歌手の倉木麻衣さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。数々のヒット 曲で知られる倉木さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
倉木麻衣(くらき まい)
1982年10月28日生
身長155㎝
血液型はB型
千葉県船橋市出身の歌手
本名は青野麻衣
以下では倉木麻衣さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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倉木麻衣の学歴まとめ
出身大学:立命館大学 産業社会学部
出身高校:聖徳大学附属高校→立命館宇治高校
出身中学校:船橋市立前原中学校
出身小学校:船橋市立前原小学校
倉木麻衣の学歴~出身小学校(船橋市立前原小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 船橋市立前原小学校
倉木麻衣さんの出身小学校は、地元船橋市内の公立校の前原小学校です。
家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。
父親は元時代劇俳優でプロデューサーの山前五十洋さんです。
倉木さんは4歳の頃からエレクトーンを習いはじめ、後にピアノをはじめています。
小学校6年生の時にピアノの先生に「歌の方が向いている」と言われたことで、歌うことに興味を持っています。
倉木麻衣の学歴~出身中学校(船橋市立前原中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 船橋市立前原中学校 偏差値なし
倉木麻衣さんの出身中学校は、地元千葉県船橋市内の公立校の前原中学校です。
中学校に進学するとバスケットボール部に仮入部しましたが、朝練についていけなくて正式には入部していません。
また中学生の頃は美術部、合唱部、演劇部などに所属しており、インドア派であることが窺えます。
演劇では市の大会で個人賞を受賞したほどでした。
加えて倉木さんは当時から歌手を目指しており、歌のレッスンを受けていました。
また当時からデモテープを制作して、レコード会社に送っています。
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倉木麻衣の学歴~出身高校(聖徳大学附属高校・立命館宇治高校の詳細
出身高校:千葉県 聖徳大学附属高校 音楽科 偏差値50(普通)
※卒業は立命館宇治高校(偏差値66)
倉木麻衣さんが入学したのは、私立の女子校(当時)の聖徳大学附属高校です。
この高校は1983年開校の聖徳大学の系列の私立高校で、2021年に男女共学化されて現在は光英VERITAS高校に校名が変更されています。
倉木さんは普通科でなく音楽科に在籍していましたが、この高校の音楽科は2021年に生徒の募集を停止しています。
高校生の頃にはデビューを前提としたレッスンに励んでいますが、 当時の同校は芸能活動が一切禁止されていたので、友達などにも内緒で音楽活動をしていました。
デビュー後もしばらくはこの高校に在籍していますが、周囲には徐々にバレていったとのこと。
「ある日、友達が雑誌を持って来て、「これ、麻衣ちゃんじゃないの?」って(笑)誕生日も一緒だし、名前も似てるし、怪しいねって(笑)」
記事引用:BARKS
そのため高校2年生の時にレコード会社からも近い立命館宇治高校のSELコース(スーパーイングリッシュコース:当時)に転校・編入します。
倉木さんは中学時代にその後プロデューサーとなる長戸大幸さんと出会い、高校生になったらアメリカでデビューすることを念頭に英語を猛勉強していたことから、英語に関してはかなり優秀な成績だったようです。
また立命館宇治高校時代は、先生や周囲も協力してくれたことをインタビューで述べています。
「学校自体が、野球で活躍している方がいたり、芸能活動も受け入れてくれる学校だったので。先生方にも協力していただきましたし、みんなも、一学生として見てくれていて」
記事引用:BARKS
そして17歳だった1999年にアメリカでデビューしています。
さらにこの年に日本でも1stシングル「Love,Day After Tomorrow」をリリースし、140万枚の大ヒットとなって一躍人気アーティストになっています。
高校3年生の頃には1stアルバムもリリースしますから立命館宇治高校時代はかなりの多忙を極めたようです。
それでも仕事と学業を両立させて卒業できたのは立派ですね。
(高校時代)
ただし高校3年生の時に両親が離婚しています。
なお大学進学に際しては母親と相談して決めています。
【立命館宇治高校の主な卒業生】
中西学(プロレスラー)
田畑祐一(お笑い・田畑藤本)
竹内アンナ(シンガーソングライター)
久保裕也(サッカー元日本代表)
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倉木麻衣の学歴~出身大学(立命館大学)の詳細
出身大学:立命館大学 産業社会学部 偏差値55(中の上)
倉木麻衣さんは高校を卒業すると、私立大学の立命館大学に進学しています。
この大学の系列の高校に通学していたので、内部進学で進んでいます。
高校時代にブレイクした倉木さんは、当初から大学には進学するつもりだったことをインタビューで明らかにしています。
「でも大学だけはちゃんと出ておきたいという気持ちがあったんですよ。大学に行くことによって、自分の歌の中でもっと違った表現だったり、自分のフィルターを通して歌詞を書くので、新たな刺激を体感できて、糧になっていくという思いがあったので」
記事引用:BARKS
既にアーティストとして大成功を収めたにも関わらず大学に進学したのは、歌手という職業が今後どうなるかわからなかったことと、サークルや合コンなどが楽曲づくりに活きると考えたからです。
また立命館大学の産業社会学部に進学した理由も次のように話しています。
「大学では産業社会学部というところに行って、名前だけ聞くと難しく聞こえますけど、そこは自分の好きなテーマを追求できる学部なんですね。予科の授業で「ライブ空間の考察」をやらせてもらったり、一個人の才能をバックアップしてくれるような大学で、それがすごくいいなと思ったので」
記事引用:BARKS
そのため多忙なスケジュールの中でも、けっこう大学生活は楽しんだようです。
大学時代も4年間にわたり音楽活動をおこなっていました。
それでも学業を頑張って、大学は無事に卒業しています。
以降も歌手として数々のヒット曲をリリースしています。
以上が倉木麻衣さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校時代のデビューは衝撃的で、瞬く間に人気アーティストへと上り詰めていきました。
高校生でデビューしながら、30歳を超えた今でも未だに人気は衰えずに第一線で活躍しています。
年齢的にも円熟期を迎えていますから、さらなる飛躍にも期待が高まります。
倉木麻衣の経歴・プロフィールの詳細
小学生のころに歌手を志し、中学生の時にデモテープをレコード会社に送り、後のプロデューサーとなる長戸大幸に出会う。
1999年に17歳で全米デビューし、「Baby I LIKE」をMay-K名義でリリースする。
同年12月に日本での1stシングル「Love,Day After Tomorrow」をリリースし、140万枚の大ヒットとなる。
2000年1stアルバム「delicious way」を発表し、最終的には400万枚のセールスを記録。
2002年の11thシングル「Winter Bells」が大ヒット。
2003年にNHK紅白歌合戦に初出演し、その後も2005年まで3年連続で出場する。
その後もコンスタントにヒットを飛ばすも、意外なことに2016年12月現在でオリコン1位を獲得したのは、2ndシングルの「Stay by my side」と11thシングル「Winter Bells」のみ。
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