将来の総理大臣候補の呼び声もある西村康稔さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は西村さんは超のつく難関校の出身者でありながら、運動神経がよく学生時代は部活動にも励んでいました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のイケメン画像なども併せてご紹介いたします
西村康稔(にしむら やすとし)
1962年10月15日生
身長178㎝
血液型はB型
兵庫県明石市出身の政治家
自由民主党所属
本名同じ
以下では西村康稔さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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西村康稔の学歴まとめ
出身大学:東京大学 法学部
出身高校:灘高校
出身中学校:神戸大学附属明石中学校
出身小学校:神戸大学附属明石小学校
西村康稔の学歴~出身小学校(神戸大学附属明石小学校)の詳細
出身小学校:兵庫県 神戸大学附属明石小学校
西村康稔さんの出身小学校は、国立の共学校の神戸大学附属明石小学校です。
この小学校は出身中学校に併設している系列校で、中学校には内部進学で進んでいます。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
実家は祖父の代から時計店を営んでおり、父親はサラリーマンという至って普通の家庭に育っています。
幼少期は、兵庫県明石市二見の市営住宅で過ごしていたといいます。
西村さんは子供の頃から勉強ができたばかりでなく、スポーツも得意な文武両道型の生徒でした。
また当時から明るく活発な少年でした。
西村康稔の学歴~出身中学校(神戸大学附属明石中学校)の詳細
出身中学校:兵庫県 神戸大学附属明石中学校 偏差値68(難関)
※現在は神戸大学附属中等教育学校
西村康稔さんの出身中学校は、国立の共学校の神戸大学附属明石中学校です。
この中学校は長らく兵庫県でトップレベルの中学校として知られていましたが、2009年に神戸大学附属中等教育学校が開校したため2011年3月に閉校しています。
西村さんは中学校時代は、クラスの人気者で生徒会長・応援団長を務めていました。
また子供の頃から運動神経がよく、陸上部に所属しており3000mで明石市内4位の記録を残しています。
また駅伝ではアンカーを務めるも、最後の最後で抜かれ惜しくも2位という成績を残しています。
【主な卒業生】
杉尾秀哉(ジャーナリスト)
末松信介(政治家)
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西村康稔の学歴~出身高校(灘高校)の詳細
出身高校:兵庫県 灘高校 偏差値78(超難関)
西村康稔さんの出身高校は、私立の男子校の灘高校です。
この高校は1927年に菊正宗酒造が設立した高校で、全国でも屈指の進学校として知られています。
2020年度の同校の主な進学実績は次のようになります(浪人生含む)。
東京大学:79名
京都大学:49名
大阪大学:14名
神戸大学:11名
慶応義塾大学:24名
早稲田大学:23名
同志社大学:18名
西村さんは一般受験でこの高校に進学しており、当時もかなりの学力を有していました。
その一方で決してガリ勉タイプではなく、高校時代は野球部に所属して部活動にも打ち込んでいます。
ポジションは外野手で、バッティングではここぞという時の勝負強さは有名だったと公式HPに綴っています。
【主な卒業生】
黒岩祐治(神奈川県知事)
遠藤周作(作家)
中島らも(ミュージシャン)
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西村康稔の学歴~出身大学(東京大学)の詳細
出身大学:東京大学 法学部 偏差値74(超難関)
西村康稔さんは高校卒業後は、東京大学に進学しています。
この大学の法学部は国内の文系学部の最高峰で、これまで多くの政治家や官僚を輩出しています。
このような大学に一般受験で進学できるほど西村さんは優秀でしたが、大学時代はなんとボクシング部に在籍しています。
生まれて初めてボクシングのグローブを手にした日から最初の3カ月はひたすら「フットワーク」の練習の日々だったといいます。
そして「左ジャブ」をしながら利き腕の右手はすべてガードに使うなどの練習。
徹底したアウトボクシングで、基本は「ヒット&アウェイ」だったそう。
当時の東京大学ボクシング部は関東大学3部リーグで決して強豪ではありませんでしたが、リーグでは準優勝を飾っています。
また西村さんは大学時代は個人戦で9勝2敗の成績を残しています。
ただし大学3年生の時にロサンゼルスオリンピックの東京都予選に出場した際には強豪の日本大学の1年生と対戦していますが、アマチュアボクシングでは珍しい1RKO負けを喫しています。
とは言えボクシングの部での思い出は尽きないとインタビューで述べています。
「毎夏の練習の後には、駒場の線路沿いのかき氷屋さんで、丼いっぱいのかき氷を食べた。1回約2時間の練習で、2~2.5kg体重が減るのだから、水分補給は当然だが、皆でかき氷をつつくのはホントに楽しいひとときだった。山中湖の夏合宿の時も、午後の練習が終わったら、洗面台まで一目散に走り、水道の蛇口に口をつけ、水をガブ飲みしたものだ。最終日の山中湖1周マラソンもよく思い出す。合宿も最終日となってヘトヘトに疲れている体にムチ打ってのマラソンである。走り終えた後、「これ以上辛いことはない。何でもできる」と変な自信がついたものだ。」
記事引用:衆議院議員 西村やすとし
また大学時代にボクシングをおこなっていたお陰で、「打たれ強い」「へこたれない」今の自分があると思うとも述べています。
加えて大学時代の卒業旅行ではイギリスに行っており、もっと早く海外旅行をしておけばよかったと後悔したそうです。
東京大学を卒業後は、通産省入省後しています。
通産省時代に米国メリーランド大学院で国際政治・経済を学んでいます。
この大学院には公費留学しており、通産省内でも優秀な官僚であったことが窺えます。
また大学院時代は経済学者のJ・Tデスラー教授の下で学んでいます。
通産省時代には、風力発電の導入促進、アルミ缶のリサイクル制度の制定に尽力、ブラジルの「地球環境サミット」に出席するなど、エネルギー・環境分野で活躍してきました。
また、中小企業の新分野進出・IT化など支援や石川県商工課長も経験し、地方主導のまちづくりを実践するなどの活動にも携わっています。
そして、西村康稔さんが37歳の頃に衆議院選に初挑戦しますが、残念ながら5,400票差で惜敗してしまいます。
浪人することとなった西村康稔さんは、毎日、駅立ちや地域を隈なく歩きました。
こうして2003年の第43回衆議院議員総選挙に再び無所属で兵庫9区から出馬し、前回敗れた宮本さんを下して初当選しました。
その後は政治家として順調にキャリアを重ね、2017年には第4次安倍内閣で経済再生担当大臣として初入閣しています。
将来の内閣総理大臣候補のひとりとも目されており、その政治的手腕にも注目が集まります。
以上が西村康稔さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
通産省の元エリート官僚で41歳で初当選を果たしていますが、その後は着実に自民党内でもその地位を築き上げています。
このところは将来の総理大臣候補のひとりとも評されて、その将来も期待されています。
経済再生や新型コロナ対策担当など重大な責務を背負っていますので、その手腕にも期待がかかります。
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