黒柳徹子の学歴と経歴|出身大学高校(東洋音楽学校・香蘭女学校)や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

タレントの黒柳徹子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「徹子の部屋」などの出演でお馴染みの黒柳さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)

 

 

193389日生

身長163

血液型はA型

 

東京都出身のタレント、女優

本名同じ

 

以下では黒柳徹子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

黒柳徹子の学歴まとめ

 

出身大学:東洋音楽学校

出身高校:香蘭女学校

出身中学校:香蘭女学校

出身小学校:トモエ学園

 

黒柳徹子の学歴~出身小学校(トモエ学園)の詳細

 

出身小学校:東京都 トモエ学園

※現在は閉校

 

黒柳徹子さんの出身小学校は、私立の共学校のトモエ学園です。

 

この小学校は東京の自由が丘にあった幼稚園を併設してた小学校で、1978年に閉校しています。

 

女優の池内淳子さんや津島恵子さんもこの小学校の出身者です。

 

また黒柳さんが在籍した当時は廃車となった電車を教室として使用していました。

 

 

家族構成は両親と妹、弟の5人家族です。

 

父親は音楽科でバイオリニストの黒柳守綱さん、母親は声楽科の黒柳朝さんという音楽一家に育っています。

 

また弟は幼い時に亡くなっています。

 

子供の頃は習い事としてピアノをやっていました。

 

黒柳さんはお嬢様育ちでしたが幼少期はやりたい放題で、尋常小学校をわずか3か月で退学になるほどでした。

 

 

しかしその後に転入したトモエ学園は自由な校風で、黒柳さんの個性的な面も肯定的に捉えてくれたそうです。

 

はじめてこの学校に行って校長先生が「何か話してごらん」と言ったところ、黒柳さんは延々と4時間も話したそうですが、校長先生は黙って聞いてくれたほどです。

 

小学校時代に黒柳さんが「女スパイ」になりたいと言ったところ、同級生に「おしゃべりな子はなれないんだよ」と諭されたエピソードも残っています。

 

ベストセラーである「窓ぎわのトットちゃん」にもこのあたりのエピソードが描かれています。

 

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黒柳徹子の学歴~出身中学校・高校(香蘭女学校)の詳細

 

出身高校:東京都 香蘭女学校

※現在の香蘭女学校高等科(偏差値54

 

 

黒柳徹子さんの出身校は、私立の女子高の香蘭女学校です。

 

同校は1888年創設のミッションスクールで、品川区の旗の台にあり当時はかなりの「お嬢様学校」として知られていました。

 

そのため当時のこの学校には富裕者層の子女たちが多く在籍しています。

 

当時は旧制の高等女学校だったことから5年制で、現在の中学校・高校にあたります。

 

黒柳さんがこの女学校に入学したのは1946年でちょうど終戦後の混乱期でした。

 

戦時中は青森県に疎開しています。

 

 

ジャーナリストでタレントとしても活躍した兼高かおるさんはこの女学校の先輩にあたり、黒柳さんが在校中に同校を訪れたさいには、「在校生はキャーキャー言いながらお迎えをしたくらいの大スターでした」とインタビューで話しています。

 

【香蘭女学校高等科の主な卒業生】

大塚寧々(女優)

片桐はいり(女優)

 

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黒柳徹子の学歴~出身大学(東洋音楽学校)の詳細

 

出身大学:東洋音楽学校 声楽科

※現在は東京音楽大学音楽学部声楽科(偏差値41

 

 

黒柳徹子さんは高校卒業後は、東洋音楽学校に進学します。

 

この学校は現在の東京音楽大学の前身校です。

 

当時はオペラ歌手志望だったことからこの学校に進学しています。

 

しかし歌詞が覚えられずオペラ歌手にはなれないために、音楽学校の卒業時に方向を転換。

 

音楽学校出身ということで音楽評論家になろうともしていますが、ベートーヴェンの「悲愴」と「未完成交響曲」の区別がつかなかったことから、こちらも諦めています。

 

自分の子供に人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになるために、NHK放送劇団に入団します。

 

 

ただしこの際のオーディションには合格者13名のところ、応募者は6000名を超えていました。

 

黒柳さんは第一次試験の演技テスト、第二次の筆記、第三次のパントマイム、第四次の歌、そして最後の面接まで、様々なハプニングを乗り越えて徹子さんは見事クリアしたことをインタビューで明らかにしています。

 

当初は女優としてデビューしましたが、かなり過酷なスケジュールだったことを明らかにしています。

 

「私、NHKの専属でしたので、1週間で7、8本のドラマに出て、ラジオも3、4本出てっていう、すごい時代でしたから。5年ぐらい働いたときに、過労になって入院したんですよね。全部、生でしたから、どのディレクターも下りないでくれって言ったんですけど、お医者様が「死んじゃうよ」とおっしゃったんで、それでまあ病院に入ったんです。1ヵ月の入院でした」

記事引用:PHPオンライン

 

 

その後は会話術に長けていたため子供番組やバラエティー番組などにも起用されます。

 

27歳だった1961年4月から司会として出演したバラエティ番組「夢であいましょう」が好評で、以降は司会の仕事も増えていきます。

 

 

そのため週あたり67本のレギュラーを抱える人気タレントになります。

 

 

また1976年に「徹子の部屋」がスタートすると、役を演じながら司会をやると見る人が混乱を招く」との考えから、女優業を控えることになります。

 

 

以降はタレントや司会者としての活動が中心となりますが、その後の活躍は周知の通りです。

 

以上が黒柳徹子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

タレントや司会者としては数々の人気番組を手掛け、タモリさんを売れっ子にしたことでも知られています。

 

 

また2016年には黒柳さんをモチーフにしたテレビドラマ「トットてれび」が放映されています。

 

 

既に80歳を超えていますが未だに第一線で活躍するばかりか、現役のユニセフ親善大使としても精力的に活動しています。

 

幅広い層に絶大な人気を誇っていますから、末永い活躍を期待したいところです。

 

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経歴/プロフィールの詳細

 

1958年にテレビ女優第一号としてNHKに入局し、NHK放送劇団に在籍。 

同年の映画「海は生きている」で女優デビュー。 

1959年の「夜の仲間」でテレビドラマ初出演。 

以降も「若い季節」や「繭子ひとり」、「元禄太平記」などのドラマに出演。 

1961年からバラエティー番組の「夢であいましょう」にレギュラー出演(19663月まで) 

1976年から「徹子の部屋」が放送開始。 

以降も「ザ・ベストテン」や「世界・ふしぎ発見」などの番組にレギュラー。 

1981年に著書「窓ぎわのトットちゃん」が350万部を超すベストセラーとなる(累計は800万部)。

NHK紅白歌合戦の司会を5回も務めたほか、ユニセフの親善大使としても活動している。

 

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