矢井田瞳の学歴と経歴|出身は関西大学・箕面高校!中学校の偏差値|山ちゃんと同級生だった!

 

シンガーソングライターの矢井田瞳さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は矢井田さんは関西の有名大学の出身者で、大学では「南海キャンディーズ」の山里亮太さんと同級生でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

矢井田瞳(やいだ ひとみ)

 

01

 

1978728日生

身長158

血液型はA型

 

大阪府豊中市出身のシンガーソングライター

本名同じ、愛称は「ヤイコ」

 

以下では矢井田瞳さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

矢井田瞳の学歴まとめ

 

出身大学:関西大学 文学部

出身高校:大阪府立箕面高校

出身中学校:豊中市立第九中学校

出身小学校:豊中市立新田南小学校

 

矢井田瞳の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:大阪府 豊中市立新田南小学校

 

 

 

矢井田瞳さんの出身小学校は、地元豊中市内の公立校の豊中市立新田南小学校です。

 

家族構成やきょうだいの有無については不明です。

 

父親は元大学教授の矢井田修さんです。

 

「実家のお好み焼きが宇宙一おいしい」と話しており、独身時代は休みの時によく実家に帰っていました。

 

小学生の時に石川さゆりさんの楽曲を練習しており当時のことについて次のように振り返っています。

 

「『声がひっくり返るのが特徴的』ってよく言われるんですけど、気がついたときには自然にひっくり返っていたんです。いつが原点なんだろうと自分なりに紐解くと、小学生のときに石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』とか『天城越え』をめちゃくちゃ練習したんですね。自分の声がひっくり返る気持ちよさとかポイントを、あれで多分習得したんですよ(笑)。」

 

また父親がフォークソングをリビングでずっと流しており、矢井田さんの音楽はその影響も受けていると話していました。

 

小学校時代は水泳も習っており、運動神経は良いようです。

 

小学5年生の時にはすでに友人から「ヤイコ」と呼ばれていました。

 

また子供の頃にはピアノも習っていましたがすぐに辞めています。

 

矢井田瞳の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:大阪府 豊中市立第九中学校 偏差値なし

 

 

 

矢井田瞳さんの出身中学校は、地元大阪府豊中市内の公立校の豊中市立第九中学校です。

 

中学時代もバレーボール部に在籍をしていました。

 

中学生の頃も歌うことは好きでしたが高校時代と同様に音楽活動はおこなわずに、バレーボール漬けの日々を過ごしていました。

 

中学時代にブルーハーツの曲に影響を受けており、デビュー後もライブでカバーをするほどです。

 

また矢井田さんは中学生の頃にはサッカー部の男子に初恋をしています。

 

【主な卒業生】

藤井隆(タレント)

 

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矢井田瞳の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:大阪府 箕面高校 偏差値64(やや難関)

 

 

 

矢井田瞳さんの出身高校は、府立の共学校の箕面(みのお)高校です。

 

この高校は1964年開校の府立高校で、制服がないなどの自由な校風で知られる進学校です。

 

またこの高校に在学中は、2学年上にお笑いコンビ「グレートチキンパワーズ」のメンバーだった北原雅樹さんも在籍していました。

 

矢井田さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。

 

高校時代はバレーボール部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。

 

当時はかなりハードに練習しており朝から晩までバレー漬けだったことをインタビューで話しています。

 

そのためこの時からすでに大学に入学後はサークルに入り音楽をやろうと考えていたそうです。

 

【主な卒業生】

八木美香(タレント)

尾崎礼香(グラビアアイドル)

 

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矢井田瞳の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:関西大学 文学部 偏差値58(中の上)

 

 

 

矢井田瞳さんは高校卒業後は、関西大学に進学します。

 

在籍したのは文学部です。

 

この大学では「南海キャンディーズ」の山里亮太さんと同級生で同じ学部に在籍をしていました。

 

その縁で現在でも交流があります。

 

 

矢井田さんは高校時代から大学に入学後は音楽のサークルに入るつもりでしたが、大学構内でギターを弾いている男性に魅了されて、「私にもできないだろうか」と思いその足でアコースティックギターを購入しています。

 

またはじめてギターを弾いた時は感動をしたそうで、インタビューで次のように話しています。

 

「変わっていないのは19歳のときに初めてギターを弾いたときの感動。『私、これ一生できる!』って直感で思ったんですけど。その心のウキウキはありがたいことに変わっていなくて。」

 

そして矢井田さんが音楽の道に進もうと思ったきっかけについてはインタビューで次のように振り返っています。

 

「大学に入った時、『私は自由だ! 今までの自分と違うことが何でもできそう!』と思って(笑)。それまでの自分が、水泳だったりバレーだったり体育会系な人生を歩んでいたので、私のなかで真逆といえば音楽だったんですよ。そこで『音楽をやりたい』と。歌自体は物心ついた頃から好きだったので、これを作る側に回ってみたいと思った。そこからですね。」

 

矢井田さんはサークルに入ることもなく近所の公園で毎日のようにギターの練習をしていました。

 

気が付いたときには自然とメロディーが出てきて、ギターを弾くことが楽しくて仕方なかったそうです。

 

21歳の時に千葉テレビのオーディション番組でグランプリを獲得したことがきっかけとなり、デビューに繋がりました。

 

そして大学4年生だった200年に、ファーストシングル「B’coz I love You」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

デビュー当時はホームページのメッセージ蘭に「『すごく声が嫌い』とか、割と酷い、醜い言葉がたくさん届いた」と話しており、かなり辛かったようです。

 

しかしスタッフからは人気が出てきた証拠なので落ち込むことではないと言われて、前向きのナニワ魂を思い出したといいます。

 

そして同じ年の10月に、2ndシングル「my sweet darlin’」が大ヒットをしています。

 

 

インパクトの強いサビのフレーズもあって「ダリダリ旋風」も巻き起こします。

 

 

その後はイギリスでもツアーをおこなうなど、ワールドワイドにも活動しました。

 

年齢は既に40歳を超えていますが、現在でも精力的な音楽活動を展開しています。 

 

 

以上が矢井田瞳さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

人気絶頂期は数々のヒット曲をリリースして、絶大な人気を誇っていました。

 

近年は再びインディーズに戻りますが、毎年のようにライブツアーを敢行するなど未だに精力的に活動しています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

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経歴・プロフィールの詳細

 

20005月に「Howling」でインディーズデビュー。 

同年7月に1stシングル「Bcoz I love You」でメジャーデビュー。 

10月にリリースした2ndシングル「my sweet darln`」が大ヒット。

1stアルバム「daiyamonde」もミリオンセラーとなる。 

2001年にYAIKO名義でイギリスでデビュー。 

以降も「Buzzstyle」や「アンダンテ」などの楽曲がヒット。 

2005年から再びインディーズで活動。 

近年はオリジナルアルバムのほか、トリビュートアルバムやカバー曲もリリースしている。 

私生活では2007年に一般人男性と結婚し、2009年に長女を出産している。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。

 

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