12月31日生

身長非公表

血液型はA型

 

大阪府門真市出身の歌人、エッセイスト

本名同じ

 

以下では俵万智さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

俵万智の学歴~出身小学校(四条畷市立四条畷小学校)の詳細

 

出身小学校:大阪府 四条畷市立四条畷小学校

 

 

俵万智さんの出身小学校は、四条畷市内の公立校の四条畷小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

 

 

弟は10歳年下です。

 

俵さんは生まれたのは大阪府門真市ですが、4歳の時に四條畷市に転居しています。

 

子供の頃から運動神経が悪く、スポーツは苦手です。

 

また幼稚園時代にはスキップができなかったことから、足の病気を疑われたこともありました。

 

それでも非常に活発な少女でした。

 

その一方で幼い頃から読書好きの母親に本を読み聞かされてもらったことから、当時から本が大好きでした。

 

また小学校時代から学校の成績は優秀でした。

 

俵万智の学歴~出身中学校(四条畷中学校・武生第一中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 四条畷市立四条畷中学校 偏差値なし

※後に転校

 

 

 

俵万智さんが入学したのは、大阪府四条畷市内の公立校の四条畷中学校です。

 

この中学校に在籍した当時はバレーボール部に入部していましたが、ずっと球拾いでした。

 

また当時から成績が優秀で、中学1年生の時に早くも英検3級を取得しています。

 

俵さんは中学2年生の時に父親の仕事の都合で、福井県武生市に転居しています。

 

そのため武生市立武生第一中学校(偏差値なし)に転校しています。

 

 

 

なおこの中学校は2005年に武生市と今立町が合併して越前市が誕生したのに伴って、越前市立武生第一中学校になっています。

 

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俵万智の学歴~出身高校(福井県立藤島高校)の詳細

 

出身高校:福井県 藤島高校 偏差値71(超難関)

 

 

 

俵万智さんの出身高校は、県立の共学校の藤島高校です。

 

この高校は1855年開校で、福井潘の藩校・明道館をルーツとする伝統校です。

 

また県内では古くから1、2を争うような進学校として知られています。

 

俵さんはこの高校に一般受験で入学しており、かなりの学力を有していました。

 

高校時代は演劇部に入部して部活動に励んでいました。

 

演劇部に入部したのは顧問の先生に憧れたからでした。

 

当時はつかこうへいさんなどの戯曲に夢中になっています。

 

俵さんは高校時代は演劇部の舞台だけではなく、地元のアマチュア劇団の舞台にも立っていました。

 

また当時から短歌が好きで、若山牧水さんの歌集がお気に入りでした。

 

加えて俵さんは高校時代の成績が抜群で、当初は東京大学に入学できると思われました。

 

しかし高校2年生の時に交際していた先輩の男子生徒にフラれて失恋して、常に学年10位以内だった成績が急降下しています。

 

高校3年生になっても受験勉強がする気が起こらずに、最終的には前記のように指定校推薦で早稲田大学に進学しています。

 

【主な卒業生】

岡田啓介(元内閣総理大臣)

平岩弓枝(作家)

中垣内祐一(バレーボール元日本代表選手・監督)

元谷芙美子(アパホテル社長)

 

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俵万智の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

出身大学:早稲田大学 第一文学部日本文学専修 偏差値65(難関)

※現在は文学部

 

 

 

俵万智さんは高校卒業後は、名門私大の早稲田大学に進学しています。

 

この大学には一般受験ではなく、指定校推薦で入学しています。

 

当初は東京大学への進学を狙っていましたが諦めたようです。

 

在籍したのは第一文学部で、日本文学を専攻していました。

 

また大学時代はアナウンス研究会に所属しており、ラジオドラマを作ったこともありました。

 

フジテレビアナウンサーの軽部真一さんはアナウンス同好会の同期です。

 

当時の俵さんは神宮球場で東京六大学野球のアナウンスや選挙の際のウグイス嬢のアルバイトもしていました。

 

大学時代に歌人で国文学者の佐佐木幸綱さんに師事して、短歌の世界に足を踏み入れています。

 

佐佐木さんに師事したのは、ファンレターを書いたことがきっかけでした。

 

加えて俵さんは大学時代に教職課程を履修しており、国語の教員免許を取得しています。

 

大学卒業後は神奈川県立橋本高校に国語教師として赴任しています。

 

 

その傍らで歌人としても活動しており、24歳だった1986年には「八月の朝」で角川短歌賞を受賞しています。

 

すると翌年に第一歌集「サラダ記念日」を刊行すると、歌集としては異例のベストセラーになっています。

 

 

歌人としても注目を集めた後も高校教師を務めており、トータルで4年間勤務していました。

 

以降は歌人のほか、エッセイストや戯曲家としても活動を開始しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が俵万智さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

高校教師時代に「サラダ記念日」が異例のベストセラーになって、大きな注目を集めています。

 

また「料理の鉄人」の審査員を務めるなど、たびたびメディアにも登場しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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