俳優の高橋英樹さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。タレントとしても数々のテレビ番組に出演している高橋さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介します
高橋英樹(たかはし ひでき)
1944年2月10日生
身長181㎝
血液型はB型
千葉県木更津市出身の俳優、タレント
本名同じ
以下では高橋英樹さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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高橋英樹の学歴まとめ
出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科(中退)
出身高校:市川高校
出身中学校:千葉市立緑町中学校
出身小学校:千葉市立検見川小学校
高橋英樹の学歴~出身小学校(千葉市立検見川小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 千葉市立検見川小学校
高橋英樹さんの出身小学校は公立の千葉市立検見川(けみがわ)小学校です。
家族構成は両親と姉2人、兄の6人家族です(4人きょうだいの末っ子)。
父親は高校の校長先生だったこともあり、「学業をもって旨とすべし」という環境で育ったといいます。
勉強、勉強とうるさく言われており、成績も1番を取らないと殴られていたため、反発ばかりしていました。
高橋さんはこのことについて次のように話しています。
「もともと勉強は嫌いじゃないんですが、学生の頃は親に反発してあまり勉強しませんでした。」
記事引用:公益財団法人 日本漢字能力検定協会
また子供の頃から時代劇が好きで、チャンバラごっこやメンコ遊びをしていました。
メンコの絵柄は時代劇のスターが多かったとのことです。
高橋英樹の学歴~出身中学校(千葉市立緑町中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 千葉市立緑町中学校 偏差値なし
高橋英樹さんの出身中学校は、公立の千葉市立緑町中学校です。
中学時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていなかったようです。
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高橋英樹の学歴~出身高校(市川高校)の詳細
出身高校:千葉県 市川高校 偏差値70(現在)
高橋英樹さんの出身高校は、私立の男子校の市川高校です。
この高校は1937年開校の私立高校で、現在では千葉県内でも屈指の進学校として知られており、これまで政財界に多くの人材を輩出してきました。
高橋さんが在籍した当時の偏差値は不明ですが、現在ほどではないにしろ当時から進学校でした。
高橋さんは高校時代には映画部を設立しており、俳優を志望していました。
俳優を志望していた理由の一つとしては、厳しかった父親への反発心もあったとのことです。
高橋さんは映画を1本でも多く観るために歩いてバス代を節約しており、バス代を貯めて映画を観ていました。
当時は3本仕立ての映画を週に9~10本は観ていたと語っています。
お金を節約していたことから、かばんの中にはいつも固くなったコッペパンが入っており、高校時代には好きなコロッケをお腹いっぱいに食べることが夢だったとインタビューで振り返っていました。
また高橋さんは風紀委員を務めており、不良の友人の太いずぼんを見逃す代わりにお弁当を分けてもらったこともあったようです。
当時はよくラブレターを貰っていましたが、硬派を気取った風紀委員だったことから読まずに捨てていました。
高校で進学のクラス分けをするときに将来の夢を綴る作文を書いており、高橋さんは「俳優になりたい」と記載したといいます。
それが父親にバレてしまい反対をされましたが、高橋さんの意志の強さに業を煮やしたとのことで、オーディションに落ちれば夢を諦めると考えました。
そして父親は高橋さんに内緒で日活ニューフェイスに願書を送っています。
高橋さんは見事に合格をして、高校3年生の時に日活ニューフェースの第5期生として芸能界入りを果たしました。
なお俳優の中尾彬さんは日活ニューフェイスの同期です。
高橋さんは父親からは芸能界に入るのであれば勘当と言われており、このことについてインタビューでは次のように振り返っています。
「父からは『芸能界に入るなら勘当だ』と言われました。ただ、日活の試験は父の命令で受けたんです。それでいて、万が一、合格したら勘当だと。矛盾しているようですが、試験に落ちてあきらめさせようとしたんですね。」
記事引用:Wikipedia
芸能界入り後は父親とは口をきかずに、半勘当状態だったとのことです。
【主な卒業生】
佐藤佳奈(アナウンサー)
鹿内孝(俳優)
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高橋英樹の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科(中退) 偏差値48(現在)
高橋英樹さんは高校卒業後は、日本大学に進学しています。
在籍したのは芸術学部で、演技を学んでいました。
後述するように高橋さんは高校時代に芸能界入りをしており、大学入学後も映画の中心を主に活動をおこなっていました。
大学1年生だった1962年に、映画「真夏の誘拐」で主演格となっています。
もともとは主演を務めるはずだった石原裕次郎さんがスキーで足を折っており、代役の赤井圭一郎さんが撮影所内で事故死したことから、キャストが空白になりました。
そして新人に演じさせようということになり、高橋さんが応募したところ受かっています。
当時の高橋さんは日活映画の所属2年目で、大部屋俳優を経験することなく、いきなり役付きで映画に初出演しています。
高橋さんもこの作品の撮影中には40度の発熱など様々なことがありました。
とは言え、この作品で日活のスターの仲間入りをしており、翌年1963年に大学を中退しています。
中退をした年には仁侠映画「男の紋章」シリーズでトップスターとなりました。
また同じ年には吉永小百合さん主演の映画「伊豆の踊子」の相手役にも起用されています。
1971年に日活を離れると、高橋さんはテレビに活躍の場を移しています。
そして1976年からはじまったテレビドラマ「桃太郎侍」は当たり役になっています。
以降の活躍は周知の通りで、長らく映画やドラマで時代劇のスター俳優として君臨してきました。
加えてバラエティ番組への出演も多く、このところは娘の高橋真麻さんともたびたび共演しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が高橋英樹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃は日活のスターとして数々の映画に主演してきました。
テレビドラマにシフト後も時代劇を中心に、多くの作品に出演しています。
末永い活躍を期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1961年に日活ニューフェイス5期として芸能界入りし、同期に中尾彬がいる。
同年の映画「高原児」で俳優デビュー。
1962年に事故死した赤木圭一郎の代役として、映画「真夏の誘拐」に主演格として出演。
1963年の映画「伊豆の踊子」で吉永小百合の相手役を務める。
同年から出演した映画「男の紋章シリーズ」で任侠映画のスターとなる。
1971年に日活を退社して、以降はテレビドラマ中心に出演。
1976年から主演した「桃太郎侍」は当たり役となる。
以降も「遠山の金さん」や「三匹が斬る」などに出演。
タレントとしても活動しており、「目撃!ドキュン」や「やまだかつてないテレビ」、「おもいっきりDON!」などにレギュラー出演。
私生活では1974年に女優の小林亜紀子と結婚し、長女は高橋真麻。
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