人気アイドルグループ「Hey!Say!JUMP」の伊野尾慧さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。外せなかったマスクを外した大学時代やアイドルと学業を両立した高校時代など、学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてお送りいたします
伊野尾慧(いのお けい)
1990年6月22日生
身長173㎝
血液型はA型
埼玉県出身の歌手、俳優、タレント
Hey!Say!JUMPのメンバー
本名同じ、愛称は「いのちゃん」
以下では伊野尾慧さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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伊野尾慧の学歴まとめ
出身大学:明治大学 理工学部建築学科
出身高校:東洋高校
出身中学校:入間市立豊岡中学校
出身小学校:入間市立豊岡小学校
伊野尾慧の学歴~出身小学校(入間市立豊岡小学校)の詳細
出身小学校:埼玉県 入間市立豊岡小学校
伊野尾慧さんの出身小学校は、入間市内の公立校の豊岡小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
伊野尾さんは幼稚園の頃にジャニーズ事務所に入ろうと思いはじめたことをインタビューで明らかにしています。
「幼稚園の時にテレビ見てたら、若い子達が美味しそうな物をすげー食べてる番組がやってって。”この人たち何?”って、お母さんに聞いたらジャニーズの人たちだよ”って。”あ、ジャニーズ入ったら美味しいもん食えんだ!”って思ったのがきっかけで。そっから、”お母さんジャニーズに入る!”って言い始めたらしい」
記事引用:MYOJO
加えて子供の頃から運動が苦手で走るのも遅かったとのこと。
「幼稚園の時は真剣に走ってなくてビリでったけど、小学校じゃあ、本気で走ってビリだった。あ、1回だけ一番になったことがあって。その時は、いっしょに走ったのが偶然、ぽっちゃりばっかで(w)」
記事引用:MYOJO
いちはやくジャニーズ事務所に入所したかったのですが、母親が反対したため、10歳の時にようやく履歴書を送ってもらい、入所しています。
ただし小学校時代はジャニーズjr.のメンバーの中でも目立った存在ではなく、仕事もあまり多くはありませんでした。
なお伊野尾さんは小学校時代からピアノをはじめており、テレビ番組でもたびたびその腕前を披露するほどです。
また「Hey!Say!JUMP」のファーストアルバム「INFINITY」ではピアノを担当したとも言われています。
さらに2014年のテレビドラマ「ダークシステム」では、盲目のピアニスト役を演じています。
伊野尾慧の学歴~出身中学校(入間市立豊岡中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 入間市立豊岡中学校 偏差値なし
伊野尾慧さんの出身中学校は、出身地の埼玉県入間市内の公立校の豊岡中学校です。
中学時代は卓球部に所属していましたが、ほとんど幽霊部員でした。
そのため公式戦には1度も出場していません。
当時はジャニーズJr.として芸能活動をしており、中学1年生の頃から仕事が増えたとインタビューで話しています。
中学1年生の1月から舞台「DREAM BOY」に出演して俳優デビューしています。
また中学2年生だった2004年にはジャニーズjr.内ユニット「J.J.Expess」のメンバーに起用されています。
このユニットは今や伝説化したユニットで、山田涼介さんや有岡大貴さん、玉森裕太さんや中島裕翔さん、高木雄也さん、深澤辰哉さん、橋本良亮さん、森本龍太郎さんなど、後にメジャーデビューを果たした人物たちが多数在籍していました。
また後にジャニーズ事務所を退所して俳優に転身した浅香航大さんもこのユニットのメンバーでした。
しかしメンバーの出入りが激しく、ユニットは2007年に自然消滅しています。
さらに中学3年生の頃には「ガチバカ」でテレビドラマに初出演しています。
なお伊野尾さんは中学校時代は非常に成績が優秀でした。
大学も理系に進学していることから、当時から理科や数学といった理系の科目が特に得意でした。
ただし運動が苦手で、特に球技がダメだったとのこと。
また伊野尾さんは中学時代は女子生徒にモテなかったとインタビューで話しています。
【主な卒業生】
まふまふ(歌手)
小宮悦子(アナウンサー)
辛坊治郎(キャスター)
小島聖(女優)
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伊野尾慧の学歴~出身高校(東洋高校)の詳細
出身高校:東京都 東洋高校 偏差値59(中の上)
伊野尾慧さんの出身高校は、私立の共学校の東洋高校です。
この高校は1904年開校の私立高校で部活動が盛んなことでも知られています。
特に男子バレーボール部は全国的な強豪です。
伊野尾さんは芸能関係以外でも友人を作りたかったので、堀越高校や日出高校などの芸能コースを設けている高校ではなく、この高校に進学しています。
「なんか仕事以外の友達がほしくて。仕事だけじゃない空間を持ってるっていうのが、居心地いいっていうか。堀越だと光とか薮とか、みんな行ってたわけじゃん」
また前記のように伊野尾さんは公立中学校の出身なので、この高校には一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
高校時代は仕事があったことから帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
また高校2年生の時にHey!Say!JUMPとしてデビューして、すぐに人気アイドルグループとなったことから、高校ではあまり友人ができなかったとインタビューで話しています。
「友達があまりいなかったんです。それに、高校2年生の時にHey! Say! JUMPとしてデビューしたので、その時期に人生の分岐点を迎えていたんですよね。なので学校生活の特別な想い出が少ないんです」
やはりテレビ番組に出演する芸能人ということで、他の生徒たちからは壁を作られてしまったようです。
また伊野尾さんが高校時代に授業中に居眠りしてしまったところ、起きてみると教室は真っ暗だったというエピソードが残っています。
なんでも次の授業は音楽だったことから他のクラスメイト達は音楽室に移動したのですが、居眠りをしていた伊野尾さんには誰も声をかけてくれなかったそうです。
クラスに友達がいなかったのでこのような結果になってしまいましたが、ちょっと寂しいエピソードですね。
加えて唯一の高校時代の思い出は次のようだったとしています。
「唯一いま思い出せるのが、購買で売っているツナパンがおいしくて、それを授業中に教科書で隠して食べていたら、先生に怒られたことかな~。それはそれでドラマみたいでしたね(笑)」
また高校時代もマスクをつけて通学したこともありました。
仕事面では伊野尾さんは高校1年生だった2006年に、山下智久さんや北山宏光さん、八乙女光さんらと期間限定ユニット「KittyGym」を結成しています。
このユニットはメンバーが豪華だったので話題になりましたが、「女子バレーボール・ワールドグランプリ2006」のスペシャルサポーターのためのユニットだったことから、活動期間はわずか1か月間でした。
そして伊野尾さんは高校2年生だった2007年に、Hey!Say!JUMPのメンバーとしてメジャーデビューを果たしています。
グループはデビューシングル「Ultra Music Power」がいきなり大ヒットして、瞬く間にジャニーズ事務所内でも有数の人気グループになっています。
ところで伊野尾さんはHey!Say!JUMPの前身となったHey!Say!7のメンバーには選ばれませんでした。
ちなみにHey!Say!7は以下のメンバーで結成させていました。
山田涼介
知念侑李
中島裕翔
有岡大貴
高木雄也
伊野尾さんはメンバーに漏れたことを非常に悔しく思い、当時のジャニーズ事務所の社長のジャニー喜多川さんにその想いを伝えました。
するとジャニーさんにその熱意が伝わって、Hey!Say!JUMPのメンバーに起用されています。
また同じ年にバラエティー番組「百識」に出演して、タレントとしても活動を開始しています。
なお前記のように伊野尾さんは高校に友達がいなかったことから何度も芸能コースのある高校や通信制の高校に転校を考えていますが、踏みとどまってこの高校を無事に卒業しています。
また高校2年生の時に大学進学を決意しています。
【主な卒業生】
東幹久(俳優・中退)
内村航平(体操選手)
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伊野尾慧の経歴~出身大学(明治大学)の詳細
出身大学:明治大学 理工学部建築学科 偏差値60(やや難関)
伊野尾慧さんは高校卒業後は、明治大学の理工学部に進学します。
ただし一般入試ではなく、AO入試での入学です。
当時のメディアも次のように報じています。
「Hey!Say!JUMPの伊野尾慧(18)が明治大理工学部建築学科に合格したことが5日、分かった。この日、横浜アリーナで行われた全国ツアー最終公演で報告した。小論文、面接などで合否を決めるAO入試をクリアし、昨年11月に合格通知を受け取ったという」
記事引用:日刊スポーツ
大学入学の際のインタビュー動画がありました。
とは言え大学入学時は既にHey!Say!JUMPはかなりの人気でしたので、グループでの活動の傍ら、キッチリと大学を卒業したのは立派でしょう。
また当時は既に櫻井翔さんや山下智久さんらの大学進学で、ジャニーズ事務所のタレントが大学に進学することは珍しくなかったものの、大学の理系の学部に進学したアイドルは珍しかったことから大きな話題になっています。
またこの大学の理工学部に進学した理由については「将来は自分たちのステージや劇場を設計したいから」とインタビューで述べています。
加えて「モノを組み立てるのが好き」というのもこの学部に進学した理由でした。
大学では建築を専攻しており、図面も引くことができるとのこと。
また都市開発研究のゼミに所属しており、大学時代は担当教授の山本俊哉さんと他のゼミ生ともに日本各地の都市を訪れています。
伊野尾さんがこのゼミを選んだのは東日本大震災の復興に関連していたからです。
どうやら伊野尾さんは東日本大震災の復興活動に関わりたくて、この研究室に入ったようです。
後に実際に研究室のメンバーとして被災地に赴いていますが、次のように話しています。
「研究室で東日本大震災の被害地に足を運んで、仮設住宅に泊まらせてもらったり、被災者の人たちの話を聞かせてもらったのも胸に残っている。被害に遭ったていう小学生が、オレの顔を見て「JUPの人だ!」って笑顔になったのね。それがなんかうれしかったな。友達からは「お前ってジャニーズなんだ。いいよなー女の子からリアクションあって」なんてからかわれたけどね」
この際に現地の人々と触れ合ったことでコミュニケーションの大切さを知ったと話しています。
またこの研究室は2012年6月にドイツのハンブルグの市民文化祭で「大震災後の日本-陸前高田の復興状況」のタイトルで英語のパネル展示と発表をおこなっていますが、伊野尾さんも研究室の一員として陸前高田市の住宅の再建状況や高台移転、防潮堤建設などについて調査や研究をおこなっています。
陸前高田市に赴いた際には現地の気仙沼中学校の生徒が協力して、伊野尾さんが聞き取り調査をおこなっています。
このように伊野尾さんは大学時代に東日本大震災の復興活動にも貢献していたのです。
ちなみに当時の伊野尾さんは人見知りの激しさから大学時代に夏場を含めて3年間もマスクを着用していたことをインタビューで明らかにしています。
ただし前記の山本教授の影響から自分の殻を破ったことをインタビューで明らかにしています。
「僕の人生のターニングポイントって、大学4年生のときに研修室の先生に出会ったことだったと思う。建築の勉強はもちろん、本当にいろんなことを指導してもらったからね。その中でもとくに、人とのコミュニケーションの取り方は勉強になった」
山本教授と出会ったことで他人と積極的なコミュニケーションをとれるようになって、マスクも外しています。
そして伊野尾さんは大学時代も芸能活動をしながらも留年することなく卒業しています。
ただし卒論と舞台「ジャニーズ・ワールド」の3か月間の公演が重なって、当時は相当苦労したことをインタビューで語っています。
「卒論と重なった「ジャニーズ・ワールド」の3か月公演!ここが最後のヤマだったな。最初は2か月って話だったから最後の1か月で書き上げようと思ってたんだけど、その後1か月の追加公演が決定して。「ジャニーズ・ワールド」千秋楽の2日後が卒論提出日で、そこに力学の試験と、みんなの前で研究会が続く…ってスケジュール。最後にすごいサプライズが来たなって冷や汗かいた」
そのため卒論の作成期間の終盤は寝袋を研究室に持ち込んで泊まり込みで卒論を完成させています。
その頃は同学年の6、7人で研究室で「暮らして」おり、みんなでご飯を作ったりして、一体感が生まれて楽しかったと述べています。
また理系だったにも関わらず伊野尾さんは計算が苦手で、その際にも仲間に助けられたと語っています。
ちなみに卒論が佳境に入った3日間はお風呂にも入らずに、卒論を書いていたそうです。
前記のように高校時代は友達が少なかった伊野尾さんですが、このように明治大学では友達がたくさんできています。
ちなみに大学時代は1学年下に女優の山本美月さんが在籍(山本さんは農学部)しましたが、お互い「すれ違う程度」に知っていたとのこと。
加えて仕事面では大学1年生だった2009年3月に在籍する「Hey!Say!JUMP」は5Thシングル「瞳のスクリーン」がオリコン初登場1位となっています。
また2011年にはメンバーだった森本龍太郎さんが喫煙問題で活動休止(後に脱退)となり、以降は9人で活動しています。
伊野尾さんはグループでの活動のほか俳優としても活動しており、2017年には「ピーチガール」で映画に初主演しています。
その他にもタレントとしてクイズ番組やバラエティ番組に多数出演しています。
今後もマルチな活動に期待ですね。
以上が伊野尾慧さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
所属するHey!Say!JUMPはジャニーズ事務所内でもトップクラスの人気を誇るグループに成長しました。
また以降の活躍も目覚ましく、グループでの活動以外にも情報番組やバラエティー番組などのMCを務めるなど、かなりマルチに活動しています。
また2017年には主演映画の「ピーチガール」が公開されています(山本美月とW主演)
特にトーク力に優れているので、今後もタレントや司会者、MCなどの仕事が増えていきそうです。
今以上に多方面で活躍していきそうなので、今後の飛躍にも期待です。
伊野尾慧の経歴
1990年(0歳):埼玉県で生まれる
2000年(10歳):ジャニーズ事務所に入所
2003年(13歳):舞台「DREAM BOY」にて俳優デビュー
2004年(14歳):期間限定ユニット「KittyGym」を結成
2005年(15歳):「ガチバカ」にてテレビドラマデビュー
2007年(17歳):「Hey!Say!JUMP」のメンバーとしてメジャーデビュー
2007年(17歳):バラエティ番組「百識」に出演
2009年(19歳):5thシングル「瞳のスクリーン」がオリコン初登場1位となる
2015年(25歳):舞台「カラフト伯父さん」で舞台初主演
2016年(26歳):「めざましテレビ」の木曜スペシャルサポーターに就任
2016年(26歳):バラエティ番組「メレンゲの気持ち」初の男性MCに抜擢
2017年(27歳):「ピーチガール」にて映画初主演
2021年(31歳):連続ドラマ「准教授・高槻彰良の推察」に主演
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