人気俳優の織田裕二さんの出身中学校や高校・大学の偏差値などの学歴情報をご紹介します。意外にも荒れていた高校時代などの学生時代のエピソードや若い頃の画像も併せてご紹介します
織田裕二(おだ ゆうじ)
1967年12月13日生
身長177㎝
血液型はA型
神奈川県出身の俳優
本名同じ
以下では織田裕二さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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織田裕二の学歴まとめ
出身大学:ピッツバーグ大学日本校
出身高校:桐蔭学園高校
出身中学校:桐蔭学園中学校
出身小学校:桐蔭学園小学校
学歴~出身小学校(桐蔭学園小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 桐蔭学園小学校
織田裕二さんの出身小学校は、私立の共学校の桐蔭学園小学校です。
この小学校もその名の通り、学校法人桐蔭学園が経営する小学校で、織田さんは小学校から高校まではエスカレーター式で進学しています。
家族構成は両親と兄の4人家族です(2人兄弟の弟)。
インターネット上には父親は東京大学卒業で、三菱電機の役員を務めていたとの情報もありますが真偽のほどは不明です。
ただし織田さんが小学校から私立小学校に進んでいることを考えれば、実家は裕福であったことは間違いないでしょう。
子供の頃から運動神経がよく、小学校時代は地元のリトルリーグのチームに在籍して野球に打ち込んでいました。
また子供の頃は日本でも放送されていたアメリカの戦争ドラマ「コンバット」が大好きでした。
(コンバット)
加えて織田さんは当時からかなり気の強い少年で、売られたケンカは必ず買っていたという逸話も残っています。
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学歴~出身中学校(桐蔭学園中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 桐蔭学園中学校・男子部 偏差値57(中の上)
※現在は桐蔭学園中等教育学校
織田裕二さんの出身中学校は、私立の男子校の桐蔭学園中学校です。
この中学校は横浜市青葉区にある桐蔭学園高校のキャンパスに併設されている附属校です。
そのため織田さんも高校へは一般受験の入学ではなく、内部進学で進んでいます。
(中学時代の卒アル)
中学時代はテニス部に所属しており、熱心に部活動に励んでいたようです。
ただし織田さんは中学時代から護身用のナイフを持ち歩くなど、当時からヤンチャだったようです。
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学歴~出身高校(桐蔭学園高校)の詳細
出身高校:神奈川県 桐蔭学園高校 男子部 偏差値65(難関)
織田裕二さんの出身高校は、私立の男子校の桐蔭学園男子部です。
同校は中高一貫校で、高校から入学するにはかなりの難関ですが、系列の中学からの内部進学者も多く、1学年の定員が1000人以上のマンモス校で知られており、生徒の学力差が激しいことで知られています。
織田さんは中学時代に引き続き高校時代もテニス部に在籍しています。
この高校はスポーツが盛んで、サッカー部やラグビー部、硬式野球部などが全国大会の常連ですが、織田さんが在籍した硬式テニス部も県内では強豪として知られています。
ところが高校1年生の時に膝を壊して退部して、テニスは断念しています。
当時の織田さんはかなり本気でテニスに取り組んでいたことから、当時はなんと自殺を考えたこともインタビューで明らかにしています。
「ずっとスポーツをやってきて、膝を壊した時に自殺を考えました」
記事引用:ORICON
またテニスを断念してからは目標を失ってしまったことから、マージャン、ビリヤードに熱中し、高校の成績もかなり悪かったと言います。
そのため偏差値の高い高校の出身ながら、入学しやすい海外の大学の日本校に進学したようです。
さらに高校時代はバンド活動も開始しており、「Deps」というロックバンドでギターを担当しています。
加えて織田さんは高校時代は荒れており、「ケンカして織田に一発くれると必ず三発返ってくる」と恐れられ、「3倍返しの織田」と呼ばれたエピソードも残っています。
【主な卒業生】
水嶋ヒロ(俳優)
デーモン小暮閣下(ミュージシャン)
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学歴~出身大学(ピッツバーグ大学日本校)の詳細
出身大学:ピッツバーグ大学日本校(中退) 偏差値なし
織田裕二さんは高校卒業後は、ピッツバーグ大学の日本校に進学します。
バブル期には多くの海外の大学の日本校が開設されましたが、同校もそのひとつでした。
このような大学の日本校の多くは入学に際しては入試などはなく、定められたTOEFLやTOEICなどの点数を獲得していれば入学できたので偏差値は存在しません。
ただし日本の学校教育法では大学ではなく各種学校扱いだったことから、生徒も集まらず、次々に撤退していきました。
織田さんが進学したこの大学の日本校も、現在は存在しないようです。
大学1年生の時に映画「湘南爆走族」のオーディションに合格して、大学時代に俳優としてのキャリアをスタートさせています。
同校に入学した織田さんでしたが、時期は不明ですが俳優を志すために中退しています。
19歳で出演した映画「湘南爆走族」で俳優デビューして、俳優としてのキャリアをスタートさせています。
(真ん中は江口洋介)
また後に歌手としても「歌えなかったラブ・ソング」などのヒット曲で知られる織田さんですが、この映画の挿入歌「BOOM BOOM BOOM(ブーン ブーン ブーン)」で歌手デビューしています。
そして20歳の時には映画「彼女が水着にきがえたら」で主演の原田知世さんの相手役に抜擢されて注目されています。
そして23歳の時に鈴木保奈美さんと共演したテレビドラマ「東京ラブストーリー」で大ブレイクを果たしています。
その後は人気のトレンディドラマに立て続けに起用され、吉田栄作さんや加勢大周さんと並んで「平成御三家」と呼ばれていました。
以上が織田裕二さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
19歳の頃から俳優として注目されて、以降は数々の人気のテレビドラマや話題の映画に出演しており、有数のトップスターへと成長していきました。
(振り返れば奴がいる・1993年 出演:石黒賢、千堂あきほ、松下由樹ほか)
(お金がない・1994年 出演:財前直見、東幹久、今井雅之、石橋凌ほか)
(踊る大捜査線・1997年 出演:柳葉敏郎、水野美紀、深津絵里、いかりや長介ほか)
(ホワイトアウト・2000年 出演:松嶋菜々子、佐藤浩市、高橋一生ほか)
(アマルフィ 女神の報酬・2009年 出演:天海祐希、戸田恵梨香、福山雅治ほか)
また長らく独身貴族として知られてきました織田さんですが、2010年に元読者モデルで12歳年下の野田舞衣子さんとの結婚は大きな話題となりました。
(嫁の野田舞衣子さん)
既に50歳を超えていますが、現在でも連続ドラマに主演するほど高い人気を誇っています。
今後の活躍にも注目です。
経歴・プロフィールの詳細
19歳:1987年の映画「湘南爆走族」のオーデイションで数万人の中から準主役に抜擢される(主演は江口洋介)
19歳:この映画の挿入歌の「BOOM BOOM BOOM」で歌手デビューし、歌手としても1991年の「歌えなかったラブソング」などをヒットさせるも、2009年以降は活動をしていない。
23歳:1991年に出演したドラマ「東京ラブストーリー」で大ブレイクし、吉田栄作、加勢大周とともにトレンディ御三家と呼ばれる。
29歳:1997年に主演したドラマ「踊る大捜査線」は当たり役となって、映画化もされた。
その後も「ロケットボーイ」や「太陽と海の教室」などの連続ドラマに主演していたが、ドラマの出演はフジテレビ系が多い。
42歳:私生活では2010年に12歳年下の一般人と結婚し、2014年10月に長男が誕生した。
48歳:2016年の「ボクの妻と結婚してください」で4年ぶりに映画主演。
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