トヨタ自動車の社長・豊田章男さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は豊田さんは大学時代はフィールドホッケーに打ち込んでおり、日本代表にも選ばれたことがありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
豊田章男(とよた あきお)
1956年5月3日生
身長非公表
血液型はA型
愛知県名古屋市出身の実業家
トヨタ自動車代表取締役兼CEO
本名同じ
以下では豊田章男さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
豊田章男の学歴~出身小学校(愛知教育大学附属名古屋小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 愛知教育大学附属名古屋小学校
豊田章男さんの出身小学校は、国立の共学校の愛知教育大学附属名古屋小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
実家はトヨタ自動車の創業家で、父親の豊田章一郎さんも社長を務めていました。
母親の博子さんは三井財閥一族の令嬢です。
父親は多忙だったそうで、豊田さんは母親からは厳しく育てられていました。
とは言え小学校時代は近所中を自転車で駆け回るような活発な子供で、ヤンチャな性格でした。
隣の自宅に勝手に侵入をして自転車を乗り回したことが親にバレて、自宅の地下室に閉じ込められたというエピソードもあります。
子供の頃から車が身近にあったため車好きで、父親が連れて行ってくれるドライブを楽しみにしていました。
当時は父親の会社については知らなかったことから、豊田さんは「毎日いろんなクルマに乗って帰ってくるなぁ」と思う程度だったことを明かしています。
また豊田さんの子供の頃の将来の夢は、タクシードライバーになることでした。
豊田章男の学歴~出身中学校(愛知教育大学附属名古屋中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 愛知教育大学附属名古屋中学校 偏差値59(中の上)
豊田章男さんの出身中学校は、国立の共学校の愛知教育大学附属名古屋中学校です。
この中学校は1947年開校の国立中学校で、地元では古くからの進学校として知られています。
豊田さんはこの中学校の系列の小学校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
中学時代はサッカー部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
なおこの中学校には系列の高校がなく卒業生は高校受験をすることになりますが、豊田さんは地元の高校ではなく慶応義塾高校を受験しています。
【主な卒業生】
筒井あやめ(乃木坂46・転校)
森下千里(タレント)
野口友輔(Hi☆Five)
赤座美代子(女優)
山中章子(アナウンサー)
スポンサードリンク
豊田章男の学歴~出身高校(慶応義塾高校)の詳細
出身高校:神奈川県 慶応義塾高校 偏差値76(超難関)
豊田章男さんの出身高校は、私立の男子校の慶応義塾高校です。
この高校は1948年開校の慶応義塾大学の系列の私立高校で、古くから自由な校風で知られています。
また卒業生は原則として系列の慶応義塾大学に進学できるので、現在では偏差値も跳ね上がっています。
豊田さんはこの高校に一般受験で合格しており、高い学力を有していました。
高校の同学年には、コラムニストの泉麻人さんも在籍していました。
豊田さんはこの高校に入学する際に、地元の愛知県から上京をしました。
この高校では系列の中学校から内部進学をしてきた生徒がほとんどだったとのことで、孤独だったようです。
また豊田さんは高校在学中にはアメリカ合衆国のハワイへ渡り、プナホウ・スクールで学んでいます。
そして車好きだったこともあり、18歳になるとすぐに自動車の運転免許を取得しました。
豊田さんは仮免許試験の実技で脱輪をして1度失敗したそうです。
そして免許取得後には車を運転していたところ、自宅の前でひっくり返り病院に運ばれました。
この時に父親は急いで病院に駆けつけたとのことですが、豊田さんは軽傷だったことから、すでに病院にはいなかったというエピソードを明かしています。
ちなみにはじめての車はトヨタの「コロナ」だったとのことで、インタビューでは「学生のときにおばあちゃんが買ってくれた。『超お坊ちゃん』だったからね」と語っています。
豊田さんは本当は「セリカ」が欲しかったとのことですが、言い出せなかったと話していました。
【主な卒業生】
櫻井翔(嵐)
加山雄三(歌手)
岩田剛典(三代目J Soul Brothers)
石原良純(タレント)
小出恵介(俳優)
スポンサードリンク
豊田章男の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細
スポンサードリンク
出身大学:慶応義塾大学 法学部法律学科 偏差値68(難関)
豊田章男さんは高校卒業後は、名門私立大の慶応義塾大学に進学しています。
この大学の系列の高校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
在籍したのは法学部で、法律学を専攻していました。
豊田さんは大学時代には体育会ホッケー部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。
大学1年生のときからすでにレギュラーを獲得していたことを明かしており、日本代表にも選ばれています。
ちなみにホッケーは大学入学後にはじめています。
豊田さんはホッケー部についてはインタビューで次のように振り返っています。
「大学4年生のときは、グランド・ホッケーの全日本選手としてアジア大会に出場しました。熱中していたかどうかはわからないけど、運動しかしていませんでしたね。一応、日の丸を背負っていたんですよ。」
豊田さんはモスクワオリンピックのホッケーチームの候補選手でしたが、日本のボイコットによって残念ながら出場できませんでした。
また大学時代は寮と講義、図書館を行き来して勉強に打ち込んでいました。
このように大学時代はホッケー中心の生活でしたが学業もしっかりとおこなっており、大学はキッチリと卒業しています。
大学卒業後は語学留学のため渡米して、マサチューセッツ州のハブソン大学のビジネススクールに入学しています。
この大学では経営学修士(MBA)を取得しています。
当初はアメリカの投資銀行に勤務していましたが、28歳だった1984年にトヨタ自動車に入社しています。
2009年にトヨタ自動車の社長に就任すると、たびたびメディアにも登場しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が豊田章男さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
リーマンショックの影響で赤字の時代に社長に就任しましたが、辣腕を発揮して業績をV字回復しています。
そのため数々のメディアにも取り上げられています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。