プロバスケットボール選手の富樫勇樹さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。日本バスケットボール界のレジェンドの富樫さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
富樫勇樹(とがし ゆうき)
1993年7月30日生
身長167㎝
血液型は非公表
新潟県新発田市出身のプロバスケットボール選手
千葉ジェッツふなばし所属
本名同じ
以下では富樫勇樹さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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富樫勇樹の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:モントロス・クリスチャン高校
出身中学校:新発田市立本丸中学校
出身小学校:新発田市立東豊小学校
富樫勇樹の学歴~出身小学校(新発田市立東豊小学校)の詳細
出身小学校:新潟県 新発田市立東豊小学校
富樫勇樹さんの出身小学校は、地元新発田市内の公立校・新発田市立東豊小学校です。
家族構成は両親と姉、妹の5人家族です。
両親はともに教員で、母親もバスケットボールの経験者です。
富樫さんは2歳の頃にはおもちゃのリングシュートに向かって、打つ姿がすでにワンハンドのフォームだったとのことで、これを見た父親も驚いており「幼い頃から感性がズバ抜けていました」と語っています。
小学1年生の時にミニバスケットボールをはじめており、きっかけについてはインタビューで次のように話していました。
「両親がバスケをしていたので、3つ上の姉(早紀)がミニバスを始めたとき、気がつけば小1の僕も一緒に入団していました。3つ下の妹(南)も後からバスケを始めていますね」
記事引用:スポーツナビ
富樫さんは小学4年生の時には別格と父親が言うほど上手になっていました。
また当時の富樫さんは野菜嫌いの偏食で、母親は苦労したようです。
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富樫勇樹の学歴~出身中学校(新発田市立本丸中学校)の詳細
出身中学校:新潟県 新発田市立本丸中学校 偏差値なし
富樫勇樹さんの出身中学校は、地元新潟県新発田市内の公立校・新発田市立本丸中学校です。
この中学校は公立校ですがバスケットボール部が全国的な強豪として知られ、数々のバスケットボール選手を輩出しています。
富樫さんも中学時代はバスケットボール部に在籍をして、競技に打ち込んでいました。
ちなみに当時のこの中学校のバスケットボール部の監督は、この学校の教師でもあった父親の英樹さんでした。
(前列左端が英樹さん、右から2番目が富樫さん)
なお英樹さんは現在はこの中学校を離れて、開志国際高校で指導しています。
中学生になると父親とは学校内では先生で部活動では監督と選手と言う関係になっていることから、それを区別して上手く接することができなかったと振り返っています。
また父親から部活動で怒られて体育館で厳しく言われたときには、自宅ではいつも通りに過ごせるほどの余裕がなく、背中を向けてご飯を食べることもあったといいます。
とはいえ父親との関係が悪いということではなく、当時の富樫さんは人前であまり話すようなタイプではなかったため、父親と話さないことが当たり前でした。
また当時父親が教えてくれた「フローターシュート」と言う技が、後の富樫さんにとって武器になったと明かしていました。
中学時代は1年生の時からレギュラーとして活躍して、3年連続で全国中学校バスケットボール大会(全中)に出場しています。
全中では1、2年生の時は3位、3年生の時には優勝しています。
特に3年生の時の決勝の東洋大学京北中学校の試合では、富樫さんが36点、相手のエースの田渡凌さん(現在は福島ファイヤーボンズ所属)は39点を挙げるエース対決となり、現在も語り草になっています。
(左が田渡さん)
それにも関わらず富樫さんはインタビューで次のように話しています。
「優勝するのは当たり前だと思っていましたし、普通の大会で優勝するのと同じくらいの気持ちでしたね。チームメイトは相当うれしかったみたいですけど…」
記事引用:Number WEB
また富樫さんは中学2、3年生の時にはそれぞれ15歳以下と16歳以下の日本代表選手に選出されています。
このような中学時代の活躍から、高校に進学する際には多くのバスケットボールの強豪からスカウトを受けています。
しかし日本の高校は「生ぬるい」と考えて、後記のように渡米してアメリカの高校に進学しています。
【主な卒業生】
高沢順子(女優)
田中成也(プロバスケットボール選手)
秋山皓太(プロバスケットボール選手)
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富樫勇樹の学歴~出身高校(モントロス・クリスチャン高校)・大学の詳細
出身高校:アメリカ モントロス・クリスチャン高校 レベル不明
富樫勇樹さんの出身高校は、私立の共学校のモントロス・クリスチャン高校です。
この高校はアメリカ・メリーランド州ノースベセスダにあるキリスト教系の私立高校で、バスケットボールの強豪校として知られています。
NBAのスーパースターのケビン・グラントさんやグレイビス・バスケスさんらもこの高校の卒業生です。
富樫さんはアメリカの別の高校に内定をしていましたが、モントロスのトライアウトを受けた際には高い評価を受けており、練習の雰囲気が明るくやりやすいこともあってこの高校への進学を決めました。
加えてbjリーグ浜松・東三河フェニックスの中村和雄ヘッドコーチにアメリカでの挑戦を勧められていたこともアメリカ留学を決めた要因となっています。
中学を卒業していきなり海外の高校に入学していますが、不安はまったくなかったとインタビューで話しています。
「それがぜんぜん怖くなかったんですよ。海外で生活をすることがどのぐらい大変なのか、言葉が違うところで暮らすことがどれほど大変なのか、よくわからない中学生だったから行けたんだと思います(笑)。当時はバスケットボールをやるんだから、日本でもアメリカでもあまり変わらないだろうと思っていました」
記事引用:bleague.jp
とは言え当時は英語がほとんど話せなかったことから、最初の1年目はYESとNOだけで乗り越えたそうです。
また当時のこの高校の数学は日本の中学校レベルだったことから、富樫さんは周りの生徒に数学を教えていました。
高校時代には3年間寮生活を送っており、英語の勉強もしながらバスケットボールに向き合っていました。
富樫さんは、他の選手たちと渡り合うために筋トレをはじめており、小柄であっても戦っていけるスキルの習得に励みました。
また高校時代は「すべてが違った」と語るほど激しい衝撃を受けており、人間的にも大きく成長を遂げて現在の富樫さんに至る基礎となりました。
当時の富樫さんは友人が多く信頼されるエースだったとのことですが、人前では思春期もあり人見知りが激しく口数が少なかったようです。
競技面では高校2年生だった2010年からバスケットボール部のレギュラーに定着しています。
そしてこの年の全米ランキング2位入りに貢献しています。
加えて中学時代まではシャイな性格でしたが、アメリカでの3年間の生活で性格がポジティブになったそうです。
競技面を含めても高校時代の3年間は、非常に有益だったと振り返っています。
大学には進学していない
なお富樫さんは高校卒業後は大学には進学していません。
当初はアメリカの大学への進学を目指しており、1部リーグの大学からも勧誘を受けています。
しかし富樫さんが希望した学費の全額免除を受けることができなかったことから、アメリカの大学への進学は断念しています。
そのため高校卒業後は、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団してプロのバスケットボール選手の道に進みました。
富樫さんは1年目からレギュラーとして活躍して、bjリーグの新人賞を受賞しています。
21歳だった2014年から1シーズン、NBAの下部組織「テキサス・レジェンズ」でもプレーしています。
千葉ジェッツに所属していた2019年には、日本人初の1億円プレーヤーになっています。
また日本代表でも長らく主力選手として活躍しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が富樫勇樹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校卒業後にbjリーグにデビューしましたが、常に第一線で活躍してきました。
また長らく日本代表の主力選手を務めており、現在では「レジェンド」の風格さえあります。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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