人気俳優の高橋一生さんの中学や高校の偏差値などの学歴情報をご紹介します。爽やかなイケメンとして知られている高橋さんですが実は複雑な家庭に育っており、生い立ちも壮絶でした
高橋一生(たかはし いっせい)
1980年12月9日生
身長175㎝
血液型はO型
東京都港区出身の俳優
本名同じ
以下では高橋一生さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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高橋一生の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:堀越高校トレイトコース
出身中学校:港区立青山中学校
出身小学校:港区立青南小学校
高橋一生の学歴~出身小学校(港区立青南小学校)の詳細
出身小学校:東京都 港区立青南小学校
高橋一生さんの出身小学校は、港区の公立校の青南(せいなん)小学校です。
この小学校は1906年開校の伝統校で、卒業生には次のような有名人がいます。
岡本太郎(芸術家・転校)
北杜夫(作家)
仲代達矢(俳優)
オノ・ヨーコ(芸術家)
吉本多香美(女優)
合原明子(アナウンサー)
ただし高橋さんが在籍した当時のこの小学校には都心の少子化の影響で、全校生徒がわずか50人しかいませんでした。
また場所柄、赤坂御所の関係者の子供たちが同級生だったので、遊び場は警備が厳しい東宮御所のある赤坂御所の敷地内を顔パス状態で行き来できたと言います。
さらに小学校時代には近所の神宮小学校の解放校庭に通って友達とバスケットボールをしていましたが、その際に「カッコイイお兄さん」が3Pシュートの練習をしていました。
村上淳にバスケットボールを教わる
そしてそのお兄さんが「シュートは山なり。ボールを真っすぐやり過ぎないで、きれいに線を描いてやった方がシュートは入るよ」と教えてくれたのですが、そのお兄さんは俳優の村上淳さんであることを後日知ることになります。
高橋さんは幼少期にふさぎがちだったことから、祖母が心配して児童劇団に入れたのが芸能活動のきっかけで、9歳の時に子役俳優としてデビューしています。
高橋一生の子役時代
高橋一生さんは30代半ばで俳優としてブレイクしていますが、9歳の時に映画「ほしをつぐもの」で子役デビューしており、芸歴は25年以上に及びます。
デビュー作の「ほしをつぐもの」は当時は激しい暴力シーンの描写などで知られたビートたけしさんの主演映画ですが、ファンタスティックなヒューマンドラマに仕上がっており、高い評価を得ています。
また同じ年に田村正和さんが主演したトレンディードラマ「ニューヨーク恋物語」にも出演しています。
他にも端役を含めて小学生時代から様々な作品に出演しています。
ただし当時は人気子役とまではいかなかったようです。
高橋一生の生い立ちが壮絶
高橋一生さんは母親が3度結婚していることから、複雑な家庭に育っています。
高橋さんは5人兄弟の長男で、弟が4人います。
高橋さんは最初のお父さんとの子供で、次男と三男が二度目のお父さんの子供、四男と五男が三度目のお父さんの子供です。
母親は高橋さんを18歳の頃に産んでおり、10歳年下の三男の安倍勇磨さんはロックバンド「never young beach」のボーカル兼ギターを務めています。
ちなみに次男はデザイン系の仕事に就いており、五男は寿司職人の見習いとのこと。
五男が寿司職人になる際には、知人を紹介してあげています。
また父親は違っても兄弟仲は子供の頃から現在まで非常にいいそうです。
高橋さんの実の父親は5歳の時に亡くなっており、他の父親も既に亡くなっているという情報もあります。
「A-Studio」に出演した際に、高橋さんは母親については元子役でテレビへの出演経験があることを明らかにしていました。
また母親は3回も結婚していることからインターネット上では「元ホステス」や「水商売」などと言われていますが、確証はないようです。
ただし金遣いが非常に荒く、何度も事業を立ち上げては失敗したと言われています。
加えて父親が早くに亡くなったことから、高橋さんの幼少期には母親は働きに出ており、主に祖母が高橋さんの面倒をみていました。
幼い頃はなにをやっても長続きしていませんが、劇団の発表会を見ていた祖母が非常に喜んでいたのを見て子役を続けていこうと思ったそうです。
また前述のように学生時代の高橋さんは弟たちの面倒を見ていますが、成長後も家計簿をつけるなど、父親代わりの役割をしています。
高橋さんの母親は2015年に癌で亡くなっていますが、亡くなる10年前ごろから高橋さんとの折り合いが悪くなって、絶縁状態が続いていました。
折り合いが悪くなった原因は金銭問題と言われており、三男の安倍さんも母親が亡くなった後に次のように話していることから信ぴょう性は高そうです。
「前までは一番上の兄貴に連絡していると、母にお金の無心に行かされたので、ようやく気兼ねなく兄弟で連絡をとるようになって」
また母親は高橋さんの車を勝手に売ってしまったとの情報もあります。
とは言え高橋さんは母親が癌に侵されて長くないことを弟に知らされて、2015年夏に再会し最終的には和解しています。
病床の母親はこれまでのことを謝罪したそうですが、弟たちのことは自分が責任を持つので、安心するようにと話したそうです。
温和な性格で知られている高橋さんが実の母親と10年間も絶縁するとは、金銭問題は相当深刻だったようですね。
とは言えその1週間後に母親は亡くなってしまっていますが、最後の最後に息子と和解できた胸中は察するに余りあるところでしょう。
ちなみに高橋さんのお母さんは53歳の若さで亡くなってしまっています。
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高橋一生の学歴~出身中学校(港区立青山中学校)の詳細
出身中学校:東京都 港区立青山中学校 偏差値なし
高橋一生さんの出身中学校は、港区の公立校の青山中学校です。
この中学校は1947年開校の公立校で、都立日比谷高校への進学率が高いことから越境入学者が多いことで知られています。
中学校時代のエピソード
高橋さんは中学時代はバスケットボール部に入部して、部活動にも励んでいます。
また同級生とバンドを組んで、ボーカルとギターを担当していました。
ただし中学時代もさほど多くの仕事には恵まれていませんでした。
その一方で低音ボイスで知られナレーターなどにも起用されている高橋さんですが、その声が注目されたのは中学時代です。
「耳をすませば」に声優として出演していた
中学3年生だった1995年に、スタジオジブリの宮崎駿監督作品の「耳をすませば」でヒロインの相手役・天沢聖司の声優に抜擢されています。
まだ変声期を迎える前のまだあどけない声でしたが、テレビで再放送されるたびにファンを喜ばしています。
完成披露試写会での姿も初々しいですね。
(宮崎駿、ヒロイン役の声優・本名陽子と)
「耳をすませば」の高橋一生さんの変声期前の声はこちら
ちなみに高橋さんは小学生時代にも宮崎作品の「おもひでぽろぽろ」にも声優として出演しています。
【主な卒業生】
薬師丸ひろ子(女優)
島田歌穂(女優)
森本毅郎(キャスター)
中川俊直(元衆議院議員)
鈴木貴子(衆議院議員)
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高橋一生の学歴~出身高校(堀越高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 堀越高校 トレイトコース 偏差値37(かなり容易)
高橋一生さんの出身高校は、芸能人御用達の高校で知られる堀越高校です。
出身が堀越高校である理由
高橋さんは出身高校を明らかにしていませんが、インターネット上には在籍情報が多数見られます。
またメディアにも同級生とともにこの高校の出身者であることがたびたび紹介されており、Wikipediaにも記載があります。
そのためこの高校の出身者で間違いないはずです。
既に中学時代は芸能活動をおこなっていたので、より幅広く活動できるように、この高校のトレイトコース(芸能コース)に通っていました。
同級生が豪華だった
堀越高校時代には同級生には以下の人物がいました。
岡田准一(V6)
新山千春(タレント)
野波麻帆(女優)
1学年上にはKinki Kidsの堂本剛さんも在籍していました。
岡田准一と親友だった
岡田さんとは高校1年生の時は「お互いいけ好かなかったと思っていたと思います」とインタビューで述べており、まったく会話も交わさなかったとのこと。
ところが流れでテスト勉強を一緒にしたことから急激に仲良くなっています。
そのため校舎の屋上で語り合ったり、試験勉強のために岡田さんが高橋さんの家に泊まりに行くなど、当時からふたりは大親友でした。
(高校時代の岡田准一)
その他にも一緒に曲を作ってカセットテープに録音したこともありました。
ちなみに当時から売れっ子のアイドルだった岡田さんは、食事ばかりではなく洗濯も高橋さんの自宅で済ませるほどでした。
そのため学校では「2人ができているんじゃないか」という噂がまことしやかに流れたこともありました。
また高橋さんの弟でミュージシャンの安部勇麿さんはトップアイドルだった岡田さんをたびたび自宅に連れて来るので、「なんてすごい兄なんだろう」と思ったそうです。
ちなみに登下校の際には岡田さんがたびたびファンに囲まれることがあったことから、高橋さんは気を遣って100mほど後ろを歩いていたそうです。
当時は高橋さんはあまり売れていなかったことから、「羨望している部分もあったと思います」とインタビューで当時の心境を吐露しています。
また高橋さんと岡田さんは高校時代から「いつか共演できたらいいね」と語っていましたが、岡田さんは当時から人気俳優であったのに対し、高橋さんはいまひとつ知名度も低かったのでなかなか実現しませんでした。
しかし2014年の岡田さん主演の大河ドラマ「軍師官兵衛」で念願の共演が実現しています。
高橋さんは仕事面では高校時代は俳優として活動していましたが、連続ドラマなどのレギュラーは少なく、2時間ドラマや連ドラのスポット出演などが目立っています。
ただし高校3年生の1月からはNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」の柳沢吉里役に起用されています。
大学には進学していない
また高橋一生さんは高校卒業後は、大学などに進学せずに芸能活動に専念しています。
高校も芸能コースに在籍していたことから、当初から大学進学などは考えていなかったのかもしれません。
(若い頃)
なおインターネット上には高橋さんの出身大学や最終学歴を「東京大学」とする情報もありますが、これらは誤りです。
東京大学に高橋一生(かずお)さんという同姓同名の准教授がいることから、このような誤報が流れたようです。
その他にもインターネット上には高橋さんが学習院大学に進学したという情報もありますが、こちらに関してはまったくもって根拠が見当たりません。
また高橋さん自身も大学へ進学したとの発言をしておらず、学生時代は生活もさほど楽ではなかったことから、大学へは進学していません。
加えて下積み生活が非常に長いことで知られている高橋さんですが、俳優業は「なんとなく続けた」と述べており、30歳を過ぎた頃から演技が楽しくなったとコメントしています。
35歳でブレイク
その後は徐々に出演作が増えて、35歳だった2015年に出演したテレビドラマ「民王」でようやく俳優としてブレイクしています。
以降は数々のテレビドラマや映画に主役級として起用されています。
また2019年にはエレファントカシマシの宮本浩次さんの作詞・作曲・プロデュースしたファーストシングル「きみに会いたい」でソロ歌手としてもデビューしています。
ようやく苦労も報われましたね。
※追記
2022年8/4日に高橋さんと17歳年下の人気女優・飯豊まりえさんとの熱愛報道がされています
2024年5月に飯豊さんとの結婚が発表されました
以上が高橋一生さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
子役時代から培った演技力で、長らく実力派のバイプレーヤーとして数々の作品に出演していました。
また2015年に出演した「民王」の演技が好評でブレイクを果たし、以降は主要キャストとして数々の作品に起用されています。
2016年の「Blank13」ではデビュー16年目にして初の映画主演を果たしました。
今後も引き続き話題作のテレビドラマや映画への出演が増えていきそうなので、注目ですね。
高橋一生の経歴
1980年(0歳):東京都港区で生まれる
1989年(9歳):子役として活動開始
1995年(15歳):映画「耳をすませば」で声優デビュー
1998年(18歳):NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」に出演
2004年(24歳):「怪奇大家族」で連続ドラマ初主演
2006年(26歳):「ミートボールマシン」で映画初主演
2015年(35歳):テレビドラマ「民王」でブレイク
2019年(39歳):連続ドラマ「東京独身男子」に主演
2020年(40歳):映画「ロマンスドール」に主演
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