元政治家でタレントの東国原英夫さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は東国原さんは早稲田大学や明治大学を受かったにも関わらず、とある事情で専修大学に進学しています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
東国原英夫(ひがしこくばる ひでお)
1957年9月16日生
身長174㎝
血液型はB型
宮崎県都城市出身のタレント、元政治家
本名同じ、芸人時代の芸名はそのまんま東
以下では東国原英夫さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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東国原英夫の学歴まとめ
出身大学:早稲田大学 政治経済学部政治学科(中退)
出身大学:早稲田大学 第二文学部
出身大学:専修大学 経済学部経済学科
出身高校:宮崎県立都城泉ヶ丘高校
出身中学校:都城市立妻ヶ丘中学校
出身小学校:都城市立大王小学校
東国原英夫の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:宮崎県 都城市立大王小学校
東国原英夫さんが入学したのは、地元都城市内の公立校の大王小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
ただし両親は離婚して、いったんは母親に引き取られています。
後に母親が再婚したため、苗字が東国原になったとのこと。
小学生の頃の夢はナポレオンに憧れておりお笑い芸人と政治家でしたが、後にいずれも叶えることになりました。
小学生時代は成績優秀で小学生時代の6年間は、学級委員長か副委員長に必ず選ばれるほど優等生でした。
また絵を描くことも得意だったそうで、賞を受賞したこともありました。
加えて東国原さんは小学校時代から将来の夢はお笑い芸人と政治家で、後にどちらも実現させています。
なお小学校時代に実家が転居したようで、都城市立東小学校に転校して卒業しています。
東国原英夫の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:宮崎県 都城市立妻ヶ丘中学校 偏差値なし
東国原英夫さんの出身中学校は、地元宮崎県都城市内の公立の妻ヶ丘中学校です。
中学時代は生徒会長を務めていました。
中学時代に「アホの坂田」の坂田利夫さんに憧れて弟子入りするために友人と家出をしましたが、捜索願が出されたことで途中で警察に補導されて連れ戻されています。
吉本興業がある大阪まで行こうとしたそうですが、中学生だったこともあり途中で心細くなり泣いてしまうこともあったようです。
警察に連行されたときに出会ったおじさんに「これからのお笑いには頭も必要。高校や大学を出てからお笑いを目指せ」と言われたことがきっかけで、猛勉強をして高校受験をしています。
そのため中学時代には不良グループに入っていましたが、夕方には「お前は勉強しろ」と番長が帰してくれていたそうです。
【主な卒業生】
吉田セイラ(ファッションモデル)
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東国原英夫の学歴~出身高校の詳細
出身高校:宮崎県 都城泉ヶ丘高校 偏差値57(中の上)
東国原英夫さんの出身高校は、県立の共学校の都城泉ヶ丘高校です。
同校は1899年創立の伝統校で、地元では古くからの進学校として知られてきました。
東国原さんは高校時代はハンドボール部に在籍しており、部活動に打ち込んでいました。
ハンドボール部ではキャプテンを務めており、当時からリーダーシップを発揮しています。
高校総体に2年連続で出場しており、高校2年生の時にはベスト4という成績を残しています。
また東国原さんは運動神経が万能だったので、高校時代は水泳部やサッカー部、陸上にも助っ人として参加していました。
高校時代は女子からとてもモテていたそうで、バレンタインデーにもたくさんチョコをもらったそうです。
中学時代に不良グループに入っていたことから、高校でも学校生活を活気づけるために毎日放課後1時間だけ活動をする不良部を作っています。
【主な卒業生】
中山大三郎(作詞家)
黒木和雄(映画監督)
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東国原英夫の学歴~出身大学の詳細
出身大学:専修大学 経済学部経済学科 偏差値49(当時)
東国原英夫さんは高校卒業後は、専修大学に進学します。
在籍したのは経済学部です。
実はこの大学は第三希望でしたが、大学受験の際に親から渡されていた入学手付金を使い込んでしまったことでこの大学へ入学しています。
大学受験の際には父親からは「浪人も留年もさせない」と言われていたそうで、受験のための費用を100万円もらって1ヶ月ほど東京に滞在しましたがその際に散在してしまいます。
そして1校分しか入学手付金を支払うことが出来なくなり、その時点で合格が決まっていた専修大学への入学を決めました。
後ほど第一希望だった早稲田大学と第二希望だった明治大学に合格していたことが分かりましたが、親には落ちたと話したことをインタビューで明らかにしています。
大学生の頃はクリーニング屋でポケットのゴミ取りや映画館でアイスクリーム売ったり、運送屋などのアルバイトを経験しました。
大学にはまともに通わずにアルバイト漬けの日々を送っていたそうです。
当時は貯めたバイト代で浅草の漫才劇場に通い、無名だったビートたけしさんを観に行っていたそうです。
そして大学4年生の時にバラエティ番組「笑ってる場合ですよ!」内で5日間勝ち抜いたら10万円もらえる企画があり、後輩を誘ってアルバイト感覚で出演しました。
東国原さんは見事に勝ち抜き、この番組の出演者だったビートたけしさん本人に会うことができ、弟子入りを申し出ました。
ちなみにビートたけしさんは弟子を多くとって後に「たけし軍団」も結成されますが、東国原さんは弟子の第1号です。
なお大学はキッチリと卒業しています。
大学卒業後はたけしさんの付き人を経て、24歳だった1984年にお笑い芸人としてデビューしています。
ちなみにデビュー当時は東英夫の芸名でしたが、その後にそのまんま東に改名しています。
また当初は大森うたえもんさんとお笑いコンビを組んでいたこともありました。
その後もたけし軍団の番頭格として、数々のバラエティ番組に出演しています。
売れっ子になった後、42歳で早稲田大学の第二文学部(偏差値60)に入学して卒業。
48歳の時に早稲田大学の政経学部政治学科(偏差値68)に社会人AO入試で入学しますが、2年次修了の時点で中退しています。
49歳だった2006年に政治家に転身して、翌年1月の宮崎県知事選挙に初当選しています。
その後は衆議院議員も務めましたが、2013年に日本維新の会を離党して議員辞職した後は政界に復帰していません。
以降はコメンテーターや政治評論家として数々のテレビ番組に出演しています。
政界復帰についてはたびたび噂になっていますが、本人は否定しています。
以上が東国原英夫さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
お笑い芸人時代はビートたけしさんの右腕として、数々のバラエティ番組に出演していました。
政治家転向の際には疑問の声も上がりましたが、宮崎県知事時代の実績は高く評価されています。
政治の世界にカムバックする可能性もあるため、今後の動向にも注目です。
経歴/プロフィールの詳細
1980年にお笑いコンビ「オスカル・メスカル」の一員としてバラエティー番組「笑ってる場合ですよ」に出演した際に、出演者だったビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入り。
1982年に東英夫の芸名で、お笑いコンビ「ツーツーレロレロ」でプロデビュー。
1983年から芸名をそのまんま東に改める。
以降は「風雲!たけし城」や「笑っていいとも!」のレギュラーとなり人気を博す。
俳優としても「白い巨塔」や「誰にも言えない」などの人気ドラマに出演。
2007年の宮崎県知事選挙に立候補して当選。
2011年の都知事選挙に出馬して落選するも、翌年の衆議院議員選挙に日本維新の会から出馬して当選。
2013年12月に日本維新の会を離党し、衆議院議員も辞任した。
私生活ではタレントの片平きよみ、女優のかとうかずこと2度の離婚を経験し、2014年に20歳年下の女性と再婚した。
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