政治家の林芳正さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。外務大臣や文部科学大臣などを歴任している林さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
林芳正(はやし よしまさ)
1961年1月19日生
身長175㎝
血液型はB型
東京都出身の政治家
自由民主党所属
本名同じ
以下では林芳正さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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林芳正の学歴まとめ
出身大学院:ハーバード大学大学院 ケネディスクール
出身大学:東京大学 法学部
出身高校:山口県立下関西高校
出身中学校:下関市立日新中学校
出身小学校:下関市立文関小学校
林芳正の学歴~出身小学校(下関市立文関小学校)の詳細
出身小学校:山口県 下関市立文関小学校
林芳正さんの出身小学校は、地元下関市内の公立校・下関市立文関(ぶんかん)小学校です。
家族構成は両親と3人家族のようです(ひとりっ子)。
父親は元衆議院議員で大蔵大臣や厚生大臣を歴任した林義郎さんです。
音楽好きの母親の影響で幼稚園の頃からピアノを習っていましたが、男子だから嫌だと思い小学生になるときに辞めたいとお願いをしました。
すると母親から「他の楽器をやるのなら」と言われたため、それでバイオリンを習いはじめています。
林さんは東京出身ですが、8歳の時に父親が衆議院議員選挙で山口県の選挙区から出馬するために転居しています。
当時のことについてはインタビューで次のように話していました。
「通産省に勤めていた父親が引退する議員の後継指名を受けて選挙に出て、当選。家族で東京から選挙区のある山口県下関に引っ越しました。その後も選挙は身近なものでしたけど、政治家の仕事は自分に関係のないことと思っていました。」
また父親からは「勉強をしろ」と言われていましたが、具体的に「ああしろこうしろ」と言われることはなく放任だったと当時を振り返っています。
塾は性に合わなかったことから、自宅で通信教育に取り組んでいました。
林芳正の学歴~出身中学校(下関市立日新中学校)の詳細
出身中学校:山口県 下関市立日新中学校 偏差値なし
林芳正さんの出身中学校は、地元山口県下関市内の公立校・下関市立日新中学校です。
小学校、中学校時代は、在日二世の映画監督で小説家でもあるグ・スーヨンさんと同級生でした。
グさんは当時の林さんについて次のようにコメントを残しています。
「林さんは勉強がすごくできたが、それより音楽で目立っていた。中学の卒業謝恩会でも演奏した」
記事引用:NEWSポストセブン
林さんは中学時代からフォークバンドを結成して、音楽活動をしていました。
バンドではバイオリンを担当していました。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「グレープの『精霊流し』という曲、かぐや姫の『神田川』も、前奏がバイオリンなんです。そこで、僕のバイオリンと同級生のギターで、中3の文化祭で演奏したのが最初。バンド名は『徒然草』、いま考えると渋いですね(笑)。」
記事引用:日本食糧新聞
バイオリンは前奏を弾くとあとは立っているだけだったことから、このままではいけないと思い他の楽器を検討しはじめています。
【主な卒業生】
山本譲二(演歌歌手)
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林芳正の学歴~出身高校(山口県立下関西高校)の詳細
出身高校:山口県 下関西高校 偏差値68(難関)
林芳正さんの出身高校は、県立の共学校の下関西高校です。
同校は1920年開校の県立校で、地元では古くからの進学校として知られています。
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
林さんはロックバンド「ビートルズ」のポール・マッカートニーさんが好きだったことから、高校の入学祝いではベースを買ってもらいました。
そしてクラスメイトと共にバンドを結成してベースを担当しています。
徐々に他校の仲間も一緒に楽器の演奏をはじめていますが、キーボードがいなかったため林さんが見よう見まねで鍵盤を弾いていました。
また高校時代には、ヤマハの音楽コンテストにも出場しており、女子からも人気があったようです。
【主な卒業生】
益岡徹(俳優)
寺川奈津美(気象予報士)
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林芳正の学歴~出身大学(東京大学)の詳細
出身大学:東京大学 法学部 偏差値72(超難関)
林芳正さんは高校卒業後は、東京大学に進学しています。
この大学には現役で合格しており、かなりの学力を有していました。
文科Ⅰ類に合格して、後に法学部に進んでいます。
在籍した法学部は同大の文系の看板学部で、多数の政治家や官僚を輩出していることで知られています。
林さんは大学時代には早稲田の音楽サークルに入り、ベースを弾いていました。
そして東京大学でもバンドを結成してギターを担当しており、これまで様々な楽器を演奏してきました。
父親の林義郎さんは衆議院議員だったことから週末になると地元に帰ってきて、地元の人たちに応援をしてもらうために会合に出席したり、頭を下げて回っていました。
林さんはこのことを「ドブ板活動」をしているところしか見ていないと当時を振り返っており、自身は父親とは違う仕事をしたいと思っていました。
インタビューで次のように話しています。
「後援会の集まりで酔っ払っている大人はいるし、到底、かっこいい仕事には見えなかった。そこで、自分は親父と違うことがやりたい、海外で仕事がしたい、と。」
記事引用:エンタメネクスト
そして商社への就職も決まった際には、「父を継いで政治家になることはありません」と言っていたといいます。
大学卒業後は三井物産に入社して5年間勤務し、林家のファミリー企業のサンデン交通に転職します。
30歳だった1990年にハーバード大学大学院に特別研究生として入学し、さらに1992年には公共政策や国際開発部門の世界最高峰のスクールのひとつである同大のケネディスクールに入学しています。
入学した年に父親が大蔵大臣に就任したので政策秘書を務めるために大学院を休学して帰国しましたが、その後に復学してケネディスクールを卒業しています。
ケネディスクールを終了後は父親の秘書となって、33歳だった1994年には参議院選挙に出馬して初当選を果たしています。
まさにそのキャリアは絵にかいたようなエリートで、将来の自民党の総裁候補としても名前が挙がるほどです。
以上が林芳正さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
政治家に転身以降は順調にキャリアを重ねており、外務大臣や文部科学大臣、農林水産大臣などの要職を歴任しています。
そのため将来の自由民主党の総裁候補のひとりとして名前も挙がっています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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