阿川佐和子の学歴と経歴|出身は慶応大学!高校や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

タレントの阿川佐和子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。女優やエッセイストとしても活動している阿川さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

阿川佐和子(あがわ さわこ)

 

 

1953111日生

身長150

血液型はO型

 

東京都出身のタレント、エッセイスト

本名同じ

 

以下では阿川佐和子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

阿川佐和子の学歴まとめ

 

出身大学:慶応義塾大学 文学部

出身高校:東洋英和女学院高等部

出身中学校:東洋英和女学院中等部

出身小学校:新宿区立四谷第六小学校

 

阿川佐和子の学歴~出身小学校(新宿区立四谷第六小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 新宿区立四谷第六小学校

 

 

 

阿川佐和子さんの出身小学校は、地元東京都新宿内の公立校の新宿区立四谷第六小学校です。

 

家族構成は両親と兄2人、弟の6人家族です。

 

 

父親は小説家の阿川弘之さんです。 

 

父親はとにかく滅茶苦茶な人で周囲の人がひどい目に遭わされていたようで、怒って食卓をひっくり返すこともありました。

 

そんな父親の影響で子供の頃からよく古典落語を聞いていたそうです。

 

また子供の頃は厳格な父親が原因で内気でおとなしい性格だったそうで、1日でも早く家を出たかったことから将来の夢はお嫁さんでした。

 

2歳の時に両親がアメリカに留学したため親戚の家に1年間預けられています。

 

阿川さんは小学4年生の時にこの小学校に転入をしており、当時のことについてインタビューで次のように話しています。

 

「『転校していく子はいい子、転校してくる子は悪い子というイメージがあるだから転校生がいじめられるのは仕方がない』。これは、コラムニストのえのきどいちろうさんの言葉です。実は私も、新宿区の区立小学校に転校した小学4年生のとき、同じような立場になり、苦しみました。そんなとき、心の支えになったのが担任の近藤福次郎先生でした。」

 

当時阿川さんは身長が低いことがコンプレックスでしたが、それを日記に書くと先生は「イタリアという国ではちっちゃな子がものすごくモテるらしい。だから君は卒業したらイタリアへ行け。」などと言ってくれたそうです。

 

阿川さんは子供の頃から勉強が得意だったため、小学生時代の成績はオール5で優秀でした。

 

阿川佐和子の学歴~出身中学校(東洋英和女学院中等部)の詳細

 

出身中学校:東京都 東洋英和女学院中等部 偏差値67(当時・難関)

 

 

 

阿川佐和子さんの出身中学校は、私立の女子校の東洋英和女学院中等部です。

 

この中学校は出身高校に併設している系列校なので、高校には内部進学で進んでいます。

 

中学時代も卓球部に在籍をしていました。

 

阿川さんはこの中学校を受験する際には家庭教師をつけて学習塾にも通って合格をしています。

 

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阿川佐和子の学歴~出身高校(東洋英和女学院高等部)の詳細

 

出身高校:東京都 東洋英和女学院高等部 偏差値67(当時・難関)

 

 

 

阿川佐和子さんの出身高校は、私立の女子高の東洋英和女学院高等部です。

 

同校は1884年創立のキリスト教系の女子高で、古くから「お嬢様学校」として知られています。

 

なお現在の同校の偏差値は61程度ですが、阿川さんが在籍した当時のほうがレベルが上でした。

 

阿川さんは高校時代は卓球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

小学生の頃まではおとなしく人と話すことが得意ではなかったそうですが、中学・高校時代に転機が訪れたそうで同校で人と話すことの楽しさを知ったようです。

 

【主な卒業生】

武内絵美(アナウンサー)

野崎萌香(女優)

 

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阿川佐和子の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細

 

出身大学:慶応義塾大学 文学部 偏差値65(難関)

 

 

 

阿川佐和子さんは高校卒業後は、名門私大の慶応義塾大学に進学しています。

 

大学では文学部に在籍して西洋史学を専攻しています。

 

なお現在の同大の文学部の偏差値は65程度ですが、阿川さんの時代は文系では経済学部に次ぐ看板学部でした。

 

(大学時代)

 

大学時代はテニスサークルに所属していました。

 

学生時代には好きだった人にフラれたそうで、インタビューでは次のように話しています。

 

「親元での暮らしをしていた学生時代、好きだった人に振られ、〝人生おしまい。もう立ち直れない〞と見るからに落ち込んだ感じで家に帰ると、弟たちはバタバタと走り回り、父はどこかで怒鳴っている。忙しく動き回る母が私をちらりと見て言った一言が、『元気ないわね。ちょっとあれ片づけといてくれる』。その時、〝これじゃ悩んでいる暇なんてないな〞と。おかげで失恋の痛手も薄らぎました(笑)。」

 

また阿川さんは大学時代に試験を理由に父親との晩酌を断ったことがきっかけで裸足のまま人生で初めて家出をしたそうです。

 

電車を乗り継いで友人の家に向かっていたそうですが、「佐和子、いますぐ帰ってこい! 帰ってこないなら野垂れ死ね!一刻も早くそのお宅を出ろ!」と父親から電話がかかってきたため自宅に帰るとその後数日間は無視をされていたようです。

 

なお大学卒業後は数年で結婚するつもりだったことから就職はしておらず、織物作家を志して様々なアルバイトをしながら和服織物教室に通っていました。

 

28歳だった1981年に、情報番組「朝のホットライン」のリポーターに起用されると人気を博しています。

 

 

以降も多くの番組のキャスターやアシスタントに起用されています。

 

 

 

他にもエッセイストやラジオのパーソナリティなど、多方面でマルチに活動しています。 

 

以上が阿川佐和子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

情報番組のリポーターとしてデビューしていますが、その後はMCや女優、エッセイストなどかなりマルチな活動を展開しています。

 

 

未だに高人気を誇るだけに、末永い活躍を期待したいところです。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1981年の「朝のホットライン」のリポーターでデビュー。 

1983年の「海にかける虹」でテレビドラマ初出演。 

1989年から「筑紫哲也NEWS23」のサブキャスターを務める(1991年まで)。 

1998年から「ビートたけしのTVタックル」の進行を担当して知名度が上昇。

1999年に檀ふみとの共著の「ああ言えばこう食う」で講談社エッセイ賞を受賞。 

以降も「無意味良品」や「スタ☆メン」、「大人の時間」などの番組に出演。 

20175月に元大学教授の男性と結婚した。

 

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