女優でタレントの原千晶さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は原さんは高校時代にイジメが原因で中退して、別の高校に入学し直しています。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
原千晶(はら ちあき)
1974年4月27日生
身長165㎝
血液型はO型
北海道帯広市出身のタレント、女優
本名同じ
以下では原千晶さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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原千晶の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:淑徳巣鴨高校(中退)→北豊島高校
出身中学校:川越市立高階西中学校
出身小学校:北九州市立日明小学校
原千晶の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:福岡県 北九州市立日明小学校
原千晶さんの出身小学校は、北九州市内の公立校の北九州市立日明(ひあがり)小学校です。
家族構成は両親と3歳下の弟の4人家族です。
TBSの安住紳一郎アナウンサーは従兄弟にあたります。
原さんは父親が生命保険会社に勤めており、転勤族だったことから子供の頃には何度も引越しを経験しています。
出身は北海道の帯広市ですが、釧路市や北九州市、大阪府などにも在住していました。
小学4年生の時に北九州市に引っ越しをして、同校に転入した際には方言の壁があったことでクラスメイトが話していることが分かりませんでした。
また自身の話し方も指摘されたことから上手くコミュニケーションが取れなかったようです。
引越しを繰り返し自分自身を上手く出すことができなくて、ストレスを抱えている時に支えてくれたのは母親だったそうです。
同時期にはバセドウ病になり3ヶ月ほど学校を休んでおり、その際には以前通っていた小学校の同級生に手紙を書いていました。
原さんは小学生の頃はおニャン子クラブのファンでした。
また幼少期からピアノを習っていました。
ピアノの先生や看護師など子供らしい夢を持っていたそうです。
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原千晶の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:埼玉県 川越市立高階西中学校 偏差値なし
原千晶さんの出身中学校は、川越市内の公立校の川越市立高階(たかなし)西中学校です。
原さんは父親が転機族だったことから子供の頃から全国を転々としており、中学時代は埼玉県川越市に在住していました。
またこの中学校に転校前は大阪府の中学校に通学していましたが、校名などは不明です。
小・中学生の頃は漢字の書き取りが得意だったことから、クラスで1番にならないと気が済まなかったそうです。
原さんは剣道の初段を持っていることから、学生時代は剣道部に在籍していた可能性があるでしょう。
原さんはスポーツが得意で活発なタイプだったようです。
【主な卒業生】
高梨雄平(プロ野球・読売ジャイアンツ)
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原千晶の学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:東京都 淑徳巣鴨高校(中退) 偏差値53(普通・当時)
※卒業は北豊島高校(偏差値44)
原千晶さんが入学したのは、私立の女子校(当時)の淑徳巣鴨高校です。
この高校は1919年開校の私立高校で、水泳部が全国的な強豪として知られています。
また原さんが在籍した当時は女子校でしたが、1994年に男女共学化されています。
現在は特進コースなどを設置して偏差値も上昇していますが(偏差値56~65)、原さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。
原さんは高校時代は芸能活動をおこなっていませんでしたが、この高校に在学中にイジメに遭っており1年生の時に中退しています。
【淑徳巣鴨高校の主な卒業生】
池江璃花子(競泳選手)
宮前真樹(タレント)
喜多乃愛(タレント)
CHARA(歌手)
そして原さんは翌年に高校受験をし直して、私立の女子校の北豊島高校(偏差値44)に入学しています。
この高校は1926年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
また通信制課程(偏差値なし)を設置して多くの芸能人を輩出していますが、原さんは全日制課程に在籍しています。
高校時代はバスケットボール部の先輩を好きになったそうで、最終的には「もう追いかけないで」と言われて振られてしまっています。
高校2年生の時に派手な女子と仲良くなり遊びに目覚めたそうで、アッシー君やメッシー君と呼んでいる人がいたそうです。
高校時代にマクドナルドでアルバイトをはじめており、高校卒業後も含めて5年間ほど続けていたそうです。
【北豊島高校の主な卒業生】
大原麗子(女優)
平愛梨(女優・通信制課程)
山川恵里佳(タレント・通信制課程)
安西ひろこ(タレント・通信制課程)
菅良太郎(お笑い・パンサー)
大学には進学していない
なお原さんは高校卒業後は大学などには進学していません。
原さんは目標や将来の夢もなかったことから、高校卒業後は昼夜かけもちでアルバイトをしていました。
原さんが芸能界入りをしたきっかけについてインタビューで次のように話しています。
「高校を卒業した頃『浅草橋ヤング洋品店』通称『浅ヤン』というテレビ番組が大流行していて、この番組のなかで素人参加型のオーディション企画があったことや偶然私の周りにモデルの友人がいたことなどもあり、次第に芸能界に興味を持つようになりました。」
原さんは自身の長身を活かすことができるモデル業をやりたいと思ったそうで、友人のアドバイスもありモデル事務所に自らプロフィールを送っています。
そして20歳だった1994年に女性タレントの登竜門と言われていたクラリオンガールに選出されており、一躍注目を集めています。
ちなみに宮崎ますみさんや蓮舫さん、かとうれいこさんや大河内志保さんらもクラリオンガールの出身者です。
原さん自身はこのオーディションに合格できるとは思っていなかったそうで、神がかっていたと当時を振り返っています。
原さんは数々のオーディションに応募していましたが、最初に合格できたのがこのクラリオンガールだったそうです。
当時は深夜番組の「ワンダフル」のMCを務めています。
原さんは当時からトーク力があったことから、バラエティ番組などにも起用されていました。
1997年には映画「失楽園」で女優デビューも飾っています。
さらに2006年からは情報番組「ラジかるッ」のレギュラーに起用されています。
以降も女優やタレントとしてマルチに活動しています。
31歳の時に子宮がんと診断されて芸能活動を休止して治療に専念しています。
その甲斐もあって、芸能活動を再開できるほどになりました。
自身の経験から、子宮がんに関する啓蒙活動などもおこなっています。
以上が原千晶さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃からマルチに活動しており、数々のテレビ番組に出演しています。
芸能活動以外にもがんに対する啓もう活動や講演などもおこなっていることから、末永い活躍を期待したい限りです。
経歴/プロフィールの詳細
1994年に「クラリオンガール」に選出されて芸能界入り。
当初はタレント活動が中心で、深夜番組「ワンダフル」のMCなどを務める。
1998年の「WITH LOVE」でテレビドラマ初出演。
2003年の「またのお越しを」でドラマ初主演。
以降も「純情きらり」や「母親失格」、「ママはニューハーフ」などの連続ドラマにレギュラー出演。
2006年から情報番組「ラジかるッ」のレギュラーを務める。
以降も「ひるおび!」や「あさイチ」、「ゆうどきネットワーク」などの情報番組に出演している。
2010年にプロデューサーの男性と結婚した。
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