柳田周作の学歴|出身は九州産業大学・宮崎工業高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

ロックバンド「神はサイコロを振らない」の柳田周作さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。バンドではボーカルとギターを担当している柳田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

柳田周作(やなぎだ しゅうさく)

 

 

1994年12月23生

身長非公表

血液型非公表

 

宮崎県宮崎市出身のミュージシャン

ロックバンド「神はサイコロを振らない」のメンバー

本名同じ

 

以下では「神はサイコロを振らない」柳田周作さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

柳田周作の学歴まとめ

 

出身大学:九州産業大学 建築都市工学部建築学科(中退)

出身高校:宮崎県立宮﨑工業高校 建築科

出身中学校:不明

出身小学校:不明

 

柳田周作の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

柳田周作さんの出身中学校は、地元宮崎市内の公立校のようですが校名などは不明です。

 

家族構成は両親と弟がいることが分かっていますが、詳細は不明です。

 

 

家族写真には、妹のような方も載っていました。

 

子供の頃の将来の夢は建築士になることでした。

 

当時から活発な少年だったようです。

 

 

柳田周作の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:不明

 

柳田周作さんの出身中学校は、地元宮崎市内の公立校のようですが校名などは不明です。

 

祖母が入学祝いでアコースティックギターを購入してくれたことがきっかけで、中学1年生の時から音楽をはじめました。

 

当時は周囲に音楽や楽器を弾いている友人は誰一人もいませんでしたが、柳田さんは音楽雑誌を購入して好きな音楽を歌いながらギターの練習をしていました。

 

当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「当時add9というコードを使っている楽曲にはまってまして、それを神サイでも手癖のように多用していて。普通のメジャーコードと違う、ちょっと浮遊感のある響きはその時に学んだんですよね。」

 

柳田さんは音楽にハマっていき、中学2年生のお年玉でエレキギターとマーシャルのアンプを購入しました。

 

6畳の自分の部屋でこのアンプにギターを繋いで弾いた時の興奮は忘れられないといいます。

 

そして友人にその音を聞かせていたところ、いつの間にか周囲の友人たちも楽器をはじめており中学3年生の時にコピーバンドを結成しました。

 

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柳田周作の学歴~出身高校(宮崎県立宮崎工業高校)の詳細

 

出身高校:宮崎県 宮崎工業高校 建築科 偏差値49(やや容易)

 

 

 

柳田周作さんの出身高校は、県立の共学校の宮崎工業高校です。

 

この高校は1905年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

また同校は以下の7つの学科を設置していますが、柳田さんは建築科に在籍していました。

 

インテリア:偏差値49

化学環境:偏差値49

機械:偏差値49

建築:偏差値49

生産システム:偏差値49

電気:偏差値49

電子情報:偏差値49

 

柳田さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

 

その一方で高校時代にはコピーバンドを組んで、音楽活動に励んでいました。

 

当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「そのときはボーカルじゃなくてギターだったんですけど、メンバーと息を合わせて、目を合わせて音を出すのがすごく楽しくて。」

 

【主な卒業生】

小渕健太郎(コブクロ)

日高竜太(BALLISTIK BOYZ)

 

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柳田周作の学歴~出身大学(九州産業大学)の詳細

 

出身大学:九州産業大学 建築都市工学部建築学科(中退) 偏差値43(容易)

 

 

 

柳田周作さんは高校卒業後は、私立大の九州産業大学に進学しています。

 

当初は建築士を目指していたことを明らかにしているので、在籍したのは建築都市工学部建築学科でしょう。

 

桝田さんは映画「ソラニン」に憧れて、「ああいうバンド活動に明け暮れる大学生活を送ってやるんだ」という夢を描いていました。

 

そして軽音楽サークルの門を叩いていますが、初日に部長と大喧嘩をしています。

 

柳田さんは部室に行ったところ誰もおらず、マーシャルのアンプがあったため思わず自身のギターを鳴らしてしまい部長に怒られたとのことです。

 

その時に後に「神はサイコロは振らない」のメンバーとなる黒川亮介さんがおり、柳田さんは意気投合してバンドを組む約束をしました。

 

しかし黒川さんは別のバンドのドラマーになっていたことから、裏切られたような思いで1人で音楽活動をすることに決めてシンガーソングライターとして活動をおこなっています。

 

当時のことについてインタビューで次のように話しています。

 

「東京や大阪まで路上ライブをしに行ったり東京の小さいライブハウスで歌ったりしていたんですが、当時、石崎ひゅーいさんのことがめっちゃ好きすぎて、ひゅーいさんに憧れて裸足で赤いマフラー巻いた姿でステージに立つという血迷ってた時期があって(笑)。」

 

柳田さんはツイキャスでも歌っており、ファンも付きはじめた頃に、それを知った黒川さんが一緒にバンドを組もうと誘ってきました。

 

柳田さんは黒川さんに対して「調子のよいやつ」だと思いましたが、バンド活動がしたかったことから2人で曲作りをはじめています。

 

大学2年生の頃にこのサークルに吉田喜一さんが入ってきており、まずはサポートという形でバンドに招いています。

 

同じタイミングでベースの弾き方がかなり上手な桐木岳貢さんもサポートメンバーとして加わりました。

 

そして柳田さんが大学3年生だった2015年に、4人組のロックバンド「神はサイコロを振らない」を結成しています。

 

 

なお正確な時期は不明ですが、音楽活動が忙しくなったようで大学は中退しています。

 

そして2020年に、バンドはデジタルシングル「泡沫花火」でメジャーデビューを飾っています。

 

 

すると2021年にはシングル「エーテルの正体」がオリコン9位のヒットになっています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

 

以上が「神はサイコロを振らない」柳田周作さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

バンドは2020年にメジャーデビューしましたが、精力的な活動を展開しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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