政治家の前原誠司さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は前原さんは中学時代に父親を亡くしており、学生時代は苦学生でした。学生時代のエピソードや情報などの学歴情報をお送りいたします。
前原誠司(まえはら せいじ)
1962年4月30日生
身長176㎝
血液型はA型
京都府京都市出身の政治家、衆議院議員
国民民主党所属
本名同じ
以下では前原誠司さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
経歴/プロフィールの詳細
1987年に松下政経塾に入塾し、1991年の京都府議会議員選挙で史上最年少の28歳で初当選。
1992年に日本新党に参画。
1993年の衆議院議員選挙で、日本新党の公認候補として立候補して初当選。
1998年の民主党の結党に参加。
2005年に民主党の党代表選挙で菅直人を破って5代目の党代表となる。
2006年3月に堀江メール問題で党代表を辞任。
2009年8月の民主党政権の誕生に伴い、鳩山由紀夫内閣の国土交通大臣に就任。
2010年9月に横滑りで外務大臣に就任。
2011年3月に外国人献金問題で外務大臣を辞任。
2017年9月の民進党代表選挙で枝野幸男を破って、党代表に就任。
2018年に国民民主党に合流
前原誠司の学歴~出身大学(京都大学)の詳細
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出身大学:京都大学 法学部 偏差値68(超難関)
前原誠司さんは高校卒業後は、京都大学に進学します。
ただし現役での合格ではなく、1年間の浪人生活を経ての進学です。
在籍したのは法学部です。
なおこの大学の法学部は東京大学文科Ⅰ類と並んで、国内の大学の文系の学部では最難関です。
前原さんは父親が裁判所に勤めていたことから、自宅には法律の本がたくさんあったことがきっかけで法学部を受験しました。
浪人時代にはたまたま高坂正堯さんの「国際政治」を立ち読みしており、国際政治においての歴史上のプレーヤーに憧れを抱いたそうです。
後述するように中学時代に父親を亡くしていることから、大学時代は奨学金を受けながら学業に励んでいました。
しかし奨学金だけでは足りなかったことから、バスの添乗員や魚の卸売場市場、喫茶店のウエイターなどさまざまなアルバイトも寝る時間を削っておこなっていました。
また大学生活についてはインタビューで次のように話していました。
「京大一,二年目は,ほとんど遊び。ただ,高坂先生の授業はほんとは三回生からなんですけど,二回生からもぐり込んだ。ところがこれがわからない。歴史とか国際政治に対する知識が根本的に欠けていました。」
授業が終わると先生に質問をしに行くこともありましたが、ほかの先輩が質問していることを聞き「こういう本を読んだらいいんだ」と思うこともありました。
そして前原さんは大学3年生の後半から国際政治学者の高坂正堯さんのゼミに入っています。
大学を卒業する際には外交官になろうか政治家になろうか迷っていますが、高坂さんのアドバイスで政治家を志しています。
そのため25歳だった1987年に、松下政経塾に入塾しています。
そして28歳で京都府府議、31歳で衆議院議員に当選するなど、政治家としてはトントン拍子に出世していきます。
32歳だった1994年に、愛里夫人と結婚しています。
しかし民主党時代は党代表や外務大臣の要職に就きましたが、いずれも不祥事を理由にして短期間で辞任しています。
その後は民進党を経て国民民主党に合流しました。
その政治的手腕にも注目ですね。
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前原誠司の学歴~出身高校(京都教育大学附属高校)の詳細
出身高校:京都府 京都教育大学附属高校 偏差値68(難関)
前原誠司さんの出身高校は、国立の共学校の京都教育大学附属高校です。
この高校は1965年開校の公立校で、古くからの進学校として知られこれまで多くの人材を政財界に輩出しています。
この高校の系列の中学校に通っていたことから一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
前原さんは高校3年間も奨学金を受けながら勉強をしていました。
高校時代には野球部に在籍をしており、ポジションはキャッチャーでした。
また前原さんの中学・高校時代の得意科目は数学でした。
数学が得意だったことから進学先は理系にしようと思いましたが、行きたい学部がありませんでした。
当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「数学が得意だから理系に行くというのも安易だし、解いていて面白いけれども、数学を仕事にしたいとは思いませんでした。そういう意味ではだれもが試行錯誤をするんだろうと思うので」
記事引用:13歳のハローワーク公式サイト
とは言え、数学の難問を解いたことが自分の自信にもつながっていたとのことです。
また当時のことについては次のように語っていました。
「僕は中二のときにおやじを亡くして,あんまり裕福でもないし家にエアコンなんかもちろんない。夏休みになると,パンツ一丁,ランニング一丁,タオルを巻いて窓開けて数学の問題を解く。七,八時間,ぜんぜん苦にならないんです。」
なお前原さんは物理も得意だったとのことです。
後述するように前原さんは小学校時代から鉄道にハマっていましたが、高校時代も鉄道を追いかけていたと言います。
インタビューでは次のように語っていました。
「確かに,受験もあったし,バスケや野球といったスポーツにも打ち込みましたが,テツは続いてました.高校のときに少し目覚めて追いかけたのは,DF50とEF58.あとDD54もあります.DF50はかなり撮りましたよ」
【主な卒業生】
BONNI PINK(シンガーソングライター)
立本信吾(アナウンサー)
山村紅葉(女優)
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前原誠司の学歴~出身中学校(京都教育大学附属京都中学校)の詳細
出身中学校:京都府 京都教育大学附属京都中学校 偏差値60(やや難関)
※現在は京都教育大学附属京都小中学校
前原誠司さんの出身中学校は国立の共学校の京都教育大学附属中学校です。
この中学校は2014年に、小中一貫校の京都教育大学京都小中学校になっています。
前原さんは中学受験のときに奈良の難関私立中学校である東大寺学園中学校にも合格をしていますが、家計の問題もあり国立であるこの中学校に入学をしました。
また姉も中学校・高校はこの系列の学校に通っていました。
中学時代はバスケットボール部に在籍をしており、スポーツは得意だったようです。
中学2年生のときに父親を自死で亡くしており、かなり苦労をしています。
しかし前原さんは苦労をしたことは良かったと話しており、だからこそ社会の支えあう仕組みや人のやさしさが分かったとのことです。
また前原さんは母子家庭だからと言っていじめられたり、嫌な思いをすることはなかったといいます。
前原誠司の学歴~出身小学校(京都市立修学院小学校)の詳細
出身小学校:京都府 京都市立修学院小学校
前原誠司さんの出身小学校は、地元京都市内の公立校・京都市立修学院小学校です。
家族構成は母親と姉の3人家族のようです。
父親は京都家庭裁判所に勤めていました。
前原さんは前原家についてインタビューで次のように話していました。
「普通の家庭で、金もないし、祖先に遡っても、政治家はいないと思う家系ですよ」
前原さんの父親は鳥取県の境港で母親は上石見の出身だったことから、子供の頃から墓参りなどで列車に乗って出かけていました。
そのあたりにはSLも走っていたことで自然と鉄道が好きになったといいます。
そして小学2・3年生の頃に父親に梅小路の機関庫に連れていってもらったことがきっかけで鉄道にハマりました。
また小学5年生のときにも父親に仕事を休んでもらい、春休みにSLを撮りに九州まで足を運んだことを明かしていました。
前原さんは子供の頃から本を読むことが好きだったため、小学校高学年で通っていた塾で月に1回、読書感想文を書かなければいけませんでしたが苦ではありませんでした。
以上が前原誠司さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
日本新党時代に衆議院議員に初当選しましたが、その後は新党さきがけや民主党、民進党、国民民主党と目まぐるしく所属政党を変えています。
とは言え現在でも高い人気を誇り選挙に強く、選挙の際にはたびたび圧勝するほどです。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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