フリーアナウンサーの安東弘樹さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は安東さんは実家が貧乏で、高校時代からアルバイトに励んで家計を支えていました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
安東弘樹(あんどう ひろき)
1967年10月8日生
身長166㎝
血液型はB型
神奈川県横浜市出身のフリーアナウンサー、タレント
元TBS所属
本名同じ
以下では安東弘樹アナウンサーの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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安東弘樹の学歴まとめ
出身大学:成城大学 法学部
出身高校:横浜市立桜丘高校
出身中学校:横浜市立汲沢中学校
出身小学校:横浜市立汲沢小学校
安東弘樹の学歴~出身小学校(横浜市立汲沢小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 横浜市立汲沢小学校
安東弘樹さんの出身小学校は、地元横浜市内の公立校・横浜市立汲沢小学校です。
家族構成は両親と弟、妹の4人家族です。
5歳の時には父親がスペインの王立音楽院に留学したため、安東さんもスペインで過ごしています。
当時は父親が学生だったことからお金がなく食生活を含めて大変な思いをしたようですが、面白い経験だったと振り返っています。
ちなみに当時は卵かけごはんとカップラーメンばかり食べていました。
またこの頃から両親はよく喧嘩をしていたので、幼いながらに弟を守らなければいけないという責任感が生まれていたことを明かしています。
なお安東さんは現地で一緒に遊んでいたスペイン人の女の子に恋をしています。
7歳の時に両親が離婚をしており、以降は母子家庭という環境で育ちました。
両親が離婚後は弁護士をしていた祖父の家で過ごしていたため、金銭的に余裕もありました。
しかし小学4年生の時に祖父が亡くなって以降は経済的にも大変な思いをしています。
また小学生の頃に戦争時代の話を聞いてテレビ局を志すようになっており、インタビューでは次のように語っています。
「当時の日本人が、嘘の放送を、負けてるのに勝ってるって放送を聞いて『もうちょっと我慢すれば勝てる』と信じてみんな邁進していったのを知った時に、これはマズいなと思って、メディアに行きたいなと思ったんです。伝える側に」
安東弘樹の学歴~出身中学校(横浜市立汲沢中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 横浜市立汲沢中学校 偏差値なし
安東弘樹さんの出身中学校は、地元横浜市内の公立校・横浜市立汲沢(ぐみざわ)中学校です。
中学時代は野球部に在籍をしていました。
安東さんは金銭的に苦労をしていたことから、中学生の頃には友人から飴を1個もらうことも躊躇してしまったそうです。
このことについて良く言えば人に迷惑をかけたくないという性格ですが、悪く言えば人に借りを作りたくなかったと話していました。
お金がなかったため借りを作ってもどうやって返せばよいのか分からなかったようです。
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安東弘樹の学歴~出身高校(桜丘高校)の詳細
出身高校:神奈川県 桜丘高校 偏差値62(やや難関)
安東弘樹さんの出身高校は、市立の共学校の桜丘高校です。
同校は1926年開校の公立校で、古くから進学校として知られています。
安東さんはこの高校には奨学金を受けて進学しています。
高校時代も弓道部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
安東さんはどの部活に入ろうか迷っていた時にかっこいい先輩と可愛い先輩が来て、「弓道をやらない?」と誘われています。
そして見学をしたところ弓道場の両側が桜で、桜が散っている中で弓が当たると良い音がしたことから導かれるままに弓道部に入部をしました。
安東さんは中学を卒業して以降は母親から何かを買ってもらった記憶がなく、高校時代はすでにアルバイトをしながら家族を養っていたことをインタビューで明かしています。
当時ははカマボコ工場やトラックの助手などのアルバイトをしています。
前記のように部活動もしていたことから、高校時代の睡眠時間は2、3時間ほどでした。
加えて安東さんは高校時代から女子に人気があり、学内のミスターコンテストで1位になったばかりか、他校にファンクラブができるほどの人気ぶりでした。
【主な卒業生】
石塚英彦(タレント)
おすぎとピーコ(タレント)
板野成美(グラビアアイドル)
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安東弘樹の学歴~出身大学(成城大学)の詳細
出身大学:成城大学 法学部 偏差値60(当時・やや難関)
安東弘樹さんは高校卒業後は、成城大学に進学しています。
在籍したのは法学部です。
なお現在の同大の法学部の偏差値は55程度ですが、安東さんが在籍した当時のほうがレベルが上でした。
大学時代は体育会の弓道部に在籍をしており、部活動にも打ち込んでいました。
また弓道部では主将も務めており、リーダーシップを発揮していました。
前記のように安東さんの実家の経済状況はよくなかったことから、大学時代はアルバイトを2つ掛け持ちして家計を支えており、睡眠時間を削って生活していたことを明かしています。
安東さんは講義に出席をした後は部活の練習に参加をして、夜間のアルバイトに行く生活をしていました。
小学生の家庭教師をしたり、20時から朝まで食品工場の製造管理のアルバイトをおこなっていたようです。
また大学が長期休みになったときには宅急便の配達など仕事を詰め込んでいたといいます。
この頃は自分のものはほとんど買うことはありませんでしたが、唯一48万円のローンで購入したのがホンダの「シティ ターボII」でした。
そして夜中のアルバイト後にはそのままドライブに走りに行っていたことを明かしています。
前記のように安東さんは小学校時代からテレビ局に就職をしたいと考えていました。
一般職や記者、ディレクター職の入社試験も受けていますが、全局落ちてしまいアナウンサーでしか合格できなかったとインタビューで語っています。
とは言えアナウンサー試験では複数のテレビ局から内定をもらっていたようです。
そして大学を卒業した1991年に、TBSにアナウンサーとして入社しています。
同期入社は秋沢淳子さんです。
TBSに入社するときに人事部で祖母と母親、弟、妹の扶養家族の申請をしたところ非常に驚かれたことを明かしています。
TBSにアナウンサーとして入社後は、同局の人気番組を歴任しました。
そのため看板アナウンサーのひとりとなっています。
38歳だった2005年には、タレントの川幡由佳さんと結婚しています。
安東さんはTBSではアナウンス部の次長を務めるほどでしたが、50歳の節目を迎えた2018年に退社してフリーアナウンサーに転身しています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらでは愛車の動画が人気になっています。
以上が安東弘樹アナウンサーの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
TBS時代はイケメンアナウンサーとして高い人気を誇りました。
フリーアナウンサーに転身後はテレビ番組のほか、ラジオ番組のパーソナリティも務めています。
幅広い層からの高い人気を誇る人物だけに、今後の活動にも注目です。
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経歴/プロフィールの詳細
1991年4月にTBSにアナウンサーとして入社して、同期には秋沢淳子アナらがいる。
当初はスポーツ系の番組を多く担当し、1996年4月から「王様のブランチ」の進行役を務める(2001年9月まで)。
1998年10月よりバラエティー番組「アッコにおまかせ」の進行を担当(2014年9月まで)。
他にも「ひるおび!」や「ピンポン」などの番組を担当。
2018年3月限りでTBSを退職して、フリーアナウンサーに転身。
私生活では2005年に、「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターを務めたタレントの川幡由佳と結婚し、2人の息子がいる。
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