女優の名取裕子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は名取さんは中学時代に実母を亡くしており、継母との微妙な関係もあって複雑な学生時代を送っていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
名取裕子(なとり ゆうこ)
1957年8月18日生
身長165㎝
血液型はAB型
神奈川県横須賀市出身の女優、タレント
本名同じ
以下では名取裕子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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名取裕子の学歴まとめ
出身大学:青山学院大学 文学部日本文学科
出身高校:神奈川県立厚木高校
出身中学校:座間市立東中学校
出身小学校:座間市立栗原小学校
名取裕子の学歴~出身小学校(座間市立栗原小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 座間市立栗原小学校
名取裕子さんの出身小学校は、地元座間市内の公立校の座間市立栗原小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
幼少期は祖父母や叔父、叔母などを含む大家族で生活をしていました。
子供の頃や小学校時代のエピソード
名取さんはおてんばな子供でした。
名取さんが通っていた小学校は1クラス45人で5クラスあり、小学校時代は先生が怖かったと話しています。
給食を残してはいけない決まりだったことから嫌いなものが出た時は辛かったそうですが、小学校4・5年生の時には全部食べられるようになったと言います。
ちなみに当時は脱脂粉乳が苦手でした。
また名取さんは小学校時代からスポーツも勉強も得意な文武両道タイプの生徒でした。
名取裕子の学歴~出身中学校(座間市立東中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 座間市立東中学校 偏差値なし
名取裕子さんの出身中学校は、地元神奈川県・座間市内の公立校の座間市立東中学校です。
中学校時代のエピソード
中学時代はテニス部に在籍しており、部活動に励んでいました。
テニス部では主将を務めていました。
中学時代のエピソードについてインタビューで次のように話しています。
「中学のときに変わった先生がいたんです。社会科の先生だったんですけれど、居眠りばかりしていて、自習が多かったんです。」
記事引用:TBSテレビ
中学校時代に実母を亡くし、継母とうまくいかなかった
中学2年生のときに母親が癌で他界をしており、1年後に父親が再婚するまでの間は名取さんが父親と兄の食事の準備やお弁当を作っていました。
しかし継母との関係は良好とは言えずに、初婚だった継母は「私はお嫁さんになったのであって、あなたたちの母親になるつもりはない」と言いました。
名取さんは継母のことを実母と比べてしまい複雑な思いをしており、インタビューでは次のように振り返っています。
「後妻さんは、母と違って家事が全然できない人。つゆが少ないうどんとか、たくあんが入ったすき焼きとか」
記事引用:介護ポストセブン
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名取裕子の学歴~出身高校(神奈川県立厚木高校)の詳細
出身高校:神奈川県 厚木高校 偏差値69(難関)
名取裕子さんの出身高校は、県立の共学校の厚木高校です。
この高校は1902年開校の伝統校で、神奈川県内の公立校の中でもトップクラスの進学校のひとつとして知られています。
名取さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
高校時代のエピソード
高校時代はテニス部に在籍をしていました。
高校時代のエピソードについてインタビューで次のように話しています。
「高校のときの英語の先生は厳しくて、出来ない生徒を中庭に並ばせてお説教されるんです。もちろんわたしも一員でした(笑)。」
記事引用:TBSテレビ
高校時代は既に学内にファンクラブがあったほど、美人女子高生として知られていました。
前記のように名取さんは中学時代に実母を亡くしており、そして継母との関係が上手くいっておらず一刻も早く家を出たいと思っていました。
名取さんに実母の写真を捨てるように言ってきたり、お弁当のおかずも父親の物とは違い質素なものだったことから継母の作るお弁当を食べたくないと思い、高校時代は「私はパンが好きだから」と言って学食でパンを購入して食べていました。
また「修学旅行に行きたい」と言えば通帳を投げつけられたこともあったと言います。
意外にも複雑な高校時代だったようですね。
【主な卒業生】
六角精児(俳優)
水野良樹(いきものがかり)
山下穂尊(いきものがかり)
藤井貴彦(アナウンサー)
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名取裕子の学歴~出身大学(青山学院大学)の詳細
出身大学:青山学院大学 文学部日本文学科 偏差値60(やや難関・現在)
名取裕子さんは高校卒業後は、青山学院大学に進学します。
在籍したのは文学部で、日本文学を専攻していました。
大学1年生の時に芸能界入り
名取さんは大学時代は広告研究会に所属して、当時の将来の夢はスチュワーデスかコピーライターでした。
(大学時代)
しかし大学1年生だった1976年に応募したオーディション「ミス・サラダガール・コンテスト」で準優勝して、芸能界に入りました。
ちなみにこのオーディションで優勝したのは、女優の古手川祐子さんでした。
名取さんはこの年にオーディションを勝ち抜いて、映画「星と嵐」に三浦友和さんの相手役として抜擢されています。
すると大学2年生だった1977年には、ポーラテレビ小説の「おゆき」に主演として起用されます。
このドラマに出演した際には演技経験が浅かったことから、本読みの特訓をマンツーマンで1日6時間受けたそうです。
金八先生でブレイク
また1979年にはテレビドラマ「3年B組金八先生」のレギュラーに起用されると、ドラマの大ヒットもあって人気女優の仲間入りを果たしています。
このように名取さんは大学時代に人気女優になったことから、大学は1年間留年して卒業しています。
ただし当時は大学卒業後の進路について悩んでおり、当時の状況についてインタビューで次のように話しています。
「あの時代は一浪していたり、自宅通勤ではなく下宿していたりすると、女子は100社受けても受からないと言われていたんですよ。実際に私にもなかなか就職先が決まらず苦労している友だちがいました。私自身もまだ本格的に女優をやっていくと決めておらず、教職やお勤めを選択肢に入れている頃だったので、とても身近な問題に感じましたね。」
記事引用:NHK
とは言え、大学卒業以降も数々のテレビドラマに起用されることになります。
また映画「序の舞」や「吉原炎上」などでの体当たりの演技も話題になっています。
その後も数々の2時間ドラマの主演に起用されています。
その他にもタレントとしてクイズ番組やバラエティ番組でも活躍しています。
以上が名取裕子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
大学時代に女優デビューを飾ると、瞬く間に人気女優になっています。
主演はもちろんのこと、脇役としても安定感のある演技と存在感で作品を持ち上げています。
未だに根強い人気を誇っているだけに、末永い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
1976年の「ミス・サラダガール・コンテスト」で、準優勝して芸能界入り(優勝は古手川祐子)
同年のドラマ「愛と憎しみの宴」で女優デビューし、「星と嵐」で映画初出演。
1977年の「おゆき」で連続ドラマ初主演。
1979年の「3年B組金八先生」で注目される。
以降は数多くの作品に出演し、テレビドラマでの代表作は「法医学教室の事件ファイル」や「京都地検の女」、「チーム・バチスタシリーズ」など。
映画では「序の舞」や「吉原炎上」、「必殺シリーズ」など。
松本清張の作品のドラマや映画に出演することが多い。
また2時間ドラマへの出演も多く、片平なぎさとともに「2時間ドラマの女王」の異名をとる。
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