女優の紫吹淳さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。元宝塚歌劇団出身の紫吹さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
紫吹淳(しぶき じゅん)
1968年11月19日生
身長170㎝
血液型はA型
群馬県大泉町出身の女優、タレント
本名は棚澤理佳(たなざわ りか)
以下では紫吹淳さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
経歴/プロフィールの詳細
1986年に宝塚歌劇団に入団し、同期には香寿たつきや中条まりらがいる。
同年の「レビュー交響曲」で初舞台。
ダンスの上手さで頭角を現して、1992年の「スパルタカス」で初主演。
2001年にトップスターに就任(相手役は映美くらら)
2004年3月の「薔薇の封印」の公演をもって宝塚歌劇団を退団。
同年の「黒革の手帖」でテレビドラマ初出演。
以降も「地獄の沙汰もヨメ次第」や「ドクターX」などの連続ドラマにレギュラー出演。
タレントとしても活動しており、「プレバト」や「チコちゃんにられる!」などのバラエティー番組にも出演している。
紫吹淳の学歴~出身小学校(大泉町立西小学校)の詳細
出身小学校:群馬県 大泉町立西小学校
紫吹淳さんの出身小学校は、地元大泉町内の公立校・大泉町立西小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
3歳の時に3歩進むとすぐに転んでしまう紫吹さんを心配した母親が体のバランスを整えるため、バレエ教室に通わせたことがきっかけでバレエをはじめました。
幼少期からお洒落が好きでランドセルは使わずに運動靴も履いたことがないような子供でした。
紫吹さんは周囲の人と同じことをするのが好きではなかったことから、上級生からいじめられたこともあったといいます。
また当時の将来の夢はバレリーナになることでインタビューでは次のように話しています。
「おかげで“体育座り”をしているときも、やたら姿勢がきれいだって、友達から言われていました。将来、バレリーナになることだけを夢見ていたんです」
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紫吹淳の学歴~出身中学校(大泉町立南中学校)の詳細
出身中学校:群馬県 大泉町立南中学校 偏差値なし
紫吹淳さんの出身中学校は、地元群馬県大泉町内の公立校・大泉町立南中学校です。
紫吹さんは中学時代はモダンバレエに打ち込んでいました。
土日関係なく毎日レッスンや発表会があったことから、友人と遊びに行く機会もありませんでした。
そのため友人からたまに誘われることもありましたが、直後には「ごめん、バレエだよね」と紫吹さんが返事をする前に断られていたと語っています。
中学1年生の頃には身長が160cmもあったことから発表会で「白雪姫」を演じると王子様より大きかったり、「白鳥の湖」でも3~4羽の群れで踊ると紫吹さんだけ目立ってしまい恥ずかしい思いをしたといいます。
このことが原因となり、中学2年生の1年間はバレエを辞めていました。
同時に自身に欠けていたバレエ以外のことも知りたいという思いもあったとのことです。
紫吹さんは同級生と同じようにテレビ番組を見てアイドルにも夢中になりました。
ちなみに当時のお気に入りはシブがき隊でした。
その後はバレエ教室の先生から背が高くても問題がない宝塚音楽学校を勧められています。
【主な卒業生】
内藤理沙(女優)
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紫吹淳の学歴~出身高校(宝塚音楽学校)・大学の詳細
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出身高校:各種学校 宝塚音楽学校 偏差値なし
紫吹淳さんは中学卒業後は、各種学校の宝塚音楽学校に進学しています。
現在の宝塚音楽学校は通信制高校と提携して高校卒業の資格を取得するカリキュラムがありますが、紫吹さんが在籍した当時はこのようなカリキュラムはありませんでした。
そのため別途通信制高校などを卒業していない限り、最終学歴は「中卒」となります。
また大学などにも進学していません。
後述するように紫吹さんは子供の頃からタカラジェンヌを志していたのではなく、中学時代にバレエ教室の先生に勧められたことでこの学校を受験しています。
このことについては次のように話しています。
「それまで観たこともなく、どんな世界なのか全く知りませんでした。でも、踊れるならいいかなと(笑)。こんな受験生いないですよね」
ほとんど予備知識のないまま宝塚音楽学校を受験していますが、見事に一発合格でした。
伊吹さんはこの学校に入った当初の成績は下から3番目だったとのことです。
この学校には校名が書かれた伝統のある看板があり、紫吹さんは朝学校に行くとその看板をかけて、授業が終わると片付ける係を担っていました。
看板を出しっぱなしにしてしまうと劣化してしまうため重要な役割だったとのことです。
そのため授業中に雨が降ると授業を抜けて外しに行き、また途中で晴れてくると看板を掛けに行かなければいけなかったため、授業どころではなかったと当時を振り返っています。
また予科性にとって上級生は絶対の存在でした。
そのため校内で廊下を歩く際には壁沿いに1列で速足で歩いて、私語や笑顔は厳禁でした。
掃除も毎朝1時間半ほどおこない、制服のスカートの内側に粘着テープを張り付けてほこりに気づいたらすぐに掃除ができるようにしていたようです。
加えて、寮生活においても目覚ましが鳴るとすぐに止めて上級生に配慮をしていました。
阪急電車を見かけるとお辞儀をするというルールも設けられており、上級生や劇団関係者が乗っている可能性もあるため顔が見えなくても頭を下げていたといいます。
紫吹さんは18歳だった1986年に宝塚歌劇団に入団しています。
すると卓越したダンススキルで徐々に頭角を現しています。
そして32歳だった2001年5月に、男役トップスターに就任しています(相手役は映美くらら)。
2004年に宝塚歌劇団を退団して、女優に転身しています。
以降は数々のテレビドラマや映画に出演しています。
またタレントとしても活動しており、数々のバラエティ番組にも出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が紫吹淳さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
宝塚歌劇団を退団後は、女優に転身して数々の舞台やテレビドラマに出演して高い支持を集めています。
またタレントとしても人気が高く、バラエティー番組に引っ張りだことなっています。
最近では「ひな壇ジェンヌ」との異名をとるほどで、幅広い年齢層から絶大な支持を受けています。
末永い活躍を期待したいところです。
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