女優の原日出子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は原さんは学校を中退してまで入所した劇団四季の研究所で落第した過去の持ち主でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
原日出子(はら ひでこ)
1959年11月10日生
身長156㎝
血液型はO型
東京都出身の女優、タレント
本名は馬籠法子(結婚前)
以下では原日出子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
経歴/プロフィールの詳細
当初は劇団四季の研究生。
1979年の映画「夕焼けマイウェイ」で女優デビュー。
1980年の「特捜最前線」でテレビドラマ初出演。
1981年にNHKの朝ドラ「本日も晴天なり」のヒロインに抜擢されてブレイク。
同時期に歌手としてもデビューして、シングル3枚をリリースしている。
以降は数多くの作品に出演しており、テレビドラマの代表作は「徳川家康」や「3年B組金八先生シリーズ」、「信濃のコロンボシリーズ」など。
「雪の花」や「育子からの手紙」などの映画に主演している。
私生活では1983年に一般人男性と結婚したが、1987年に離婚。
1994年に俳優の渡辺裕之と再婚した。
原日出子の学歴~出身高校・大学の詳細
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出身高校:東京都 久留米西高校 偏差値46(やや容易)
原日出子さんの出身高校は、都立の共学校の久留米西高校です。
この高校は1973年開校の中堅都立高校です。
また同校は部活動が盛んで、サッカー部は都立の強豪として知られています。
原さんはこの高校に2期生として入学しています。
高校時代はサッカー部のマネージャーを務めていました。
その傍らで演劇部や映画研究部、ギター部などにも在籍していました。
また生徒会の役員を務めており、かなりアクティブに活動しています。
原さんは高校1年生のときに演技に興味を持ったそうで、そのきっかけについてインタビューで次のように話しています。
「演技に興味を持ち始めたのは高校1年の文化祭。演劇部の人が足りず、部長に『手伝ってくれないか』と頼まれて照明係のお手伝いをして『楽しそうだな』と思ったのがきっかけでした。」
文化祭では唐十郎「少女仮面」を上演したところ、他校からも依頼が来るほど評判が良かったそうです。
これがきっかけで演技が楽しくなり演劇部にも顔を出すようになったそうです。
原さんは高校時代はバスケットボール部に在籍していた内藤裕敬さんが好きだったそうです。
またピンクレディーの曲を踊って昼休みには教壇で披露をしたり、高校2年生の時にはロックバンドを組んでボーカルを担当するなど充実した高校生活を送っていました。
【主な卒業生】
真島昌利(ミュージシャン・クロマニヨンズ)
宙也(ミュージシャン)
鈴木マナツ(漫画家)
なお原さんは高校卒業後は、日本工学院専門学校演技科(偏差値なし)に進学しています。
この専門学校は1976年開校で、ミュージシャンやゲームクリエイター、声優や漫画家などを養成しています。
原さんは高校時代に演技に興味を持ったので、親には内緒でこの専門学校に進学しています。
女優の阿知波悟美さんとはこの専門学校での同級生で、よく家に泊まりに行ったりするほど仲が良かったそうです。
この専門学校にはプロ意識が低い人が多く、目標を持たず入学してきた人が多かったそうで原さんは物足りなさを感じてしまいます。
そこで先生に無理を言い、2年生に交じる形で劇団四季研究所の試験を受けたところ1年生だった原さんだけ合格したそうです。
この時の劇団四季のオーディションの合格率は500倍でした。
ただし当時は劇団四季の舞台をほとんど見たことがありませんでした。
「ダンスも歌も好きで「劇団四季がいいな」という憧れがあったのですが、実際は四季の舞台もほとんど見たことがなかったんです」
そして原さんは劇団四季研究所に入るために、専門学校を1年生限りで中退しました。
専門学校を中退してまで入所した劇団四季の研究所ですが、原さんは歌のテストが1点足りずにまさかの落第になっています。
このあたりの経緯についてインタビューで次のように話しています。
「研究所では頻繁にテストがあるのですが、私は歌のテストの点が1点足りなかっただけで落第。歌を失敗した自覚がなかったので、「納得がいかない」と言いにいったら、「君は四季には向かない。辞めてほかで頑張りなさい」と先生に言われました」
そのため原さんは劇団四季の正規団員になることなく、わずか半年間で研究所を去っています。
ただしこの経験が反骨精神につながったそうです。
その後はアルバイトをしながらオーディションを受け続け、21歳だった1980年にはテレビドラマ「元気です!」に出演しています。
このドラマのヒロインのオーディションでは宮崎美子さんに敗れましたが、ライバル的な役柄で起用されています。
そして原さんは1981年にNHKの朝ドラ「本日も晴天なり」のヒロインに起用されています。
この作品のヒロインに決定した際には家族全員で驚いたそうです。
「両親に「朝ドラのキャストに決まりました。これからお嬢さんを預からせていただきます」と伝えられ、家族は「そうなんだ。よかったね」という雰囲気。でも、私は主役に受かったと思っていなかったので、お話を一通り伺った後に「ところで何の役ですか?」と聞いたら、「ヒロインに決まったんですよ」と言われ、家族みんなでびっくりしましたね」
とは言え原さんはこのテレビドラマへの出演で、女優としてブレイクしています。
ちなみに同時期に歌手としても活動していましたが、ヒットに恵まれずに2年ほどで歌手活動はやめています。
また1994年に俳優の渡辺裕之さんと再婚した際には、大きな話題になっています。
以降も人気女優として数々の話題作に出演しています。
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原日出子の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:東京都 武蔵野市立第四中学校 偏差値なし
原日出子さんの出身中学校は武蔵野市内の公立校の第四中学校です。
中学時代は剣道部に在籍しており、部活動に励んでいます。
剣道部には先輩から誘われて入部しています。
原さんは気が強かったようで、男子の先輩部員と喧嘩をして退部させています。
【主な卒業生】
岸谷五朗(俳優)
桐野夏生(作家)
箕輪はるか(お笑い・ハリセンボン)
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原日出子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:東京都 小平市立小平第三小学校
原日出子さんの出身小学校は、小平市内の公立校の小平第三小学校です。
父親は不動産会社に勤務をしており、母親は看護師でした。
原さんが育った家庭は決して裕福と言える家庭ではなく、カメラなど買えなかったことから子供の頃の写真はあまりないそうです。
また銭湯代として8円をねだった際に母親が泣きだしてしまったことから、裕福でないことを知りそれ以降は物をねだることはなかったそうです。
原さんが小学5年生の時に7歳年上の姉は亡くなっており、インタビューで次のように話しています。
「私が女優の道に進むことをすすめてくれたのが姉でした。原日出子は芸名なのですが、原は異父だった姉の名字からとったものです。姉が亡くなったとき、私は小学生だったので現実を理解できませんでした。自分が18歳になったとき、人生でこれほど楽しい時期に死んでしまう辛さを痛感しました。」
原さんは子供の頃から歌ったり踊ったりすることが大好きだったそうですが、お芝居にはあまり興味がなかったそうです。
原さんは毎日暗くなるまで一人で遊んだりと活発な子供だったことから、生傷が絶えなかったそうです。
また行方不明になることもあり、何度か警察に保護をされたこともありました。
以上が原日出子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
21歳でNHKの朝ドラに出演してブレイクすると、以降は数々の話題作のテレビドラマや映画に出演しています。
主演作こそ多くないものの、確かな演技力で作品に花を添えています。
またタレントとしても活動しており、クイズ番組やバラエティー番組にもたびたび出演しています。
現在でも根強い人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待したいところです。
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