女優の藤田朋子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は藤田さんは高校時代は女優の川上麻衣子さんと同級生でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
藤田朋子(ふじた ともこ)
1965年8月3日生
身長159㎝
血液型はA型
東京都世田谷区出身の女優
本名同じ(結婚前)
以下では藤田朋子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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藤田朋子の学歴まとめ
出身大学:玉川大学 文学部外国語学科
出身高校:玉川学園高等部
出身中学校:世田谷区立梅丘中学校
出身小学校:世田谷区立守山小学校
藤田朋子の学歴~出身小学校(世田谷区立守山小学校)の詳細
出身小学校:東京都 世田谷区立守山小学校
※現在は世田谷区立下北沢小学校
藤田朋子さんの出身小学校は、地元世田谷区内の公立校の世田谷区立守山小学校です。
この小学校は2016年に東大原小学校と統合されて、現在は世田谷区立下北沢小学校になっています。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
父親は印刷会社を経営しており、カメラで家族を撮影することが好きだったそうです。
自身の幼少期についてインタビューで次のように話しています。
「小さいころから歌ったり踊ったりするのが大好きで、宴会場の10センチくらいの舞台や、少しでも高いところがあると、そこに乗りたがるような子どもだったそうです。」
記事引用:Wendy-Net
また幼稚園の頃から高校2年生までピアノを習っていました。
ピアノと並行して小学生の頃には珠算と書道をはじめています。
小学生の頃は放送委員や集会委員を務めており、舞台上から「校庭に集まってください」というのが好きだったようです。
小学生時代には宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に熱中していたため、卒業文集には「宝塚に入りたい」と書いたそうです。
藤田朋子の学歴~出身中学校(世田谷区立梅丘中学校)の詳細
出身中学校:東京都 世田谷区立梅丘中学校 偏差値なし
藤田朋子さんの出身中学校は、地元世田谷区内の公立校の世田谷区立梅丘中学校です。
中学時代は演劇部に在籍していました。
藤田さんはバンドのゴダイゴのファンだったそうで、自身の中学時代についてインタビューで次のように話しています。
「中学時代はゴダイゴの歌の歌詞にある英語に興味を持ちました。英語のbe動詞が何かすら、よく分かっていなかったのですが、英和辞典や英語の同音異義語辞典、熟語辞典などを買って日本語に訳すことに夢中になっていました。日本語訳を中学校の先生に見てもらっていましたが、勉強しているという気持ちはなく、ただ楽しかった記憶があります。」
そしてゴダイゴのヒット曲である「ガンダーラ」の作詞家である奈良橋陽子さんに少しでも近づきたいという思いで、奈良橋さんが運営している英語塾に通いはじめています。
【主な卒業生】
滝沢カレン(タレント)
斎藤工(俳優)
小倉智昭(タレント)
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藤田朋子の学歴~出身高校(玉川学園高等部)の詳細
出身高校:東京都 玉川学園高等部 偏差値50(普通)
藤田朋子さんの出身高校は、私立の共学校の玉川学園高等部です。
同校は自由な校風で、芸能人や有名人の子息が多数在籍していることで知られています。
女優の川上麻衣子さんとはこの高校の同級生で現在でも親友の仲です。
この高校では英語劇部に在籍していました。
中学時代から通っていた英語塾の先生に「玉川学園の英語劇部は活動が盛んだからきっと面白いと思うよ」と言われたことがきっかけで英語演劇に入部しています。
入部後は本格的に演劇を学ぶようになったそうで、当時から女優志望でした。
そして作詞家の奈良橋陽子さんが主宰するMPの公演を観に行った際に「高校生募集」という張り紙を見て、藤田さんはオーディションを受けています。
オーディションには奈良橋さんがおり藤田さんは主役に抜擢されたそうで、「プロが私を選んでくれた」ことが自信と経験になったと語っています。
また高校時代は寄り道などを一切しないほど真面目な生徒だったことから、校内規律実行委員を務めていました。
藤田さんは中学時代から英語は得意だったそうですが、数学と日本史、世界史が苦手で数学においてはテストで0点を取ったこともあったようです。
【主な卒業生】
大鶴義丹(俳優)
石川界人(声優)
池上季実子(女優)
風間杜夫(俳優)
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藤田朋子の学歴~出身大学(玉川大学)の詳細
出身大学:玉川大学 文学部外国語学科 偏差値48(やや容易)
藤田朋子さんは高校卒業後は、玉川大学に進学しています。
この大学の系列の高校に通学していたため、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
大学では外国語学科に在籍して、英語を専攻しています。
また学生英語劇連盟に入って、英語劇の舞台にも立っています。
大学3年生の時にサークルの先輩に勧められたことから、ミュージカル「レミゼラブル」のオーディションを受けて合格をしています。
このオーディションを受けた時には歌のレッスンはほとんど受けたことがなかったそうで、インタビューで次のように話しています。
「近所にイタリア歌曲をやっている先生がいらっしゃったので、そこに通ったことがありましたが『自分にはちょっと合ってないな』と思って1年もしないうちに辞めました。」
記事引用:Wendy-Net
「レミゼラブル」のオーディションにはヨーデル歌手やオペラ歌手など一流の歌い手が集まっており、そんな中で藤田さんはどのジャンルにも属さずにただ音程が正確な声の大きい女性だったそうです。
藤田さんは結局はどのジャンルにも属さなかったことが良かったのだと話しており、もしイタリア歌曲をやっていれば「レミゼラブル」には合格しなかったかもしれないと言います。
大学4年生の時に「レミゼラブル」で女優デビューを果たしています。
このように藤田さんは大学時代から芸能活動を開始していますが、大学はキッチリと卒業しています。
大学時代の卒業論文には「ビートルズのリバプール・ダイアレクトについて」書いたそうです。
すると大学を卒業した1988年には、オーディションを突破してNHKの朝ドラのヒロインに抜擢されています。
このテレビドラマで女優としてブレイクしています。
翌年には歌手デビューも飾っていますが、ヒット曲には恵まれませんでした。
ただし女優としては数々の作品に起用されています。
主演作はほとんどありませんが、その確かな演技力で作品を盛り上げています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらでは主に主婦ならではの話題を発信しています。
以上が藤田朋子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
女優としての活躍は周知の通りで、主演作こそ少ないもののコンスタントに多数の作品に起用されています。
また演技力の高さもあって、様々な役柄を演じ分けています。
現在でも連続ドラマやSPドラマにしばしば出演しているので、今後の活躍にも期待が膨らみます。
経歴/プロフィールの詳細
1987年にミュージカル「レ・ミゼラブル」で女優デビュー。
1988年にNHKの朝ドラ「ノンちゃんの夢」のヒロインに起用されてブレイクを果たす。
1989年に1stシングル「THE WOMAN IN ME」で歌手デビューして、シングル5枚とアルバム3枚をリリースしている。
1990年から「渡る世間は鬼ばかり」に出演して、自身の代表作となる。
同年の「スキ!」で映画初出演。
以降もコンスタントに作品に出演しており、「真夏の刑事」や「心療内科医・涼子」、「おみやさん」などの連続ドラマにレギュラー出演。
火曜サスペンス劇場や金曜プレステージなどのSPドラマに出演することも多い。
2005年4月にアコーディオン奏者の桑山哲也と結婚した。
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