人気俳優の沢村一樹さんの中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお伝えします。沢村さんはバラエティー番組で見せる明るいキャラクターとは裏腹の壮絶な学生時代を送っています。学生時代のエピソードなども併せてご紹介します
沢村一樹(さわむら いっき)
1967年7月10日
身長184cm
血液型はB型
鹿児島県鹿児島市出身の俳優、タレント
本名は野村耕蔵(のむら こうぞう)
以下では沢村一樹さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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沢村一樹の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:鹿児島県立松陽高校
出身中学校:鹿児島市立鴨池中学校
出身小学校:鹿児島市立中部小学校
沢村一樹の学歴~出身小学校(鹿児島市立中部小学校)の詳細
出身小学校:鹿児島県 鹿児島市立中郡小学校
沢村一樹さんの出身小学校は、地元鹿児島市内の公立校の中郡(なかごおり)小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親が事業に失敗したため沢村さんは幼少期から貧しい生活を強いられており、家族4人で6畳と4畳半の二間で風呂なしの古いアパートで暮らしています。
また父親はかなり奔放な性格で、沢村さんの幼少期には夫婦喧嘩も絶えなかったそうです。
母親は若い頃に美容部員として働いていたこともあって、キリっとした美人でした。
小学生時代から沢村さんは小遣いもなく、買い食いなどもできませんでした。
子供の頃から活発な少年で、外で泥だらけになって遊んでいたそうです。
また実家の経済状態が芳しくなかったことから、母親からは小学生の頃から将来は芸能界に進むように言われています。
そのようなこともあったため沢村さんは小学生時代から俳優に憧れており、学芸会の劇では何度か主演を演じたほどでした。
また下ネタ好きで知られる沢村さんですが、小学校3年生の時に父親が買っていたエロ漫画本を発見して以降は親子共通の愛読書にしています。
そのため小学校時代からエロの知識が豊富で、同級生には「先生」とか「師匠」などと呼ばれて尊敬されていました。
なお小学校時代はブルース・リーとキャンディーズの大ファンでした。
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沢村一樹の学歴~出身中学校(鹿児島市立鴨池中学校)と若い頃の苦労が凄い
出身中学校:鹿児島県 鹿児島市立鴨池中学校 偏差値なし
沢村一樹さんの出身中学校は、地元鹿児島市内の公立校の鴨池中学校です。
中学時代もバレーボール部に在籍して、主力選手として活躍しています。
バラエティー番組「あいつ今何してる?」に出演した際に、当時はバレーボール部のエースだった女子の同級生が「好きなタイプで憧れのマドンナだった」と語り、席替えの前日は隣の席になるように祈っていたエピソードを明らかにしています。
中学生時代も映画をよく観ており、「小遣いがたまると観に行った」とのこと。
また沢村さんが中学1年生の時に父親が蒸発して、両親が離婚。
以降は妹とともに母親の手で育てられますが、一家は父親が作った2000万円とも3000万円ともいえる借金を背負わされています。
そのため母親は昼間は化粧品販売、夜はスナックの仕事を掛け持ちして寝る暇を惜しんで働いています。
当時の沢村家の事情を知る昔馴染は次のように話しています。
「お母さんが働いていて、昼間も家にはいないんですよね。家に遊びに行くとカップラーメンが山のようにあった。両親は彼が中学に上がった頃に離婚して、父親は音信不通になったようです」
記事引用:ウーマンエキサイト
ただし母親は非常に前向きな性格で、「父親が家にいないからってグレるようなことは絶対に許さん!甘えは厳禁!」と口癖のように言って、沢村さんと妹に愛情を注いで育てたといいます。
生活も非常に苦しかったことから、沢村さんは「給料をもらう仕事(サラリーマン)じゃ養えない」と考えて、中学時代から将来は俳優になることを志しています。
「僕が芸能界を志すようになったのも、僕が普通に会社に勤めていたら家族を養えないと子供心にも思っていたのと、おふくろも芸能界に憧れていたみたいで、その思いを僕に託すようなことを言われていたという影響もあると思います」
記事引用:tkj.jp
また仕事で忙しい母親のために、妹ともに部屋の大掃除をしたりして母親の帰りを待ったこともありましたが、帰宅した母親は片付いた部屋を見て涙を流したこともあったそうです。
このあたりのエピソードには貧しくても家族愛を感じるところですね。
明るいキャラクターで知られる沢村さんですが、学生時代にはかなりの苦労をしています。
なお沢村さんは中学時代もモテており、こっそり女子と交換日記をしていました。
その女子には当時から下ネタを披露していたことを明らかにしています。
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沢村一樹の学歴~出身高校(鹿児島県立松陽高校)・大学の詳細
出身高校:鹿児島県 松陽高校 偏差値61(当時・やや難関)
沢村一樹さんの出身高校は、県立の共学校の松陽高校です。
同校は県立校でありながら、音楽科と美術科を設置しているのが特色です。
タレントのはしのえみさん(後に転出)や女優の野村麻純さんもこの高校の出身者です。
また同校は現在(偏差値54~56)よりも、沢村さんが在籍していた時代のほうが偏差値は高くなっています。
沢村さんは子供の頃から運動神経が非常によく、高校時代にはバレーボール部に所属してアタッカーとして活躍しています。
また高校時代はバレーボールの県選抜チームに選ばれるほどの実力で、実業団からも勧誘を受けています。
ただし沢村さんは当時から俳優を目指しており、バレーボールは高校時代でやめてしまっています。
当時から映画が好きでたくさん観ていましたが、チャップリンなどの古い映画が好きだったことから「同級生と話が合わなかった」と語っています。
また当時の憧れの人物についてはインタビューで次のように話しています。
「当時の憧れのスターはブルース・リーやショーン・コネリー…日本人だと、石立鉄男さんや西田敏行さんも大好きでした。ちょっとコミカルなお芝居をするところがね」
記事引用:WEBザテレビジョン
加えて後述するように沢村さんの両親は離婚しており、母親の手で育てられていますが、高校3年生の時に父親がふらりとやってきて大学に進学するのか聞かれましたが、当時の沢村さんは父親を憎んでいたことから、胸ぐらをつかんで殴ろうとしました。
しかし父親は動じずに「殴りたければ殴ればいい」という態度だったことから、沢村さんは「負けた」と感じたそうです。
ただしその翌年に父親は他界しており、それが父親と最後の対面になっています。
「徹子の部屋」に出演した際には父親の葬儀に出席しなかったことを明らかにしていますが、売れっ子になった後に父親のお骨が無縁仏になっていることを知ると、沢村さんは父親のお墓を建ててあげ、毎年帰郷した際にはお墓参りをしているとのこと。
なお高校時代の沢村さんはかなりモテており、ラブレターもたくさんもらったそうです。
大学には進学していない
そして沢村さんは高校卒業後は大学に進学していません。
当初は日本大学の芸術学部に進学して映画作りを学びたかったのですが、後述するように経済的な事情が芳しくなかったために、大学進学は諦めています。
そのため高校卒業後は地元でアルバイト生活をして資金を貯めて、20歳の時に19万円を手に俳優を目指して上京しています。
上京初日は住まわせてくれる約束だった友人と連絡がとれなかったことから、亀戸中央公園で野宿をするほどでした。
東京ではライブハウスでアルバイトをしていますが、客の紹介でモデル事務所に所属してファッションモデルとして活動を開始しています。
するとスタイルの良さと端正なマスクで人気モデルになっています。
当時はファッション誌「MEN’S CLUB」の専属モデルを務めていましたが、2018年にこの雑誌の24年前の表紙を再現する企画で、再び表紙を飾っています。
ちなみに「MEN’S CLUB」の専属モデルに起用されると、年収が前の年の10~20倍にもなったそうです。
29歳の時に念願の俳優デビューを飾ると、大ヒットドラマ「続星の金貨」で大役を掴みます。
俳優としては新人だったにも関わらず、主演の酒井法子さんや大沢たかおさん、竹野内豊さんらとともに主要キャストとして起用され、俳優としての道が開かれました。
とは言え沢村さん自身、当時の演技は「酷かった」とインタビューでコメントしています。
「完全な悪役でしたけどね。本当にひどい…まぁ、このころの演技、ホントにひどいんですよね。できれば抹消したいくらいです(笑)。たまに再放送を見てくれた友人から、ツッコミが入ったりすることも。僕も今見ると、よく20年以上もこの世界で生きてこられたな、逆にすごいな!って思います(笑)」
記事引用:WEBザテレビジョン
以降は数多くの作品に起用されて、人気俳優の道を歩んでいきました。
またタレントとしても数々のバラエティ番組に出演しています。
以上が沢村一樹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
このように沢村さんは学生時代に大変な苦労をされていますが、現在は俳優として目覚ましい活躍をされています。
俳優としてはNHKの朝ドラ「ひよっこ」や「刑事ゼロ」などの話題作の連続ドラマや映画に出演するほどの人気です。
(ひよっこ・左は有村架純)
また39歳の時に出演した「サラリーマンNEO」では、「セクスィー部長」を演じて新境地を見せて、以降はタレントとしても数多くのバラエティー番組に起用されることになりました。
このような苦労人には末永く活躍してほしいものです。
経歴・プロフィールの詳細
20歳:1987年にファッションモデルとして活動を開始。
25歳:1992年に雑誌「メンズクラブ」の専属モデルとなる。
29歳:1996年にテレビドラマ「松田のドラマ」でいきなり主演としてデビューし、同年の「続・星の金貨」で連続ドラマ初出演。
31歳:1998年から主演していた「浅見光彦シリーズ」は当たり役となる。
その後は「ショムニシリーズ」や「ごくせん」などの人気ドラマに数多く出演する。
33歳:2000年に5歳年下の一般人女性と結婚し、子供が3人いる。
39歳:2006年に出演したバラエティ番組「サラリーマンNEO」が好評で、以降はバラエティ番組への出演が激増している。
42歳:2009年の「浅見光彦~最終章~」で、連続ドラマ初主演を果たす。
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