タレントで料理研究家の平野レミさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は平野さんは進学校に通学しており、東京大学への受験も検討していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
平野レミ(ひらの れみ)
1947年3月21日生
身長非公表
血液型はO型
東京都台東区出身のタレント、料理愛好家、シャンソン歌手
本名は和田レミ(旧姓平野)
以下では平野レミさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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平野レミの学歴まとめ
出身専門学校:文化学院
出身高校:都立上野高校(中退)
出身中学校:渋谷区立上原中学校
出身小学校:渋谷区立西原小学校
平野レミの学歴~出身小学校(渋谷区立西原小学校)の詳細
出身小学校:東京都 渋谷区立西原小学校
平野レミさんの出身小学校は、地元渋谷区内の公立校の渋谷区立西原小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親の祖父がスコットランドの貴族出身で実業家として億万長者だったことから、裕福な家庭に育っていますが、平野さんが生まれる前にはすでに亡くなっています。
父親は詩人でフランス文学者の平野威馬雄さんで、父方の祖父はアメリカ人の日本美術研究家のヘンリー・パイク・ブイさんです。
そのため平野さんは日本人とイギリス人のクオーターにあたります。
平野さんの父親は自由な人で平野さんが泥棒をしても怒らずに「泥棒しても構わないけども、見つかったら泥棒になるんだから」と話すだけだったといいます。
この時代には珍しく放任主義で育てられています。
また子供の頃から料理が大好きだったと話しており、当時のことについて次のように振り返っています。
「母が料理上手で、いつも手伝っていたの。私がどんなにひっちらかしても、デタラメ料理やったって、母は絶対『ダメ』って言わなかったんですよね。『あらあら、今日も散らかしたわね、レミちゃん』みたいな感じで、包丁持っても何をしても黙ってくれていた。あれはよかったと思うの。」
記事引用:kodomoe
また平野さんはスカートは履くことはなく、男子としか遊ばない子供でした。
このことについては次のように話しています。
「女はねちょねちょして大嫌いだったんです。自分のことを『タータン』と呼んでたんだけど、あの頃、私は男だったと思う。」
記事引用:kodomoe
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平野レミの学歴~出身中学校(渋谷区立上原中学校)の詳細
出身中学校:東京都 渋谷区立上原中学校 偏差値なし
平野レミさんの出身中学校は、地元東京都渋谷区内の公立校・渋谷区立上原中学校です。
中学・高校を通じて部活動などはおこなわなかったようです。
また平野さんは意外にも中学時代の学校の成績は下位だったことをインタビューで明らかにしています。
ただし高校受験の時期に成績優秀だった兄に教わりながら猛勉強を開始すると、前記の進学校に合格しています。
【主な卒業生】
伍代夏子(歌手)
杉咲花(女優)
田野優花(元AKB48)
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平野レミの学歴~出身高校(都立上野高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 上野高校(中退) 偏差値60(やや難関・現在)
平野レミさんが入学したのは、都立の共学校の上野高校です。
この高校は1924年開校の都立高校です。
同校は現在でも都立の進学校として知られていますが、平野さんが在籍時代のほうがレベルが高く、東京大学にも毎年合格者を出していたほどです。
平野さんはこの高校に一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
また高校に入学当初は東京大学への進学も考えていました。
平野さんは親せきがみんなこの高校の出身だったことから、「なんとなく私も上の高校に入らなくちゃ」思いこの高校に進学しています。
両親からは「勉強しろ」とは一度も言われたことが一度もなかったため、高校受験の時は自分で勉強を頑張って合格しています。
しかし中学の校長先生は父親に「まぐれですね」と言ったそうです。
平野さんは高校に入学後は制服に下駄で登校をしており、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「朝礼でいつも『下駄履いてるもん、出てこい』って呼ばれて、女子は下駄履いてくの私だけだったみたい。靴は踵がギュウッと押しつぶされて、足が自由じゃないから大嫌いだったのね。」
記事引用:kodomoe
平野さんは高校1年生の時には真面目に勉強をしていましたが、2年生になると勉強が嫌になり途中からは宿題をしないまま学校に通うようになりました。
そんな時に英語の授業で先生から本文を訳すように言われており、平野さんはカンニングペーパーを本当に訳しているかのように読みました。
しかし平野さんが読んでいたところは1ページずれていたことから、クラスメイトがくすくすと笑いだし先生にも指摘されたことで嫌になりました。
そして平野さんは「先生さようなら、みなさんさようなら」と言いそれっきり高校に行くことはなかったと言います。
ところが両親にはすぐに言えだせなかったため、学校に行かなくなって何日かはお弁当を持って公園や電車に乗って時間をつぶしていました。
しかし父親に話さなければいけないと思った平野さんは、父親の前で生まれて初めて正座をして学校を辞めたいと告げました。
意外にも父親はむしろ高校を辞めることに賛成しており、平野さんの好きなことをやれと言ってくれました。
このことに関して平野さんは本当にありがたかったと当時を振り返っています。
このような経緯もあり平野さんは高校2年生の時に中退しています。
【主な卒業生】
荒木経惟(写真家)
小椋佳(ミュージシャン)
浅野温子(女優)
渡辺文雄(俳優)
田中瞳(アナウンサー)
平野さんは幼い頃からシャンソンが流れる家庭で育っていたことからシャンソンが好きで、高校を中退後は高等専修学校の文化学院(偏差値なし)に入学しています。
この学校は1921年開校で数々の有名人を輩出してきましたが、2018年に閉校しています。
平野さんはこの学校で声楽家の佐藤美子さんに発声練習からすべて習っていました。
この時のことについては次のように話しています。
「父の知り合いの声楽家の佐藤美子さんに、発声練習から全部習ったの。最初、先生に言われたことは、『絶対プロになっちゃいけませんよ。お金はとても汚らわしいものだから』って。でも、先生、私から月謝をとってたのよね(笑)。」
記事引用:kodomoe
なお当時の文化学院は高卒の資格を取得できなかったことから、平野さんは大学などには進学していません。
その後は佐藤先生のところで数年間シャンソンを習っていましたが、バンドで歌ってみたいと思い「日航ミュージックサロン」のオーディションを受けて合格しています。
以降はシャンソン歌手として活動を開始して、23歳だった1970年に「魅惑のバイヨン」でレコードデビューを飾っています。
また当時からタレント活動もおこなっており、TBSラジオのミュージックキャラバンでは当時は同局のアナウンサーだった久米宏さんと共演しています。
25歳の時に平野さんのファンだったイラストレーターの男性と、出会ってわずか1週間という「スピード婚」で結婚しています。
その後は育児などに専念しますが、30代後半で料理愛好家として活動を開始すると明るいキャラクターで人気となっています。
そのため以降は「きょうの料理」など、数々のテレビ番組に起用されています。
タレント活動の傍らで、調理器具メーカーと共同開発したフライパン「レミパン」が150万個を超すヒット商品となっています。
加えて義理の娘である女優の上野樹里さんや料理研究家の和田明日香さんとともにたびたびメディアに出演しています。
ちなみに和田さんは料理がまったくできませんでしたが、平野さんに教わって料理研究家になっています。
以上が平野レミさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
シャンソン歌手としてデビューしましたが、後に料理研究家やタレントとして成功を修めました。
既に70歳を超えていますが未だに精力的に活動をしており、末永い活躍を期待したいところです。
和田明日香の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|料理ができなかった!
上野樹里の学歴|出身高校中学校や大学の偏差値|最愛の実母を亡くしていた
経歴
当初はシャンソン歌手として活動し、1970年に「魅惑のバイヨン」で歌手デビュー。
またTBSラジオの「ミュージック・キャラバン」で、久米宏とともにパーソナリティを務めて好評を博す。
1972年にイラストレーターの和田誠と結婚をして、一時は主婦業に専念。
1980年代後半から料理愛好家として活動を再開して、数多くの書籍を出版。
タレント活動もしており、「きょうの料理」や「あさイチ」、「ごごナマ」などのテレビ番組出演している。
長男の妻が女優の上野樹里で、次男の妻がタレントの和田明日香。
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