寺脇康文の学歴と経歴|出身は岐陽高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

俳優の寺脇康文さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。テレビドラマ「相棒」でお馴染みの寺脇さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

寺脇康文(てらわき やすふみ)

 

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1962225日生

身長180

血液型はO型

 

大阪府大阪市出身(岐阜県岐阜市育ち)の俳優、タレント

本名同じ

 

以下では寺脇康文さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

寺脇康文の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:岐阜県立岐陽高校

出身中学校:岐阜市立長良中学校

出身小学校:岐阜市立長良小学校

 

寺脇康文の学歴~出身小学校(岐阜市立長良小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 岐阜市立長良小学校

 

 

寺脇康文さんの出身小学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立長良小学校です。

 

家族構成は両親と姉2人、弟の6人家族です。

 

寺脇さんは生まれたのは大阪府大阪市ですが、幼少期に岐阜市に転居しています。

 

幼少期からテレビを見ることが好きで、漠然とこの頃からテレビに出演する人に対して憧れ意識があったといいます。

 

また絵を描くことが好きだったことから、将来の夢は漫画家かスターになることでした。

 

子供の頃からルパン三世が大好きでした。

 

またかなり目立ちたがり屋の性格で草野球をする際にも一人だけユニフォームを着ていました。

 

小学生時代には人を笑わせることが好きだったことから、授業中にギャグが思いつくと挙手をしてクラスメイトの前で発言をするほどでした。

 

また小学生2年生のときに初恋を経験しています。

 

寺脇さんはあることがきっかけで「なんて優しい子なんだろう」と思い、同級生の女子を好きになったとのことです。

 

しかし当時のことについてインタビューでは次のように話していました。

 

「当時は周りの友だちに『おれは彼女のことが好きだ』と触れ回ったり、スカートめくりをして泣かせたりしていました。友だち何人かと学校に自転車で集合して、ラブレターを渡そうと思って団体でその子の家まで行ったこともありました。」

記事引用:シネマトゥデイ

 

また小学6年生のときには教育実習の先生を好きになり、体育館倉庫で抱きついたこともあったそうです。

 

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寺脇康文の学歴~出身中学校(岐阜市立長良中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 岐阜市立長良中学校 偏差値なし

 

 

 

寺脇康文さんの出身中学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立長良中学校です。

 

前記のように小学生の頃には将来は漫画家を志していましたが、中学生になった頃には諦めています。

 

寺脇さんは漫画を描くことは楽しかったそうですが、背景などまったく上手に描くことができず才能がないことに気づいたとのことです。

 

【主な卒業生】

松原梨恵(新体操選手) 

 

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寺脇康文の学歴~出身高校(岐阜県立岐陽高校)・大学の詳細

 

出身高校:岐阜県 岐陽高校 偏差値52(普通)

※本巣松陽高校岐阜校舎になった後に廃止

 

 

 

寺脇康文さんの出身高校は、県立の共学校の岐陽高校です。

 

この高校は1976年開校の中堅県立校でしたが、2004年に同じ県立校の本巣高校と統合されて本巣松陽高校岐阜校舎になっています。

 

そして2006年に廃止されて、校舎は岐阜本巣特別支援学校に転用されています。

 

寺脇さんは子供の頃から人を笑わせるのが得意で、学生時代は目立つ生徒で人気者でした。

 

また高校生の頃にはドラマ「傷だらけの天使」と「探偵物語」にかなり熱中をしていました。

 

高校時代には好きな女子がおり、コンサートチケットを送っていますがそのまま送り返されてきたという淡いエピソードがあったようです。

 

それでも寺脇さんは高校3年生のときにはじめて女子と交際をしています。

 

高校に入学後には将来はアニメーターになりたいと漠然と思うようになりましたが、途中で「無理だな」と思うようになり挫折しています。

 

中学・高校生時代は真剣に将来のことは考えていませんでした。

 

子供のころから「スターになりたい」との思いはあったものの、学生時代は漠然としたものだったそうです。

 

そんな中で受験勉強の時期が来て、周囲のほとんどの人が大学進学を希望していましたため、「じゃぁ、俺も」と流されるままに何も考えずに受験をしました。

 

こういった考えだったため希望の学部もなく、「とりあえず文学部」といった感じでした。

 

そのため大学受験には失敗しています。

 

ちなみに受験したのは早稲田大学でした。

 

【主な卒業生】

野々田万照(シンガーソングライター)

 

大学には進学していない

 

なお高校卒業後は大学には進学しておらず、予備校とアルバイト生活を送っていました。

 

寺脇さんはこのような流れで予備校に通いはじめたため、勉強も身に入らないような状態でした。

 

そして予備校以外の時間はスーパーの総菜コーナーでアルバイトをしていましたが、はじめてもらった給料を見たときに雷に打たれたような衝撃が走ったと言います。

 

寺脇さんはそのお金を見て、自分が将来どうやって稼いでいくのかというのを真剣に考えたときに、「俺、芝居とかテレビの仕事だったら、やっていけるな」と何の根拠もなく思いました。

 

そして俳優になろうと決意をしています。

 

そのため大学受験を断念してすぐに名古屋の俳優養成所に入所し、卒業後は22歳だった1984年に上京して三宅裕司さんが主宰する劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」に入所しています。

 

 

1987年には同僚の岸谷五朗さん、山田幸伸さんとコントユニットSET隊」を結成。

 

 

当初は俳優とお笑いを掛け持ちしており、お笑い番組にも出演していました。

 

1990年頃から俳優業が中心になり、数々のテレビドラマに起用されています。

 

また1996年には「王様のブランチ」の司会に起用されて、知名度が大幅に上昇しています。

 

 

その後は着々と中堅俳優としての地位を築き、ドラマ「相棒」に出演後は人気俳優となりました。

 

 

「相棒」は2008年に卒業しましたが、2022年に再び水谷豊さんの相棒に起用されています。

 

このあたりも注目ですね。

 

以上が寺脇康文さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

38歳だった2000年にテレビドラマ「相棒」に起用されて、俳優としてブレイクしています。

 

 俳優としては遅咲きでしたが、その確かな演技力で現在でも多くのドラマや映画で活躍しています。

 

 

息の長い活動を期待したいです。

 

水谷豊の学歴|出身高校中学校や大学の偏差値と若い頃や学生時代のかっこいい画像

 

経歴/プロフィールの詳細

 

俳優養成所卒業後の1984年に三宅裕司が主宰する「スーパー・エキセントリック・シアター」に入団。

同年11月の舞台「超絶技巧殺人事件」で俳優デビュー。 

1987年に同僚の岸谷五朗、山田幸伸とコントユニットSET隊」を結成。

1988年の「追いかけたいの!」でドラマ初出演。 

翌年の「満月のくちづけ」で映画初出演。 

1990年代前半から多くのドラマに脇役として起用されはじめ、「刑事貴族」や「適齢期」、「悪魔のKISS」などの人気ドラマに出演。

1996年から「王様のブランチ」の司会を務める(2003年まで)。

2000年から出演した連続ドラマ「相棒」の亀山薫役が当たり役となり、2008年まで出演。 

2008年に出演した劇場版の「相棒」で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。 

2010年には「853~刑事・加茂伸之介」で連続ドラマ初主演。

既婚者で二女、一男の子どもがいる。

 

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