伊藤英明の学歴と経歴|出身は岐南工業高校!大学や中学校の偏差値|入院生活を送っていた!

 

俳優の伊藤英明さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「海猿」などのヒット作で知られる伊藤さんですが、実は小学校時代までは体が弱く入院生活のため学校にはあまり通えませんでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

伊藤英明(いとう ひであき)

 

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197583日生

身長183cm

血液型はA型

 

岐阜県岐阜市出身の俳優

本名同じ、旧芸名は阿部純大(あべ じゅんだい)

 

以下では伊藤英明さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

伊藤英明の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:岐阜県立岐南工業高校

出身中学校:岐阜市立岐阜西中学校

出身小学校:岐阜市立七郷小学校

 

伊藤英明の学歴~出身小学校(岐阜市立七郷小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 岐阜市立七郷小学校

 

 

 

伊藤英明さんの出身小学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立七郷小学校です。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

 

父親は自衛官でした。

 

伊藤さんは子供の頃は体が弱く、慢性腎炎を患っていました。

 

当時は障害者手帳を持っていたほどです。

 

インタビューでは次のように振り返っています。

 

「子どものころ体が弱くて、死を意識しました。幼稚園のころ、慢性腎炎と診断されてずっと入院生活を送っていたので。だから、小学校はまともに行ってない。運動会の参加は1回だけ、林間学校も参加したことがない。入院していた病院の大部屋で友達になった子が、死んでいくのを見てました。」

 

友人が亡くなるのを見て子供ながらに「みんな死んでいくときは一緒だな」と感じました。

 

入退院を繰り返していたことから小学校には3年間通っただけであまり馴染めませんでした。

 

また腎臓が悪かったことから、塩分の調整のために給食もお湯で薄めて食べていました。

 

それでも小学校6年生の時に手術で扁桃腺を摘出してところ、病気は奇跡的に完治しています。

 

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伊藤英明の学歴~出身中学校(岐阜市立岐阜西中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 岐阜市立岐阜西中学校 偏差値なし

 

 

 

伊藤英明さんの出身中学校は、地元岐阜市内の公立校・岐阜市立岐阜西中学校です。

 

伊藤さんは小学校時代は死を意識するほど深刻な健康状態でしたが、中学校時代は普通に学校に通えるようになっています。

 

そのためバスケットボール部にも在籍をしていました。

 

 

また宮沢りえさんの大ファンだったことから、中学時代に宮沢さんのヘアーヌードが発売されたときにはショックで3日も学校を休んだほどです。

 

宮沢さんのことがかなり好きだったようでインタビューでは次のように話していました。

 

「中学生のころ、本当に彼女と結婚できるって考えていました。オーディションに、彼女が審査員で会場に来るって聞いて、応募しました。東京近郊で、1カ月間撮影に参加できるのが条件。岐阜に住んでいたから、叔母が住んでいる(千葉県)成田市の住所で履歴書を出したんです。2次審査で電話がかかってきたんですけど、親にばれちゃって…。でも行動してのかなわぬ思いだから、悔しくなかった。アハハハハ。」

 

【主な卒業生】

今井月(競泳選手)

 

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伊藤英明の学歴~出身高校(岐阜県立岐南工業高校)・大学の詳細

 

出身高校:岐阜県 岐南工業高校 電気科 偏差値44(容易)

 

 

 

伊藤英明さんの出身高校は、県立の共学校の岐南(ぎなん)工業高校です。

 

この高校は1943年開校の県立の工業高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

バレーボール部や自転車競技部などが全国大会に出場経験があります。

 

また同校は以下の6つの学科を設置していますが、伊藤さんは電気科に在籍していました。

 

機械:偏差値44

建築:偏差値44

自動車:偏差値44

電気:偏差値44

電子:偏差値44

土木:偏差値44

 

伊藤さんは高校時代はラグビー部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。

 

高校時代に中退も考えましたが、担任の先生のお陰で思いとどまったことをインタビューで明らかにしています。

 

「中高は勉強せず、大人を出し抜くことばかり考えていた。工業高校の電気科でしたが、『意味がないから学校をやめたい』と言ったら、担任が『電気が嫌いだってわかっただけでもよかったじゃないか。両親が望んでいるのだから、頑張って卒業しろ』と。一番いい先生だったな」

記事引用:AERA.dot

 

また高校時代には1学年下の男子からラブレターをもらったことがあったそうです。

 

当時は年上の彼女がいましたが、自転車に乗っている時に彼女が他の男性と一緒にいると頃を目撃して伊藤さんはそのまま田んぼに落ちてしまったことがあったそうです。

 

伊藤さんは気づいた時には卒業が迫っており、同級生が進学や就職を決めていく中で進路未定であっても焦りはありませんでした。

 

そして高校3年生だった1993年に、第6回JUNONスーパーボーイコンテストで準グランプリを受賞しています。

 

 

ちなみにこのコンテストでは、俳優の柏原崇さんがグランプリ、加藤晴彦さんが審査員特別賞を受賞しています。

 

【主な卒業生】

田口達也(ミュージシャン)

 

大学には進学していない

 

伊藤さんは高校卒業後は大学に進学しておらず、上京をしてファッションモデルとして活動しています。

 

当時は「阿部純大」の芸名で活動していました。

 

 

しかし社長と喧嘩をして事務所を3ヵ月でやめており、当時のことについては次のように話しています。

 

「最初に入ったタレント事務所は、3カ月でやめちゃいました。社長を殴っちゃったんですよ。東京に出てきて、まず方言の直しから始まりました。キャラクターはつくられ、髪も切られ、変な服も着せられた。どんどん自分とはかけ離れていくし窮屈になって、気付いたら10キロぐらいやせてました。自分が自分でなくなるのが、気持ち悪くて仕方がなかった。」

記事引用:Yahoo!japanニュース

 

伊藤さんは芸能界を2年間休業して肉体労働のアルバイトをしていました。

 

そして22歳だった1997年に、別の事務所のスタッフから声をかけられたことがきっかけで芸能界に復帰しています。

 

復帰以降は芸名を本名にして、主に俳優として活動しています。

 

 

すると2000年に主演したテレビドラマ「夜叉」で俳優として注目されています。

 

 

以降も「弁護士のくず」や「海猿」などの話題作の連続ドラマに主演して、人気俳優としての地位を確立しています。

 

 

また「悪の教典」や「テラフォーマーズ」などの映画にも主演しています。

 

以上が伊藤英明さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

前記のように一度は芸能界から身を引きましたが、俳優に転身すると大ブレイクしています。

 

 

数多くのテレビドラマや映画に主演している人気俳優だけに、今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。

 

伊藤英明の経歴・プロフィールの詳細

 

1993年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で、準グランプリを受賞して芸能界入り。 

1994年にサントリーオールドのCMでデビューするが、その後は事務所を辞めて2年間活動を停止する。 

その間はとび職や解体現場などの肉体労働に従事した。 

1996年の映画「KISS ME」で復活し、翌年の「デッサン」で連続ドラマ初出演。 

2000年のドラマ「YASHA」で初の主演を果たし、その後も「救命病棟24時」や「白い巨塔」などの話題作に出演。

2004年に出演した映画「海猿」が大ヒットして、当たり役になる。 

その後も「悪の教典」や「ダブルス」などに主演。 

その他にもドキュメンタリー番組のナビゲーターやナレーターを務める。 

2002年にはマジックマッシュルームを摂取して、病院に運ばれる騒動を起こしている。 

私生活では2014年に8歳年下の元CAの女性と結婚し、翌年には長女が誕生している。

 

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