津田寛治の学歴|出身は福井高校!大学や中学校の偏差値|勉強が苦手だった!

 

俳優の津田寛治さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は津田さんは学生時代は勉強が嫌いで、学校の成績も悪かったそうです。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

津田寛治(つだ かんじ)

 

 

1965827日生

身長173

血液型はAB型

 

福井県福井市出身の俳優

本名同じ

 

以下では津田寛治さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

津田寛治の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:福井高校 芸術学科(中退)

出身中学校:福井市立大東中学校

出身小学校:福井市立円山小学校

 

津田寛治の学歴~出身小学校(福井市立円山小学校)の詳細

 

出身小学校:福井県 福井市立円山小学校

 

 

 

津田寛治さんの出身小学校は、地元福井市内の公立校の円山小学校です。

 

津田さんは子供の頃から活発で、工事現場や田んぼなど外で遊ぶのが好きな少年でした。

 

また小学校時代から映画が好きで、かなりの本数の映画を見ていました。

 

当時は邦画なら角川映画で、洋画はハリウッド映画を見ていたとインタビューで話しています。

 

その一方で当時の津田さんは問題児で、集団生活などにはなじめなかったと述べています。

 

「小学校に上がっても状況は変わらず、毎日同じところに通うことも、同じ教室に詰め込まれて勉強させられることも大の苦手でした。人と同じことをする、ということがそもそもダメで、「みんなできてるのに、君だけだよ、できていないのは!」「みんなやってるよ、なんでやれないの?」って言われるのが本当に辛かったです」

記事引用:めざましmedia

 

このような状況の中で、唯一の逃げ場所が映画館だったとのこと。

 

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津田寛治の学歴~出身中学校(福井市立大東中学校)の詳細

 

出身中学校:福井県 福井市立大東中学校 偏差値なし

 

 

 

津田寛治さんの出身中学校は、地元福井市内の公立校の大東中学校です。

 

津田さんは勉強が嫌いで中学時代の学校の成績も悪かったのですが、唯一美術だけは好きでした。

 

そのため後記のように高校は美術学科に進学しています。

 

中学時代もあまり真面目に学校に通っておらず、時折学校をさぼって映画館に行っています。

 

津田さんは中学2年生の時に父親を亡くしています。

 

そのため以降は新聞配達や喫茶店のウエーター、水道配管工事の見習いや駐車場の交通整理など様々なアルバイトを経験しています。

 

なお当時の津田さんの将来の夢は俳優ではなく、画家か漫画家でした。

 

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津田寛治の学歴~出身高校(福井高校)・大学の詳細

 

出身高校:福井県 福井高校(中退) 芸術学科 偏差値40(容易)

※現在は福井工業大学附属福井高校

 

 

 

津田寛治さんの出身高校は、私立の共学校の福井高校です(現在は福井工業大学附属福井高校)。

 

この高校は1959年開校の私立高校で、部活動が盛んで特に硬式野球部は甲子園の常連校です。

 

また現在の同校は特別進学コースなどを設置していますが(偏差値41~58)、津田さんが在籍した当時はそのようなコースはありませんでした。

 

津田さんはこの高校の芸術学科に在籍していましたが、現在はこの学科はありません。

 

ちなみに津田さんは中学時代は勉強しておらず、この高校にも合格するとは思っていませんでした。

 

加えて当時のこの高校の芸術学科はできたばかりで、不良ばかりいたとインタビューで話しています。

 

「ただその学科は出来たばかりで、必ずしも僕のように絵が好きなヤツが集まったわけではなかったんです。失礼ですが、どこにも入れなかったような不良がほとんどで、僕も、あっという間に感化されて道を踏み外してしまいました(笑)」

記事引用:めざましmedia

 

津田さんは中学2年生の時に父親が他界しており、家計を助けるために高校時代は様々なアルバイトをしています。

 

また当時は映画好きだったことから、高校時代の長期休暇には映画館でアルバイトをしていたことをインタビューで話しています。

 

津田さんは幼少期から映画が好きで俳優に憧れていたために、同校は2年生の時に中退して上京しています。

 

「映画の仕事がやりたくて、最初は監督になりたかったんですけど、親戚から「頭よくないとできない」と。勉強は無理だな、と思って俳優を目指しました」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

 

その際には高校1年生の時の担任の先生が後押ししてくれました。

 

なお津田さんは高校に入学し直したりすることもなく、大学にも進学していません。

 

その後は下積み生活が長く、アルバイトをしながら劇団員を続けていました。

 

 

しかしなかなかチャンスは訪れませんでした。

 

 

転機となったのは26歳の時で、北野武さんがアルバイト先の喫茶店の常連客だったことから、ひとりでトイレに入ったところを見計らってダメモトで懇願してプロフィールと手紙を手渡しました。

 

この際の経緯については津田さんは次のようにインタビューで話しています。

 

「スタジオ内の喫茶店で、編集とか仕上げのために監督が来るんです。北野監督は5、6人で来るんですけど、トイレなら一人になるので。「あの夏、いちばん静かな海。」(91年)を撮っている頃でした。嫌な顔一つせず、手紙とプロフィルを大事に懐に収めてくれた」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

すると喫茶店のママの後押しもあって1年後に北野さんから声がかかり、セリフが一言だけのウェイター役で北野映画に起用されます。

 

「次の「ソナチネ」(93年)のクランクイン前日、打ち合わせのため、大人数で北野監督がまた店に来られたんです。そこで応援してくれていた店のママさんが、「1年待っていたのに何で呼んでくれないんですか」って。すると北野監督はたじろぎながら、「おい、兄ちゃん出番だよ」って。これが、僕のデビュー作になりました」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

その後もコンスタントに北野映画に出演していくうちに、テレビや映画の仕事が徐々に増えていきました。

 

そして41歳だった2006年にテレビドラマ「警視庁捜査一課9係」の出演で、ようやく俳優として注目されています。

 

 

以降は話題作にも起用され、2015年には「食の軍師」でテレビドラマに初主演しています。

 

 

また津田さんは俳優業のほか映画監督としての顔も持ち、タレントとしても数々のバラエティ番組に出演しています。

 

以上が津田寛治さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

長年にわたる下積み生活を経験していますが、その後にようやく日の目を見ています。

 

 

現在では演技派の脇役として多くの作品に出演しており、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

当初は小劇場系の劇団員として活動しアルバイト先の喫茶店に訪れた北野武に売り込んで、1993年の映画「ソナチネ」で映画デビュー。 

以降も「キッズ・リターン」や「HANABI」などの北野映画に起用される。 

1997年の「恋、した。」でテレビドラマ初出演。 

2004年の「イズ・エー」で映画初主演。  

2006年から出演している連続ドラマ「警視庁捜査一課9係」で注目される。 

2015年に「食の軍師」で連続ドラマ初主演。 

以降も「いつかティファニーで朝食を」や「初森ベマーズ」、「ひよっこ」などの連続ドラマにレギュラー出演。 

「シン・ゴジラ」ら「アウトレイジ最終章」、「空飛ぶタイヤ」などの映画にも出演。

 

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