小野寺昭(おのでら あきら)
1943年9月19日生
身長173㎝
北海道帯広市出身の俳優
本名同じ
以下では小野寺昭さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
経歴
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当初は人形劇団「劇団やまいも」に参加して、NHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」の人形操作を担当。
1971年のテレビドラマ「冬の雲」や1972年の昼ドラ「むらさき心中」などに出演して注目を集める。
1972年7月からテレビドラマ「太陽にほえろ」の「殿下」こと島刑事役に起用されてブレイクを果たす。
1975年に「白いページ」で歌手デビュー。
1980年からテレビドラマ「御宿かわせみシリーズ」に出演。
以降も数多くの作品に出演して、テレビドラマの代表作は「毎度おさわがせします」や「必殺仕切人」、「毛利元就」など。
「釣りバカ日誌シリーズ」や「相棒」などの映画にも出演している。
私生活では1963年に結婚して、3人の子供がいる。
学歴~出身高校・中学校
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出身高校:北海道 帯広三条高校 偏差値61(現在・やや難関)
小野寺昭さんの出身高校は、道立の共学校の帯広三条高校です。
同校は1915年開校の伝統校で、部活動が盛んなことでも知られています。
また小野寺さんが在籍した時代は偏差値の概念もありませんでしたが、当時からこの高校は帯広市を含む十勝地方では帯広柏陽高校に次ぐ進学校だったので現在と同じようなレベルにあったと思われます。
出身小学校や中学校は帯広市内の公立校ですが、校名などは不明です。
父親が公務員をやりながらアマチュア劇団を主宰していた影響と中学生時代に石原裕次郎に憧れたことで俳優を志しています。
高校時代には演劇部に所属しており、高校3年生の頃は部長を務めています。
当時の同校の演劇部は高校演劇コンクールの地方大会を勝ち抜いて、北海道大会にも出場しています。
ただし小野寺さん自身、自身の過去についてほとんど語らないことから、高校時代を含む学生時代のエピソードが少なく、高校生活の詳細なども不明です。
【主な卒業生】
平淑恵(女優)
十勝花子(タレント)
学歴~出身大学
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出身大学:進学せず
小野寺昭さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、俳優を志して上京しています。
俳優座養成所への入学を希望して2年連続で試験を受けていますが、いずれも不合格となっています。
そのため人形劇団に入っていますが、当時のことを「俳優になりたくて東京に出てきたのに、顔を出すと怒られるなんて」などと回顧しています。
本格的に俳優デビューしたのは20代後半と遅かったのですが、28歳の時に出演したテレビドラマ「太陽にほえろ」の殿下役で大ブレイクを果たしています。
「太陽にほえろ」では小野寺さんの恋人役が登場した際には、全国の女性ファンから「許せない」との投書が相次いだため、ドラマ内で交通事故死させたほどの人気ぶりでした。
以降も数多くの作品に出演して、安定した演技力で多くの作品を盛り上げてきました。
既に年齢は70歳を超えており、2018年8月には趣味の登山の際に転落して軽度のくも膜下出血を発症しましたが、大事には至らなかった模様です。
再びテレビドラマや映画で元気な姿を見せてくれることを期待します。
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