「純烈」のリーダーの酒井一圭さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は酒井さんは小学校時代は子役として活動しており、「あばれはっちゃく」などのテレビドラマに出演していました。学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
酒井一圭(さかい かずよし)
1975年6月20日生
身長186㎝
血液型はAB型
大阪府吹田市出身の歌手、俳優
歌謡グループ「純烈」のメンバー
本名同じ
以下では「純烈」酒井一圭さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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酒井一圭の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:千葉県立柏西高校
出身中学校:不明
出身小学校:不明
酒井一圭の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
酒井一圭さんの出身小学校も不明です。
当初は大阪府吹田市内の小学校に通学していましたが、後に白井町の小学校に転校して卒業しています。
家族構成は両親と弟、妹の5人家族です。
生まれた時から体が大きく、両親も兄弟も大きいと話していました。
母親は気性が荒く、いうことを聞かなければ手加減なく布団たたきで叩かれていたと話しており、酒井さんは母親のことを3歳の時から「クソババァ」と呼んでいました。
幼少期の酒井さんはとにかくヤンチャで、出かけるたびに泥まみれや血まみれで帰ってきており怪我などは当たり前でした。
7歳の時に人気番組「あばれはっちゃく」を観て、「これだ!」と思い自ら劇団を探しました。
父親は会社員で劇団に入れるほどの金銭的余裕もなかったことから、祖父に「自分が調べた一番安い劇団だから」と言ってお願いをすると祖父は喜んでお金を出してくれました。
ちなみに父親は後に一部上場企業の会社の社長となっています。
そして9歳の時に芸能界入りをして、5代目の「あばれはっちゃく」を射止めることができたと言います。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「子役時代の『あばれはっちゃく』では役の上では小学6年生で、周りもその年代ばかりなのに、僕だけ実年齢は小学3年生。それくらい子供の頃からでっかかったんです。その後も本来より年上だったり、逆に若い役というのが多いですね。」
撮影の際には父親が電車で一緒に送ってくれていましたが、この時に「ああ、親父はこうやって毎日、こんな満員の電車に乗ってるんだな」と知ったと同時に酒井さんは父親のようなサラリーマンにはなれないと感じて、別の道を歩もうと思いました。
また人気番組だったことから4代目主役を務めていた子たちは学校でいじめられる子もいた中、酒井さんは全て想定内だったことから「どうもどうも!」と返しており、いじめに遭うことはありませんでした。
とは言え自宅にいたずら電話がかかってきたり窓ガラスが割られることがあったため、自身の夢が叶っても家族に迷惑が掛かっていると思い芸能活動を休止しています。
また学校にもあまり行けないことが多かったことから、成績表は1や2ではなく斜線だったことにもショックを受けて芸能活動を休止することにしました。
当時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「全然行けなかった。だから小3の時の通知表がね、よくできる・できる・ふつうの3段階評価なんですけど、でも僕のは項目の所に斜線が引いてあるだけなんですよ。結局、学校に来てないから評価できないって言われて、それにガーン!っときて一度辞めちゃうんです。」
記事引用:ロフトプロジェクト
小学校6年生の時に大阪府吹田市から千葉県白井町に転居しています。
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酒井一圭の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:不明
酒井一圭さんの出身中学校は不明です。
当時は千葉県白井町に在住しており、現在の白井市内の公立中学校に通学していました。
酒井さんは中学3年生のときに人生ではじめてデートを経験しました。
酒井さんは幼少期から親戚の影響で競馬に親しんでいたことから、中学時代もかなり競馬にのめり込んでおり、次のように話しています。
「人生初のデートは中3の時で銀座で映画を2本見た。この日はオグリキャップが有馬記念を勝った。ラストランと大観衆のオグリコール。ナマ観戦をしたかったけど、中3で彼女と中山競馬場にはさすがに行けなかった…。」
記事引用:日刊スポーツ
なお前記の通り酒井さんは小学校時代は子役として活動していましたが、その後の転居などがあったことから中学時代はいっさい芸能活動をおこなっていませんでした。
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酒井一圭の学歴~出身高校(千葉県立柏西高校)・大学の詳細
出身高校:千葉県 柏西高校 偏差値55(中の上)
※現在は柏の葉高校
酒井一圭さんの出身高校は、県立の共学校の柏西高校です。
この高校は1986年開校の中堅県立高校でしたが、2007年に柏北高校と統合されて柏の葉高校になっています。
後述するように酒井さんは子役として芸能活動をしていましたが、高校時代は芸能活動を休止をして学業に専念をしていました。
しかし高校2年生の時にまた芝居をやりたくなり、小劇団に所属をしました。
すると映画「横浜ばっくれ隊」に出演することが決まり、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「高校2年生になって……長いこと芝居から離れてたから、もう一回修行しようと思って小劇団に入るんです。それがきっかけになって、ばっくれ隊の話が来たんですよね。」
記事引用:ロフトプロジェクト
この映画はヤンキーの話だったことから、当時酒井さんはパンチパーマに切り込みを入れたような髪型でした。
結果的に撮影中に卒業アルバムの撮影も重なったことから、卒業アルバムの写真はヤンキー姿になってしまったようです。
【主な卒業生】
西原翔吾(声優)
木内泰史(ドラマー・サンボマスター)
大学には進学していない
酒井さんは高校卒業後は大学などには進学しておらず、芸能活動に専念しています。
高校卒業後のことについてインタビューで次のように話しています。
「土方のバイトをしながら稽古に通ってました。“人間の翼”で戦争映画を経験して、“シン・レッド・ライン”の日本兵役も演ったり。でも基本的には、ばっくれのヤンキーより余っ程悪い、酷っいことをしてました(笑)。」
記事引用:ロフトプロジェクト
酒井さんは高校を卒業後は主に俳優として活動しています。
当時はわき役として数々の映画やテレビドラマに出演しています。
1998年にはハリウッド映画「シン・レッド・ライン」にも出演しています。
2001年にはスーパー戦隊シリーズの「百獣戦隊ガオレンジャー」に出演しています。
そして33歳だった2008年に、歌謡グループ「純烈」を結成してリーダーに就任しています。
所属する「純烈」はスーパー銭湯などで地道な営業活動を続けて、2010年にファーストシングル「涙の銀座線」でメジャーデビューを飾っています。
すると2018年にリリースした9枚目シングル「プロポーズ」がロングセラーとなってブレイクしています。
この年にはNHKの紅白歌合戦にも初出場しています。
以降も「純烈」はヒット曲をコンスタントにリリースして、安定した人気を誇っています。
酒井さんはグループでの活動の傍らで、プロデューサーや作詞家としても活動しています。
以上が「純烈」酒井一圭さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は俳優やプロレスラーとして活動していました。
その後に純烈を結成すると10年がかりで人気グループになっています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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