女優でタレントの斉藤慶子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は斉藤さんは勉強が得意で、国立大学に進学していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
斉藤慶子(さいとう けいこ)
1961年7月14日生
身長164㎝
血液型はA型
宮崎県小林市出身のタレント、女優
本名同じ(結婚前)
以下では斉藤慶子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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斉藤慶子の学歴まとめ
出身大学:熊本大学 教育学部(中退)
出身高校:宮崎県立小林高校
出身中学校:小林市立細野中学校
出身小学校:小林市立細野小学校
斉藤慶子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:宮崎県 小林市立細野小学校
斉藤慶子さんの出身小学校は、地元小林市内の公立校の細野小学校です。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
父親は元地方公務員をしており、後に養魚場経営しています。
子供の頃はキャンディーズのランちゃんの大ファンだったそうです。
また子供の頃は一重瞼だったそうです。
斉藤さんはピアノを特技の一つにあげていることから、子供の頃からピアノを習っていた可能性が高いでしょう。
斉藤慶子の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:宮崎県 小林市立細野中学校 偏差値なし
斉藤慶子さんの出身中学校は、地元宮崎県小林市内の公立校の細野中学校です。
中学時代は吹奏楽部に在籍しており、クラリネットを担当していました。
スポーツは苦手でしたが勉強はできたようで、体育以外の教科の通信簿の成績はほとんど5だったそうです。
また中学時代の卒業式では司会を務めました。
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斉藤慶子の学歴~出身高校の詳細
出身高校:宮崎県 小林高校 偏差値54(普通)
斉藤慶子さんの出身高校は、県立の共学校の小林高校です。
同校は1921年設立の県立校で、駅伝部が全国的な強豪として知られています。
タレントの片平夏貴さんとはこの高校の同級生でした。
また斉藤さんは高校時代は進学クラスに在籍したことをインタビューで明らかにしています。
高校時代は天文部に在籍していました。
また成績が良かったことから一番良いときでは期末テストで、360人中2位の成績を取ったことがあります。
高校3年生のときに両親が別居しており、後に離婚をしています。
斉藤さんは高校生のときには九州大学薬学部を目指していたことから、夜9時頃に寝て夜中に起きて朝まで1日5時間ほど勉強していたようです。
テレビも1日15分ほどしか見ていなかったそうです。
また斉藤さんの得意科目は英語と数学でした。
当時の斉藤さんの将来の夢は薬剤師になることだったそうです。
母親は教育ママだったことから「週に50時間勉強しなさい」と言われており、お風呂に入る時間も惜しんで勉強していました。
そのため高校時代は勉強漬けの日々だったことから男子と交際はしたことがないそうです。
また運動神経があまりよくなかったことから、高校に入学するまで自転車に乗ることができなかったそうです。
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斉藤慶子の学歴~出身大学の詳細
出身大学:熊本大学 教育学部(中退) 偏差値55(中の上)
斉藤慶子さんは高校卒業後は、国立の熊本大学に進学しています。
前記のように斉藤さんは九州大学薬学部が第一希望でしたが、一次試験での点数が足りなかったことから断念し合格圏内だったこの大学に進学しています。
大学ではマンドリンクラブに在籍していました。
また大学時代は家庭教師のアルバイトをしています。
大学では心理学を専攻しており当初は教師を目指していましたが、第一志望の大学でなかったこともあり勉強に対する意欲がなくなってしまったようです。
大学1年のときにスカウトされて熊本の鶴屋デパート「鶴屋百貨店」のポスターのモデルを務めてCMにも出演経験があります。
また雑誌「週刊朝日」の表紙モデルとしても起用されました。
大学3年生だった1982年には「JAL沖縄キャンペーンガール」に800人の中から選ばれています。
ちなみにこのオーディションを受けたのは、鶴屋百貨店の広告の撮影のために上京したことがきっかけだったとインタビューで明らかにしています。
「大学に入学してすぐ、地元の「鶴屋」というデパート(鶴屋百貨店)でモデルのアルバイトをすることになり、広告やチラシの撮影のために初めて東京に行きました。その時に、私の担当の方が「こんな子が熊本にいるよ」と東京のモデル事務所に紹介してくれて、オーディションを受けることになって」
斉藤さんは芸能界入りしたことから大学は中退しています。
ちなみに芸能界入りする前の夢は、スチュワーデスでした。
そのため芸能界入りした後も願書を出したことがあるそうです。
また芸能界入りした当初は同じ熊本大学出身の宮崎美子さんが活躍していたので、「宮崎美子2世」とも呼ばれていました。
加えて当時の「女子大生ブーム」も追い風になって、斉藤さんはデビュー当初から注目を集めていました。
そのため以降は女優やタレントとして数々のテレビ番組に出演しています。
また芸能界入りした1982年には、歌手デビューも飾っています。
ただし歌手としてはヒット曲に恵まれずに、2年間ほどの活動でした。
またその他にも若い頃はグラビアでも引っ張りだこで、数々の週刊誌のグラビアを飾っています。
現在でも根強い人気を誇っており、今後の活動にも期待ですね。
以上が斉藤慶子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
デビュー当初から注目されて、若い頃はテレビドラマやバラエティ番組に引っ張りだこでした。
最近ではタレント活動が中心になっており、ドラマや映画への出演は減っていますが、根強い人気を誇るだけに末永い活躍を期待したいものです。
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経歴/プロフィールの詳細
1982年にJALの「沖縄キャンペーンガール」に起用されて芸能界入り。
同年の「おにいちゃん」でテレビドラマ初出演し、1stシングル「もの想いシーズン」で歌手デビュー。
1983年4月から川島なお美の後任として、ラジオ番組「ミスDJリクエストパレード」の曜日レギュラーを務める(1984年3月まで)
同年の「いとしのラハイナ」で映画初出演。
1989年の「火曜サスペンス劇場」でドラマ初主演。
1997年の「おんなは全力疾走」で連続ドラマ初主演。
当初からタレントとして活動しており、「クイズダービー」や「クイズところ変われば?」などにレギュラー出演。
私生活では1997年に実業家男性と結婚し、2000年に長女を出産するも2008年に離婚。
2011年に15歳年上の実業家男性と再婚した。
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