矢沢永吉の学歴|出身高校中学校や大学の偏差値と学生時代

 

矢沢永吉(やざわ えいきち)

 

 

1949914日生

身長180

血液型はB型

 

広島県広島市出身のミュージシャン、シンガーソングライター

本名同じ、愛称は「永ちゃん」

 

以下では矢沢永吉さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

経歴/プロフィールの詳細

 

1968年から横浜の中華街などで働きながらバンド活動をはじめる。 

1972年にジョニー大倉らとともにロックバンド「キャロル」を結成し、1STシングル「ルイジアナ」でデビュー。 

「キャロル」は瞬く間に人気バンドとなるが、1975年にメンバー間の軋轢がもとで解散。 

同年の「I LOVE YOU, OK」でソロデビューを果たすと、以降も「時間よ止まれ」や「YES MY LOVE」などのヒット曲を数々とリリース。 

1994年のドラマ「アリよさらば」で初主演して、「時よ止まれ」や「雨に眠れ」などのドラマにも出演。 

2009年と2012年のNHK紅白歌合戦にゲスト出演。 

2009年に主演したドキュメンタリー映画E.YAZAWA ROCK」が公開された。 

私生活では前妻の間に二男一女、現在の妻との間にも二男一女の子どもがおり、娘の矢沢洋子は歌手。

 

学歴~出身高校・大学の詳細

 

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出身高校:広島電機大学附属高校 偏差値不明

※市立広島工業高校の定時制に転校して卒業

 

 

矢沢永吉さんの出身校は、私立の共学校の広島電機大学附属高校です。

 

同校は1999年に広島国際学院高校に改称しています(偏差値は44)が、矢沢さんが在籍していた当時のレベルなどは不明です。

 

ただし当時の同校は商業科などを設置していたことから、決してレベルは高くはなかったはずです。

 

詳細は後述しますが当時の矢沢さんは父方の祖母の下で暮らしていました。

 

また当時の暮らしはかなりシビアで中学時代に引き続き、矢沢さんは高校時代もアルバイトをしています。

 

著書では当時について次のように述べています。

 

「本当に貧乏だったけど、おばあちゃんは教えてくれた。誰にも頼ることなく、自分の力で金を稼いでそれで食べていくのが一番カンファタブルなんだってことを」

 

また中学時代に音楽に目覚めたことから、高校1年生の時には「将来歌手になってBIGになる」と決意しています。

 

また高校は途中から定時制の高校に転校していますが、仕事の都合での転校と思われます。

 

(高校時代)

 

【広島電機大学附属高校の主な卒業生】

クロちゃん(安田大サーカス)

獣神サンダーライガー(プロレスラー)

 

そして矢沢永吉さんは高校卒業後は大学などに進学せず、ミュージシャンになることを目指して上京しています。

 

高校卒業と同時に卒業証書を破り捨てて夜行列車で上京して、横浜などで下積み生活をはじめています。

 

当時はチャイナタウンなどでアルバイトをしながら、音楽活動をしていました。

 

ちなみに矢沢さんは20歳の時に自分と父親を捨てて蒸発した母親に再会していますが、顔を合わせた瞬間に2人で泣き出してしまったエピソードが残っています。

 

その際について矢沢さんは「オフクロに会ったら殺してやる気持ちを持っていたのに、20歳を過ぎて再会したら全部許せちゃった」と著書に綴っています。

 

当時は歌謡曲やフォークソングが主流でロックが商業的に受け入れられなかった時代にも関わらず、23歳でキャロルを結成してデビューすると一大ムーブメントを起こしています。

 

 

キャロルはわずか3年ほどで解散しましたが、その後はソロとなりますが高い人気を誇っています。

 

 

さらに1994年にはテレビドラマ「アリよさらば」に主演するなど、俳優としても活動を開始。

 

 

また缶コーヒーの「BOSS」をはじめとして、数々のCMにも起用されています。

 

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学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:広島市立中広中学校 偏差値なし

 

 

矢沢永吉さんの出身中学校は、地元広島市内の公立校の中広中学校です。

 

ただし当時の矢沢さんは親戚をたらい回しになっていたので、他校にも通学したとの情報もあります。

 

中学時代も新聞配達などのアルバイトをしています。

 

(中学時代)

 

そして中学2年生の時にラジオで聴いた「ザ・ビートルズ」のサウンドに衝撃を受けています。

 

そのためエレキサウンドに夢中になって、当時のワル仲間と学校をさぼってエレキ・コンテストなどを見に行っています。

 

またエレキギターを買うお金はなかったことから、エレキを買ったクラスメイトの家にも入り浸ったそうです。

 

なお当時の矢沢さんは不良でしたが、近所の妊婦が「ナマコを食べたい」との話を聞いて、わざわざ海に行ってナマコを獲ってくるなど心優しいエピソードも残されています。

 

また中学3年生の時に同じクラスの女子に恋心を抱いて、文通もはじめています。

 

矢沢さんはそれがきっかけで不良をやめて、高校進学のために勉強もはじめたとのこと。 

 

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学歴~出身小学校の詳細

 



 

出身小学校:広島市立大芝小学校

 

 

矢沢永吉さんの出身小学校は、地元広島市内の公立校の大芝小学校です。

 

なおこの小学校を卒業するまでに複数校に通学しています。

 

家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。

 

ただし父親には前妻の間に息子と娘がいました(いずれも原爆投下の際に亡くなっている)。

 

父親は自転車店を経営していましたが、原爆の投下で店を失っています。

 

そして矢沢さんは3歳の時に母親が蒸発し、小学校2年生の時に原爆の後遺症で父親を亡くしています。

 

そのため幼少期は親戚をたらい回しにされて、その後は父方の祖母に育てられましたが、極貧の学生生活を送っています。

 

小学校の月謝が払えず、遠足でも新聞紙で作ったリュックを持っていくほどでした。

 

また小学校時代はいつも空腹で、グローブも買えなかったことから野球もできませんでした。

 

また新聞配達は小学校6年生の頃からはじめています。

 

そのため矢沢さんは小学校時代から金持ちになることを決意したと著書に記しています。

 

「絶対に金持ちになってやろうと思ったよ。金さえあればなんでも手に入ると思った」

 

以上が矢沢永吉さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

もはや説明不要の「伝説のロッカー」ですが、子供の頃から学生時代にかけてはかなりの苦労を重ねていることがわかります。

 

またその後は本人の負けん気の強さと根性で、ロック界のスーパースターにまで上り詰めています。

 

 

ファンからは依然として絶大な支持を集めていますので、末永い活躍を期待したいです。

 

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