清水ミチコの学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

お笑いタレントの清水ミチコさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。モノマネで一世を風靡した清水さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

清水ミチコ(しみず みちこ)

 

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1960127日生

身長162

血液型はB型

 

岐阜県高山市出身のお笑いタレント

本名は清水美智子(読みは同じ、結婚前)

 

以下では清水ミチコさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

清水ミチコ学歴~出身大学(文教大学女子短期大学部)の詳細

 

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出身大学:文教大学女子短期大学部 家政科 偏差値40(容易・閉校時)

※現在は閉校

 

 

 

清水ミチコさんは高校卒業後は、文教大学女子短期大学部に進学します。

 

この短期大学は神奈川県茅ケ崎市にあり、2012年に閉校しています。

 

また跡地は現在、文教大学湘南キャンパスになっています。

 

清水さんはこの大学の家政科で学んでいたことから、家庭科の教員免許を取得しました。

 

教育実習では生徒に教えることは、それほど楽しくないと思ったそうです。

 

この短大ではテニス部に在籍をしていました。

 

短大時代にタモリさんのコンサートに足を運んだことが、清水さんにとってのお笑いの原点だったとのことで当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「若い頃にタモリさんのコンサートに行ってすごい感動しちゃって、タモリさんみたいなこと……音楽とお笑いの両方をやりたいと。それでタモリさんのことを調べていったら、高平(哲郎)さんという放送作家がいるということが分かって、それでラジオや雑誌に投稿し始めて。やりたいことがだんだん決まっていったという感じなんですけど。」

 

そしてラジオ番組にネタを投稿するようになり、「タモリのオールナイトニッポン」などに採用されました。

 

清水さんは短大卒業後は父親が営んでいた喫茶店を継ぐためにパティシエを志しており、昼間は洋菓子店「デリカテッセン」で働いていました。

 

その傍らで夜はパロディ雑誌に原稿を書いて投稿をしたり、ラジオ番組にも投稿をしていたとのことです。

 

このことを知ったデリカテッセンの店主の紹介でNHKのディレクターを紹介してもらい、ラジオの放送作家兼出演者となりました。

 

そして26歳だった1986年からライブをはじめると、モノマネが話題になります。

 

 

すると翌年には「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されて、知名度が大幅に上昇しています。

 

 

その後の活躍は周知の通りで、長きにわたって「好きな女性タレント」の上位に君臨しています。 

 

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清水ミチコの学歴~出身高校(高山西高校)の詳細

 

出身高校:岐阜県 高山西高校 偏差値53(普通・現在)

 

 

 

清水ミチコさんの出身高校は、私立の共学校の高山西高校です。

 

この高校は1962年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

また現在は進学実績が向上して偏差値も上昇していますが、清水さんが在籍していた当時の同校は名うての「不良学校」として知られており、偏差値もかなり低かったようです。

 

その後の生活指導の徹底などで校風も改善され、現在は進学コースを設け、難関大学にも合格する生徒を輩出しています。

 

高校時代は百人一首クラブに在籍をしていました。

 

 

清水さんの実家は高校時代には喫茶店を3軒と他にもスパゲッティー屋を経営していました。

 

そのため高校生の頃は実家の喫茶店でアルバイトもおこなっており、当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「高校生の頃から店を手伝い始めたんですけど、お客が注文する前に 「この人は絶対にホットコーヒーを頼むな」とか、予想するのが好きでした(笑)。」

 

清水さんが高校1年生のときに矢野顕子さんや松任谷由実さん、桃井かおりさんがテレビに出てきたそうで、その頃に清水さんの基本が形成されたとインタビューで明かしています。

 

当時は自宅に帰ると一人で自分の部屋に引きこもり、松井さんになりきって「時間表合わせなきゃ〜、宿題やらなきゃ〜」と言っていました。

 

また高校時代にはシンガーソングライターが好きで、松任谷由実さんや矢野顕子さんの歌詞をよくノートにそのままコピーをしていました。

 

ピアノでもコピーをしており、こういったことにも夢中だったと振り返っています。

 

【主な卒業生】

冨田佳輔(俳優)

 

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清水ミチコの学歴~出身中学校(高山市立松倉中学校)の詳細

 

出身中学校:岐阜県 高山市立松倉中学校 偏差値なし

 

 

 

清水ミチコさんの出身中学校は、地元岐阜県高山市内の公立校の松倉中学校です。

 

中学時代は放送部と卓球部に在籍をしていました。

 

清水さんは卓球が下手だったことから、大会の時にはマネージャーを頼まれていました。

 

中学1年生の時には1学年年上の男子から生徒会長に立候補をしたいため、応援演説をおこなってほしいと頼まれています。

 

この応援演説で全校生徒の笑いが取れことで、「これだ!」と思ったことを明かしています。

 

清水ミチコの学歴~出身小学校(高山市立南小学校)の詳細

 

出身小学校:岐阜県 高山市立南小学校

 

 

 

清水ミチコさんの出身小学校は、地元高山市内の公立校の南小学校です。

 

家族構成は両親と11歳年下の弟の4人家族です。

 

 

弟とは非常に仲が良く、家業は弟が後を継いでいます。

 

家族はジャズ喫茶の上で住んでいたことから、物心ついた時には聴こえてくるのはモダンジャズだったといいます。

 

幼稚園の頃から独学でピアノの練習をしています。

 

清水さんは子どもの頃はおとなしい性格で勉強にはさほど興味がなかったとのことです。

 

小学校時代はトランペットクラブに入っており、生き物係も担当していました。

 

また清水さんは小学校の頃の国語の授業で、朗読をする際に感情を入れて読むことが得意でクラスメイトからも好評だったそうです。

 

加えて小学校時代からモノマネをして、周囲を笑わせています。

 

ちなみに清水さんがモノマネをしはじめたきっかけは「よっちゃん」という同級生を笑わせるためだったといます。

 

以上が清水ミチコさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

20代でモノマネタレントとしてブレイクすると、以降は歌手や女優としても活動を開始しています。

現在でも数多くのバラエティー番組に出演しています。

 

 

末永い活躍を期待したいです。

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1983年にラジオ番組「クニ河内のラジオギャグシャッフル」の構成作家兼出演者となりデビュー。 

1986年からライブをおこなうようになり、翌年の新人発掘番組冗談画報」でテレビ初出演を果たす。 

女性芸能人のモノマネで注目され、1987年の「笑っていいとも!」の出演をきっかけにブレイクする。 

1988年のドラマ「まんがで読む枕草子」で女優デビュー。 

その後も「夢で逢えたら」「浅草橋ヤング洋品店」、「テレビ探偵団」などの人気バラエティー番組に数多く出演。 

その傍らで女優業もおこなっており、これまで「ハートに火をつけ!」や「ちゅらさん」、「はぐれ刑事純情派」などの人気作に出演している。 

私生活では1987年にディレクターの坂田幸臣と結婚し、翌年に長女を出産している。

 

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