高田純次の学歴と経歴|出身は府中高校!大学や中学校の偏差値|神童と呼ばれていた

 

タレントの高田純次さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々のバラエティ番組に出演している高田さんですが、実は中学時代までは優秀で「神童」と呼ばれていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介します

 

高田純次(たかだ じゅんじ)

 

 

1947121日生

身長175

血液型はB型

 

東京都出身のタレント、俳優

本名同じ

 

以下では高田純次さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

高田純次の学歴まとめ

 

出身専門学校:東京デザイナー学院

出身高校:都立府中高校

出身中学校:調布市立第三中学校

出身小学校:調布市立第二小学校

 

高田純次の学歴~出身小学校(調布市立第二小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 調布市立第二小学校

 

 

 

高田純次さんの出身小学校は、地元調布市内の公立校・調布市立第二小学校です。

 

高田さんは幼い頃に兄を肺炎で亡くしており、4歳の時に母親が病気で他界をしています。

 

父親が再婚して以降は新しい母親(再婚相手)の連れ子の妹と弟と5人家族で暮らしていました。

 

祖母も一緒に暮らしており、母親との折り合いが悪く頻繁に喧嘩をしていたそうで、高田さんは板挟み状態となって常に2人の顔色をうかがうような状況の中で生活をしていました。

 

高田さんと母親は仲が悪いわけではありませんでしたが、父親が母親の肩を持っていたことから高田さんは母親とは距離を取り祖母と過ごすことが多かったようです。

 

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高田純次の学歴~出身中学校(調布市立第三中学校)の詳細・神童と呼ばれていた!

 

出身中学校:東京都 調布市立第三中学校 偏差値なし

 

 

 

高田純次さんの出身中学校は、地元東京都調布市内の公立校・調布市立第三中学校です。

 

高田さんは成績優秀で小学校・中学校時代は、常に学年で10位以内に入っていました。

 

学生時代は「神童」と呼ばれるほど真面目で勉強ができる生徒だったとのことです。

 

また小学校・中学校時代には親戚のおじさんに絵を教えてもらっており、雑誌などに応募をしていました。

 

絵を描くことは大好きでしたが、入選はしたことがなくいつも佳作止まりでした。

 

他の人が入選をした絵を見て自分には飛びぬけたアイデアがないと思い、絵の道に進むことは諦めたようです。

 

中学校時代には赤面症で人と話すことが苦手だったことから、「赤面症を直す本」を読んでいたそうです。

 

【主な卒業生】

高田夏帆(タレント)

岸本加世子(女優)

相馬勇紀(サッカー日本代表)

 

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高田純次の学歴~出身高校(都立府中高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 府中高校 偏差値53(普通・現在)

 

 

 

高田純次さんの出身高校は、都立の共学校の府中高校です。

 

この高校は1917年開校の中堅都立高校です。

 

高田さんは多摩地区の屈指の進学校の都立国立高校(偏差値74/現在)が第一志望でしたが、受験に失敗。

 

二次募集で府中高校に進学しました。

 

 

この高校に在学中は1学年下に、歌手の布施明さんも在籍していました。

 

高田さんは高校時代には天文同好会や古典落語研究会、野球同好会、サッカー同好会など活発に活動をしていました。

 

またこの頃には友人5人でつるんでおり、よく麻雀やボーリングをおこなっていました。

 

高校時代のあだ名は「国領のニワトリ」だったとのことで、友人と朝まで麻雀をやっていても、他のみんなはぐったりしているのに高田さん1人だけ元気でうるさかったからだそうです。

 

 

【主な卒業生】

布施明(歌手)

鹿野睦(アナウンサー)

 

なお高田さんは高校卒業後は専門学校の東京デザイナー学院(偏差値なし)に進学をしています。

 

 

 

この専門学校は1963年開校で、建築やファッション、映像などのジャンルのデザイナーを育成しています。

 

高田さんは当初は大学に進学しようと思っていましたが、現役時代には中央大学や明治大学、法政大学、青山学院大学などにすべて落ちています。

 

そして1年間の浪人生活を経て、東京芸術大学や武蔵野美術大学、多摩美術大学、日大芸術学部などの美術系の大学を受験していますが、こちらも落ちてしまったことからこの専門学校に進学をしました。

 

高田さんは当初は大学に進学をして、父親が勤めていた東京ガスに就職する予定でした。

 

また弁護士にも興味があったことから中央大学の法学部も受験をしていましたが、この大学の入試に関しては歯が立たなかったと語っています。

 

大学受験に失敗したことについては人生での転機でトラウマとなっており、インタビューでは次のように語っています。

 

「大学受験の失敗は人生の転機で、トラウマになっています。だって、今でも夢に見るんですよ。それが受験で落ちてしまった場面ではなく、合格してキャンパスで女の子とはしゃいでいる場面をしょっちゅう見ます。」

 

高田さんは専門学校に入学後にはグラフィックデザインを学んでおり、学生時代からポスターやその他の広告媒体のデザイン制作するアルバイトをおこなっていました。

 

加えてこの頃から乗り物が好きだったため、20歳の時に自分で稼いだお金でバイクを購入して乗り回していたとのことです。

 

24歳の時に観た自由劇場の舞台の影響で俳優を志し、同劇団に入団しますが1年で退団。

 

その後は結婚したこともあり、様々な職に就きながら下積み生活を送っています。

 

 

33歳だった1980年に出演したバラエティ番組「笑ってる場合ですよ」で知名度が上昇しています。

 

 

そして37歳の時に出演した「元気が出るテレビ!!」で人気も急上昇して、人気も全国区になっています。

 

 

また1987年から出演した「グロンサン」のCMでもお馴染みです。

 

 

以降は様々なバラエティー番組やクイズ番組などに引っ張りだこの人気タレントになっています。

 

以上が高田純次さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

30歳を過ぎてブレイクした苦労人です。

 

ブレイク後は数々のバラエティ番組に出演しています。

 

 

現在でも高い人気を誇っており、末永い活躍を期待したいところです。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1971年に劇団自由劇場に入団するも1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」を結成。 

その後はサラリーマンを経て、1977年に劇団東京乾電池に入団。 

1979年の「笑点」でテレビ初出演。 

1980年に「笑ってる場合ですよ」に出演して知名度が上昇。 

1985年から「元気が出るテレビ」にレギュラー出演して、全国区の人気を獲得。

1987年に出演したグロンサンのCMの「5時から男」が話題となる。 

以降は「クイズヒントでピント」や「マジカル頭脳パワー」、「どうぶつ奇想天外」などの番組に出演。 

俳優としても「毎度おさわがせします」や「南くんの恋人」、「天国のkiss」などのテレビドラマに出演。 

既婚者で娘が2人いる。

 

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