俳優の岸谷五朗さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は岸谷さんは高校時代は地元では有名な不良でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
岸谷五朗(きしたに ごろう)
1964年9月27日生
身長175㎝
血液型はO型
東京都武蔵野市出身の俳優
本名同じ
以下では岸谷五朗さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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岸谷五朗の学歴まとめ
出身大学:中央大学 商学部(中退)
出身高校:都立小平高校
出身中学校:武蔵野市立第四中学校
出身小学校:武蔵野市立大野田小学校
岸谷五朗の学歴~出身小学校(武蔵野市立大野田小学校)の詳細
出身小学校:東京都 武蔵野市立大野田小学校
岸谷五朗さんの出身小学校は、地元東京都武蔵野市内の公立校の大野田(おおのでん)小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族のようです。
実家はあまり裕福な家庭ではありませんでした。
小学生の頃は先生に通信簿に「明朗活発活動家」と書かれるほど、活発で運動神経も良かったようです。
そのため学生時代はずっとリレーの選手でした。
小学校時代に俳優を志す
岸谷さんは小学生の頃に演劇「冒険者たち」を見て、俳優を志すようになりました。
当時のことについてインタビューでは次のように話していました。
「小学校の時に初めて観た「冒険者たち」という芝居は、ノロイという悪役が山のてっぺんに出た時に、いわゆる演劇的に言うと、音楽、SE、照明、役者全てがひとつになる瞬間があって、『なんてかっこいいんだろう』と感じたのを覚えています。」
引用元:HIGHFLYERS
岸谷五朗の学歴~出身中学校(武蔵野市立第四中学校)の詳細
出身中学校:東京都 武蔵野市立第四中学校 偏差値なし
岸谷五朗さんの出身中学校は、地元武蔵野市内の公立校の第四中学校です。
この中学校に在学中は、2学年下にフジテレビの奥寺健アナウンサーも在籍していました。
中学校時代のエピソード
岸谷さんは中学校時代はサッカー部に在籍していたようです。
母親はもともと演劇が好きでしたが当時は家庭が貧しかったため、子供には演劇触れて欲しいと思い、岸谷さんが中学生の頃には岸谷さんと姉だけ演劇に連れて行ってくれました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「母は姉と僕を劇場に入れてくれて、自分は用があるからって中には入らなかったんです。いま考えるとやはりチケット代のことがあったんでしょうね。」
引用元:婦人公論.jp
【主な卒業生】
原日出子(女優)
箕輪はるか(お笑い・ハリセンボン)
桐野夏生(作家)
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岸谷五朗の学歴~出身高校(都立小平高校)の詳細
出身高校:東京都 小平高校 偏差値58(中の上)
岸谷五朗さんの出身高校は、都立の共学校の小平高校です。
この高校は1962年開校の中堅都立校で、部活動が盛んなことで知られています。
高校時代はサッカー部に在籍をしていました。
また時期は不明ですがバスケットボールが好きで、一瞬だけバスケットボール部に在籍していたこともあったとのことです。
高校時代は不良だった
意外にも岸谷さんは高校時代はかなり不良だったようで、週刊現代では次のように報じられています。
「高校時代はリーゼントで外見はとにかくおっかない。顔がデカイから相手もビビる。東京・多摩地区の『小平愚連隊』の番格で、暴走族の集会にも参加していた。正義感が強くて、周囲からは一目置かれていましたよ」(岸谷を知る地元住民)」
引用元:週刊現代
当時は喧嘩が強く「三多摩の五朗」との異名をとって、不良グループの「小平愚連隊」のトップとして君臨していました。
岸谷さんは高校時代はやりたいことがたくさんあり、将来のことを考える時間もないほど遊びまわっています。
とは言え、いじめなどせずに後輩の面倒見がよく、優しい不良として評判でした。
加えて授業もさぼることはなく教師からの評判も良かったことから、不良の仲間からは「どうして不良なんだ」と不思議がられる存在だったようです。
岸谷さんはちょうど進路を考えるタイミングで「あ、そう言えば俺、舞台俳優になるんだった」と突然思い出しました。
この時から将来は舞台俳優になることしか頭にありませんでしたが、母親から大学進学を勧められて大学に進んでいます。
【主な卒業生】
柳原可奈子(お笑いタレント)
川田龍平(政治家)
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岸谷五朗の学歴~出身大学(中央大学)の詳細
出身大学:中央大学 商学部(中退) 偏差値58(中の上)
岸谷五朗さんは高校卒業後は、中央大学に進学しています。
在籍したのは商学部です。
大学1年生の時に劇団に入団
大学1年生だった1983年に三宅裕司さん主宰の劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の入団試験を受けますが、履歴書に特攻服姿の写真を使って三宅さんを驚かせるています。
また演技未経験にも関わらず課題のひとり芝居もクリアして合格します。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「大学に行って学生演劇をやるつもりは全然なくて、プロにならなきゃと思って、焦ってオーディションを受けようとして、作品を一本も観たことがないのに、オーディションを受けたんですよ。」
引用元:HIGHFLYERS
オーディションへの応募は100人以上ありましたが、入団をしたのは岸谷さんを入れて3人だけだったとのことです。
入団後は毎日アクロバットやタップダンス、ジャズダンスやクラシックバレエなどのレッスン漬けの日々を送っています。
またクラシックバレエのレッスンは、1回1,500円かかっていたことから、アルバイトもおこなっていました。
その後は舞台を中心に活動を開始したことから、詳細な時期は不明ですが大学を中退しています。
以降は劇団の看板俳優として、数多くの舞台に出演しています。
1990年から恵俊彰さんとの共演でラジオ番組「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」のDJを担当し、知名度が一気に上昇ています。
そして1993年の映画「月はどっちに出ている」の主演に抜擢されてブレイクしています(ルビー・モレノとW主演)。
岸谷さんは30歳だった1994年に「スーパー・エキセントリック・シアター」を退団しますが、以降は主にテレビドラマや映画に活動の場を移しています。
1996年の「みにくいアヒルの子」でテレビドラマ初主演しています。
またこの年には「プリンセス・プリンセス」のボーカルの奥居香さんと結婚して、大きな話題になっています。
近年は主演作こそ減りましたが、圧倒的な存在感で様々な作品を盛り上げています。
現在も精力的に活動しており、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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