石井優希の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値とかわいい学生時代の画像

 

バレーボールの石井優希さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。日本代表としても活躍している石井さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

石井優希(いしい ゆうき)

 

 

1991年5月8日生

身長180㎝

血液型はA型

 

岡山県倉敷市出身のバレーボール選手

 

以下では石井優希さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

石井優希の学歴~出身高校・大学の詳細

 

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出身高校:岡山県 就実高校 普通科 偏差値46(やや容易)

 

 

 

石井優希さんの出身高校は、私立の女子校(当時)の就実高校です。

 

この高校は1904年開校の私立高校で、バレーボール部が全国大会の常連です。

 

また石井さんが在籍した当時は女子校でしたが、2009年に男女共学化されています。

 

なお現在は特別進学コースを設置して偏差値も上昇しています(偏差値は52~71)、当時はこのようなコースはなく、現在よりもレベルは下でした。

 

石井さんは高校時代はバレーボール部に在籍しており、高校3年生のときには主将を務めています。

 

 

石井さんはこの高校へは自宅から通える距離だったようですが、バレーボールに本格的に打ち込むために寮に入って練習漬けの高校生活を送っていました。

 

また学生時代の憧れのバレーボール選手は、木村沙織さんだったことをインタビューで話しています。

 

石井さんは高校生のときには携帯電話を持ってはいけなかったそうで、恐らくこの高校のバレーボール部で携帯電話が禁止されていたようです。

 

そのため文通などをしていたとインタビューで話していました。

 

 

石井さんは春高バレーに出場しており、高校1年生のときにはベスト16という成績を残しましたが、高校2年生のときには2回戦敗退でした。

 

また高校時代はインターハイや国体にも出場していますが、それほど目立った成績を残したわけではありませんでした。

 

 

【主な卒業生】

塩村文夏(政治家)

荒牧陽子(モノマネタレント)

有森裕子(元陸上選手)

 

なお石井さんは高校卒業後は大学などに進学はせずに、2010年に久光製薬スプリングスに入団をしています。

 

実業団入団後は急成長して、チームでは1年目から主力選手として活躍しています。

 

 

そのため翌年の2011年には初の日本代表に選出されており、同年5月にはスイスで開催された「モントルバレーマスターズ」で国際試合デビューを果たしています。

 

また2013年には「ワールドグランドチャンピオンズカップ」で銅メダルに貢献しました。

 

2014年にはリオデジャネイロオリンピックにも出場しています。

 

 

このように石井さんは長らく日本代表として活躍しており、年齢的にもチームをけん引する存在です。

 

 

 

オリンピックなどでの活躍も期待されています。

 

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石井優希の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:岡山県 倉敷市立東陽中学校 偏差値なし

 

 

 

石井優希さんの出身中学校は、地元岡山県倉敷市内の公立校の東陽中学校です。

 

この中学校でバレーボール部に在籍していました。

 

1学年上の姉も同じくバレーボール部に在籍しており、一緒にプレーをしていました。

 

石井さんは当時もアタッカーで姉はセッターだったことから、姉の上げるトスを打つのが好きだったと話しています。

 

中学3年生のときに岡山県選抜としてJOC杯に出場しており、優秀選手に選ばれています。

 

このときに監督から「頑張ったら日本代表になれる」と言われたそうで、その言葉は石井さんにとってとても励みになったようです。

 

後述するように石井さんは小学生の頃から将来は保育士になりたいという気持ちもあったそうで、中学時代のボランティア活動や職場体験では保育園や小学校の授業体験を選択したそうです。

 

【主な卒業生】

山崎夕貴(アナウンサー)

 

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石井優希の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:岡山県 倉敷市立茶屋町小学校

 

 

 

石井優希さんの出身小学校は、地元倉敷市内の公立校の茶屋町小学校です。

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

家族仲はとても良好で石井さんは「無人島に一つ持っていくものは?」という質問に、「お父さん」と答えるほどです。

 

また母親や姉とは休日にカフェデートやカラオケに行ったりもするそうで、SNS上では「家族が好き」と公言しています。

 

石井さんはバレーボールをはじめたきっかけについて、インタビューで次のように話しています。

 

「母親が生後2ヶ月ぐらいからママさんバレーをしていて、いつもついていっていました。そこに小学校の監督が来ていて、招待をされたのがきっかけです。」

 

そして小学2年生のときから母親のチームメイトが監督をしているスポーツ少年団に入り、バレーボールをはじめています。

 

また小学4年生からバレーボールをはじめた姉と共にプレーをしていたそうです。

 

石井さんはこのスポーツ少年団ではチームのキャプテンも任されていました。

 

毎日の練習がとても楽しく、落ち込むこともすくなかったそうです。

 

また石井さんの小学生の卒業文集で題名は「保育士になりたい」でしたが、最後の方には「バレーボール選手になりたい」と書いており夢が変わっていたと話していました。

 

以上が石井優希さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

実業団入り後は順調にキャリアを重ねて、Vプレミアリーグで何度もチームを優勝に導いています。

 

 

また10年にわたり日本代表としてもプレーしています。

 

今後のさらなる活躍にも期待ですね。

 

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