タレントの国生さゆりさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「おニャン子クラブ」時代に一世を風靡した国生さんですが運動神経が非常によく、高校時代は陸上でインターハイにも出場していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
国生さゆり(こくしょう さゆり)
1966年12月22日生
身長162㎝
血液型はA型
鹿児島県鹿屋市出身のタレント、歌手、女優
「おニャン子クラブ」の元メンバー
本名同じ
以下では国生さゆりさんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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国生さゆりの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:鹿児島実践女子高校→清水ヶ丘高校
出身中学校:鹿屋市立第一鹿屋中学校
出身小学校:佐世保市立春日小学校→鹿屋市立西原小学校
国生さゆりの学歴~出身小学校(佐世保市立春日小学校・鹿屋市立西原小学校)の詳細
出身小学校:長崎県 佐世保市立春日小学校
国生さゆりさんが入学したのは、長崎県佐世保市内の公立校の春日小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
父親は海上自衛官で、かなり厳しく国生さんをしつけています。
名前の「さゆり」は父親がファンだった吉永小百合さんにちなんで名づけられています。
意外なことに子供の頃の国生さんは人見知りでした。
父親が転勤族だったことから、小学校5年生の時に鹿屋市立西原小学校に転校しています。
また小学校時代は陸上をやっていました。
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国生さゆりの学歴~出身中学校(鹿屋市立第一鹿屋中学校)の詳細
出身中学校:鹿児島県 鹿屋市立第一鹿屋中学校 偏差値なし
国生さゆりさんの出身中学校は、鹿児島県鹿屋市内の公立校の第一鹿屋中学校です。
中学時代は当初はバレーボール部に入部しています。
しかし背があまり高くなかったことから、中学1年生の2学期から陸上部に転部しています。
後に最初に結婚することになるお相手は中学生の同級生でした。
【主な卒業生】
哀川翔(俳優)
有村トモナリ(ミュージシャン)
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国生さゆりの学歴~出身(鹿児島実践女子高校・清水ヶ丘高校)高校・大学の詳細
出身高校:鹿児島県 鹿児島実践女子高校 偏差値不明
※現在は閉校
国生さゆりさんが入学したのは、私立の女子校の鹿児島実践女子高校です。
この高校は後に鹿児島女子大学附属高校、鹿児島学芸高校と校名を変更していますが、2006年に閉校になっています。
この高校には一般受験ではなく、陸上のスポーツ推薦で入学しています。
そのため入学後は陸上部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
ただし国生さんの父親は海上自衛官だったことから、高校2年生の夏に広島県の呉基地に転勤になっています。
そのためその時に、広島県の清水ヶ丘高校に転校しています。
出身高校 広島県 清水ヶ丘高校 偏差値45(容易)
この高校は1906年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
また現在の同校は特別進学コース(偏差値58)や看護コース(偏差値50)も設置していますが、国生さんが在籍した当時は普通科と商業科(偏差値はいずれも45)しかありませんでした。
国生さんはこの高校でも陸上部に在籍していました。
この高校の陸上部ではキャプテンを務めて、短距離走でインターハイに出場するほどの実力でした。
ちなみに100mのベストタイムは12秒8でした。
また当時は陸上で実業団入りを目指していました。
国生さんは高校3年生だった1984年に、「ミスセブンティーン・コンテスト」の中国地区代表に選ばれて、全国大会に出場しています。
なおこのコンテストでは女優の網浜直子さんと松本典子さんがグランプリに輝いています。
また後にともに「おニャン子クラブ」に加入することになる、工藤静香さんや渡辺満里奈さんもこのコンテストに出場していました。
国生さんはこのコンテストで入賞はできませんでしたが、陸上でインターハイに出場したキャリアを買われ、「新春オールスター大運動会」に運動会要員として出場しています。
ちなみにその際には人気アイドルだった石川秀美さんを追い抜いています。
加えて高校卒業の直前の1985年2月に、「おニャン子クラブ」のオーディションを兼ねていた「オールナイトフジ女子校生スペシャル」に出演していました。
すると番組内の「美少女コンテスト」に優勝して、「おニャン子クラブ」に加入することが決まりました。
【清水ヶ丘高校の主な卒業生】
島谷ひとみ(歌手)
大学には進学していない
高校卒業後は大学には進学しませんでした。
もともと大学に進学するつもりはなく卒業後は資生堂の美容部員として就職が内定しており、広島県内のデパートに勤務する予定でした。
しかし前記のように「おニャン子クラブ」入りが決定したので、進路を変更して上京しています。
当時の国生さんは意識が非常に高かったことから、グループ入り後はリーダー格を務めていました。
「おニャン子クラブ」は1985年7月に、デビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がいきなりヒットしてブレイクしています。
また国生さんは翌年に「バレンタインキッス」でソロ歌手としてデビューしましたが、この曲も大ヒットしています。
そのためグループ内でも工藤静香さんや新田恵利さん、渡辺満里奈さんや渡辺美奈代さんらと並んで人気メンバーのひとりでした。
21歳だった1987年に「おニャン子クラブ」を卒業していますが、その後はソロ歌手や女優として活動を開始しています。
1990年代に入るとタレント業が中心となって、数々のバラエティ番組に出演しています。
以上が国生さゆりさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
おニャン子クラブの中でも指折りのアイドルとして人気を得て、女優としても数々の話題作に出演しました。
現在でもバラエティー番組と並行して女優業は継続しています。
未だに根強い人気を誇る人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴・プロフィールの詳細
1984年に「ミス・セブンティーンコンテスト」に中国地区代表として、全国大会に出場。
1985年にオールナイトフジの出演をきっかけに、おニャン子クラブのメンバーとして芸能界デビュー。
おニャン子クラブではメンバーの中でも特に人気が高く、1986年にソロデビューし「バレンタイン・キッス」などのヒットを飛ばした。
1987年4月におニャン子クラブを卒業。
同年テレビドラマ「キスより簡単」で連続ドラマ初主演し、主演映画「いとしのエリー」も公開される。
その後は主に女優として活動し、エランドール新人賞も受賞。
1990年代に入ると長渕剛との不倫騒動もあり、女優としての仕事が激減。
1995年ごろからはバラエティにも出演するようになる。
私生活では2000年に中学の同級生と結婚するが、2003年8月に離婚。
2009年12月に会社社長と再婚するが、2013年9月に離婚。
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