「とくダネ!」でお馴染みの小倉智昭さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は小倉さんは学生時代から陸上競技で活躍しており、国体にも出場したほどでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコイイ画像なども併せてご紹介いたします
小倉智昭(おぐら ともあき)
1947年5月25日生
身長173㎝ 体重75kg
血液型はB型
秋田県秋田市出身のアナウンサー、タレント
本名同じ
以下では小倉智昭さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
経歴/プロフィールの詳細
1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に、アナウンサーとして入社。
競馬中継の実況などで人気を博すも、1976年にフリーに転身。
その後はラジオのパーソナリティとして頭角を現し、「ニュースアタックル」などの番組を担当。
1989年に情報番組の「キャッチ」の司会者に抜擢されると、1993年には「どうーなっているの」の司会を担当。
以降は司会者としての仕事が中心となり、1999年に情報番組「とくダネ!」の司会者に起用される。
私生活では1976年に最初の妻と離婚し、その後15歳年下の女性と再婚している。
小倉智昭の学歴~出身小学校(秋田市立高清水小学校)の詳細
出身小学校:秋田県 秋田市立高清水小学校
小倉智昭さんの出身小学校は、秋田市内の公立校の高清水小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
父親は石油会社に勤務するサラリーマンで、母親は看護師です。
子供の頃からひどい吃音症(どもり)でしたが、大学時代に克服しています。
なお小倉さんは秋田市出身ですが、父親の仕事の都合で小学校2、3年生の時に2年間東京都内の小学校に通学していました。
転校の際の自己紹介ではどもりのせいで自分の名前さえも言えませんでした。
「父親の仕事の関係で、小学校2、3年だけ東京の小学校に通ったことがあったんです。環境や言葉がまったく違ったこともあって、転校して最初の自己紹介で自分の名前すら言えませんでした」
記事引用:講演依頼.com
また小学校時代の劇では「このマッチいくらですか」という短いセリフが言えなくて、悔しい思いをしたとインタビューで話しています。
「今も覚えているのが、全員参加の劇。演目は「マッチ売りの少女」。しゃべれない僕にはセリフの少ない役が与えられて、それがマッチを買う客でした。「このマッチいくらですか」というセリフを、それこそ何度も何度も登下校時に練習したんですが、本番で言葉が出てこなかった。それが悔しくて悔しくて。泣きべそをかきながら家に帰りましてね」
記事引用:講演依頼.com
小学校4年生の時に秋田市に戻っていますが、どもりを直す意味も含めてNHK児童劇団に入団しています。
小倉智昭の学歴~出身中学校(世田谷市立梅丘中学校)の詳細
出身中学校:東京都 世田谷区立梅丘中学校 偏差値なし
小倉智昭さんの出身中学校は、世田谷区内の公立校の梅丘(うめがおか)中学校です。
中学時代も陸上部に在籍しています。
当時も花形選手として陸上の大会で活躍していたので、小倉さん目当てで女子が60人も陸上部に入部したというエピソードもありました。
ちなみに小倉さんの学生時代の成績は体育が常に5で、他の科目は3だったそうです。
【主な卒業生】
滝沢カレン(タレント)
斎藤工(俳優)
藤田朋子(女優)
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小倉智昭の学歴~出身高校(中央大学附属中学校)の詳細
出身高校:東京都 中央大学附属高校 偏差値71(現在)
小倉智昭さんの出身校は、私立の男子校(当時)の中央大学附属高校です。
この高校は1909年開校の私立高校で、古くから自由な校風で知られています。
現在は有名大学の附属校の偏差値は軒並み高くなっていますが、小倉さんが在籍時は現在ほど難易度は高くありませんでした(現在の偏差値で60台前半程度と推測)。
小倉さんは一般受験ではなく、陸上の推薦入学でこの高校に進学しています。
高校時代は陸上部に所属しており、部活動に打ち込んでいました。
専門は短距離走で、100mのベストは10秒9の快足で全国大会にも出場経験があるほどでした。
リレーでは全国大会の決勝まで進出しています。
また高校1年生の時におこなわれた東京オリンピックでは、聖火ランナーも務めています。
加えて小倉さんは高校時代に弁論や演劇などでも賞をとっており、かなりアクティブに活動していました。
そのため高校時代は女子にかなりモテたそうです。
なお当時からこの高校の卒業生の大半はエスカレーター式に中央大学に進学しますが、前記の理由によって小倉さんは中央大学に進学しませんでした。
【主な卒業生】
ナオト・インティライミ(ミュージシャン)
秋元康(作詞家)
生田竜聖(アナウンサー)
湯上響花(ファッションモデル)
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小倉智昭の学歴~出身大学(獨協大学)の詳細
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出身大学:獨協大学 外国語学部フランス語学科 偏差値53(現在・普通)
小倉智昭さんは高校卒業後は、獨協大学に進学しています。
後述するように小倉さんは中央大学の系列高校に通学していましたが、「陸上部で嫌いな先輩がいる」という理由で中央大学に進学しませんでした。
また小倉さんは高校時代に陸上競技で活躍していましたが、当時の中央大学の陸上部は頭髪を五厘刈りにしなければならなかったことも中央大学に進学しなかった理由です。
1年間の浪人生活を経て上智大学への進学を目指しますが受験に失敗して、獨協大学に進学しています。
獨協大学も補欠での入学でした。
ちなみに浪人時代も陸上競技を続けており、国体にも出場しています。
小倉さんは浪人時代をインタビューで次のように振り返っています。
「3日で予備校通いに飽きて、毎朝、予備校へ通うのと同じ時間に家を出て永福町の図書館へ行き、勉強もせずに好きな本を読み漁るようになりました。午後は東京体育館横の陸上トラックで走って。先輩たちの抑圧から逃れたせいか記録が伸びて、100mを10秒台で走っていました」
記事引用:週刊女性PRIME
ただし国体の出場通知書を父親に見られたところ、「貴様! 勉強もしないで浪人中に何やってるんだ」と怒鳴られたとのこと。
大学時代も陸上部に所属しますが、足のケガなどもあって2年生の時に退部しています。
その後はGSバンドを結成して、ボーカル兼ベーシストとして音楽活動もしています。
ちなみにベースを担当したのは、「ビートルズ」のポール・マッカートニーさんに憧れていたからです。
バンドは小倉さんの司会が面白かったことから、ビアホールやキャバレーで演奏するようになっています。
当時は本気でミュージシャンになることも考えましたが、バンド仲間が就職で抜けていき断念したことをインタビューで話しています。
「当時、クレイジーキャッツのような音楽レベルの高いコミックバンドが全盛で、自分もそれで食べていきたいと思うようになりました。バンドの仲間もついてきてくれると思ったのですが、群馬テレビに入ったとか朝日新聞に決まったとか、1人だけ取り残されたんですよ。やっぱり就職しないとダメかなと……」
記事引用:週刊女性PRIME
幼い頃から吃音症だったことから、それを克服するために敢えてアナウンサーの道を志します。
フジテレビのアナウンサー試験では7次試験まで進みましたが、役員面接で不合格になっています。
そのため東京12チャンネル(現在のテレビ東京)にアナウンサーとして入社しています。
東京12チャンネルでは競馬中継などで人気を博しますが、29歳だった1976年にフリーアナウンサーに転向しています。
ところがフリーアナウンサーになった後はどん底を経験しており、電気やガス、水道を止められる日々も続きました。
しかしラジオのパーソナリティで人気を得ると、テレビの司会業に転身して大成功を収めることになります。
特にMCを務める「情報プレゼンターとくダネ!」は22年間も続く長寿番組になっています。
以上が小倉智昭さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
フリーアナウンサー時代は9年間も売れずにどん底も経験しています。
しかし「どうーなってるの?」や「とくダネ!」で人気者になっています。
年齢は70代に突入しましたが、末永い活躍を期待しています。
笠井信輔アナの学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃の画像
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