中条きよしの学歴と経歴|出身は岐阜東高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

政治家の中条きよしさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。歌手や俳優としても高い人気を誇っていた中条さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

中条きよし(なかじょう きよし)

 

 

1946年3月4日生

身長178㎝

血液型はB型

 

岐阜県岐阜市出身の歌手、俳優、政治家

日本維新の会所属

本名は下村清(しもむら きよし)

 

以下では中条きよしさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

中条きよしの学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:岐阜東高校 商業科(中退)

出身中学校:岐阜市立伊奈波中学校

出身小学校:岐阜市立京町小学校

 

中条きよしの学歴~出身小学校(岐阜市立京町小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 岐阜市立京町小学校

※現在は岐阜市立岐阜小学校

 

 

 

中条きよしさんの出身小学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立京町小学校です。

 

この小学校は2008年に岐阜市立金華小学校と統合されて、現在は岐阜市立岐阜小学校になっています。

 

家族構成は母親と姉がいることが分かっていますが、詳細は不明です。

 

3歳の時に父親が他界しています。

 

その後は母親が父親の仕事を引き継いでバーを運営しながら、母子家庭という環境で中条さんたちを育てていたようです。

 

小学生の頃は自身のことを音痴だと思っており、将来歌手になるとは考えたこともなかったことをインタビューで明かしています。

 

中条さんは小学生の頃から映画俳優を志していました。

 

というのも中条さんは映画の撮影を見学したことがあり、ある役者さんの演技を見てそれほど上手には見えませんでした。

 

この時に「俺も頑張ったらできるんじゃないか」と思ったことが、俳優を目指すきっかけの1つとなりました。

 

また当時は映画館に行けば東映時代劇ばかりだったことから、銀幕のスターに憧れを抱いていたとのことです。

 

東映の太秦の撮影所に行って、中村錦之助さん主演の「宮本武蔵」を見学したこともありました。

 

そして中条さんは小学5年生くらいのときに岐阜の児童劇団に入団しています。

 

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中条きよしの学歴~出身中学校(岐阜市立伊奈波中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 岐阜市立伊奈波中学校 偏差値なし

※現在は岐阜市立清流中学校

 

 

 

中条きよしさんの出身中学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立伊奈波(いなば)中学校です。

 

この中学校は2012年に近隣の中学校と統合されて、現在は岐阜市立清流中学校になっています。

 

中条さんは中学時代も演劇部に在籍をしていました。

 

ただし中学時代の情報やエピソードはほとんど見当たりませんでした。

 

【主な卒業生】

堀未央奈(元乃木坂46)

Mr.マリック(マジシャン)

 

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中条きよしの学歴~出身高校(岐阜東高校)・大学の詳細

 

出身高校:岐阜県 岐阜東高校 商業科(中退) 偏差値不明

 

 

 

中条きよしさんが入学したのは、私立の共学校の岐阜東高校です。

 

この高校は1957年開校の私立高校で、中条さんが在籍した当時は普通科のほか、商業科や機械科を設置していました(商業科や機械科は後に廃止)。

 

中条さんはこの高校の商業科に在籍していました。

 

 

ただし当時のこの高校の商業科の偏差値などの詳細は不明です。

 

また同校は現在は特進コースなどを設置していることから偏差値は向上していますが(偏差値54~61)、当時は現在ほどのレベルではありませんでした。

 

高校時代は演劇部に在籍をしていたようです。

 

中条さんはミスター岐阜東と呼ばれており、当時は女子から非常にモテていました。

 

また高校時代の中条さんはヤンチャなタイプで当時は交際している女子もいたようです。

 

学生時代は同級生から「下村くん」と呼ばれて慕われていました。

 

時期は不明ですが高校を中退しており、大学などにも進学していません。

 

【主な卒業生】

森夏美(アナウンサー)

 

中退後は船員として、半年間ほど貨物船の司厨員を勤めています。

 

前記のように中条さんは役者志望だったことから、その後は大阪で劇団に入団をしていましたが売れていませんでした。

 

19歳の時にある歌謡ショーで急な体調不良で出演できなくなった人がおり、事務所の人から「歌えない?明日」と聞かれたそうです。

 

中条さんは歌に自信がないことから断りましたが、2曲で良いと言われたため歌を披露したところ、知らないおじさんからは「ひどかったね」と言われています。

 

しかしこのおじさんから歌は酷いけれど、舞台映えするためうちで歌ってみない?と誘われており、歌を歌うようになりました。

 

そして1968年に「高波晃」という芸名で歌手デビューをしています。

 

 

その後は「渥美健」に改名して再デビューしていますが、まったく売れませんでした。

 

 

しかし27歳だった1973年にオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場して、10週勝ち抜きのグランドチャンピオンになっています。

 

審査員だった平尾昌晃さんの命名で「中条きよし」に改名すると、演歌歌手として3たびデビューしています。

 

すると楽曲「うそ」が150万枚のミリオンセラーを記録して、一躍人気歌手になっています。

 

 

その一方で中条さんは俳優としても活動をおこなっており、1981年から出演した「必殺シリーズ」は当たり役になっています。

 

 

76歳だった2022年4月に日本維新の会公認で参議院議員選挙に出馬して初当選して、政治家としても活動を開始しています。

 

 

今後は政治家としての活動が中心になり、芸能活動は2022年限りで引退することを発表しています。

 

以上が中条きよしさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

歌手としては数々のヒット曲をリリースしてきました。

 

また俳優として成功を収めています。

 

 

今後は政治家として活動していくとのことですが、さらなる活躍にも期待が高まります。

 

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