尾崎豊の学歴|出身高校は青山学院高等部!大学や中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

弱冠26歳でこの世を去った伝説のアーティストの尾崎豊さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。尾崎さんはどのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

尾崎豊(おざき ゆたか)

 

 

1965年11月29日-1992年4月25日

身長178㎝

血液型はB型

 

東京都世田谷区出身の歌手

本名同じ

 

以下では尾崎豊さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

尾崎豊の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:青山学院高等部(中退)

出身中学校:練馬区立練馬東中学校

出身小学校:練馬区立田柄第二小学校→朝霞市立朝霞第一小学校

 

尾崎豊の学歴〜出身小学の詳細

 

出身小学校:埼玉県 朝霞市立朝霞第一小学校

※入学は練馬区立田柄第二小学校

 

 

尾崎豊さんの出身小学校は、朝霞市内の公立校の朝霞第一小学校です。

 

家族構成は両親と兄のあにの4人家族です。

 

 

父親は陸上自衛官でした。

 

当初は練馬区立田柄第二小学校に通っていましたが、埼玉県朝霞市に新居を構えたことにより5年生の2学期に朝霞市立朝霞第一小学校に転校しました。

 

しかし転校先の小学校に馴染めませんでした。

 

尾崎さんは朝登校するフリをして家を出た後、1時間ほど経った頃には家に戻るという、登校しない日が何日もありました。

 

6年生になってからも、半年間は登校拒否を続けていました。

 

登校拒否を続けている間、兄が買っただけで使っていなかったクラシック・ギターに触れたのをきっかけに、尾崎さんは音楽に興味を持ちはじめました。

 

井上陽水さん、さだまさしさん、イルカさんの曲を、ギターを弾きながら毎日歌っていました。

 

特に井上陽水さんの描く歌詞の世界観に心惹かれていたようです。

 

後記の通り中学校は練馬区内の学校に越境入学していますが、中学時代はちゃんと学校に登校していました。

 

 

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尾崎豊の学歴〜出身中学校の詳細

 

出身中学校:東京都 練馬区立練馬東中学校 偏差値なし

 

 

尾崎豊さんの出身中学校は、練馬区内の公立校の練馬東中学校です。

 

当時住んでいたのは埼玉県朝霞市でしたが、尾崎さん本人の希望により、練馬区立練馬東中学校に越境入学しました。

 

練馬区には朝霞市に引っ越すまで住んでいた地で、小学校時代の友達もこの中学校に進学していたからです。

 

 

中学1年生の時は、バレーボール元日本代表で女子日本代表の監督を務める中田久美さんと同級生でした。

 

尾崎さんは成績は優秀で、生徒会副会長も努めたことがあります。

 

ところがご親友のお話によると、「真面目に授業を受けていた印象は無い。成績が良いから聞いてはいたんだろうけど。あいつに教科書を貸すと、みんな落書きされて帰ってくるんです」とのことでした。

 

尾崎さんは中学時代から喫煙しており、よく校舎裏でタバコを吸っていました。

 

見つかって停学になったこともあります。

 

 

中学時代の印象的な出来事があります。

 

学校での頭髪検査の際、尾崎さんの友人が髪を短くして検査に臨んだものの、髪を切られてしまいました。

 

それを聞いた尾崎さんは激怒し、家出の計画立てるまでに至ったそうです。

 

この時に感じた大人への不信感は、後にデビュー曲となる「15の夜」のモチーフになりました。

 

つまりあの名曲「15の夜」は、ほぼ尾崎さんの実体験なのです。

 

 

なお尾崎さんは中学校時代にエレキギターをはじめており、曲も作っていました。

 

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尾崎豊の学歴〜出身高校・大学の詳細

 

出身高校:東京都 青山学院高等部(中退) 偏差値71(現在・超難関)

 

 

尾崎豊さんの出身高校は、私立の共学校の青山学院高等部です。

 

この高校は青山学院大学の系列校で、原則として卒業生は青山学院大学に進学できることから現在はかなり偏差値が上昇しています。

 

しかし尾崎さんがこの高校に進学した1980年代前半は青山学院大学のレベル自体が現在よりも高くなかったことから(文学部英文学科以外は概ね偏差値50代後半)、この高校もさほどの難関校ではありませんでした(偏差値も60前後)。

 

 

尾崎さんは高校受験時は、青山学院高等部とともに陸上自衛隊少年工科学校を受け、どちらも見事に合格しました。

 

しかし陸上自衛隊少年工科学校では髪の毛を短くしなければならないという決まりがあり、それが嫌だった尾崎さんは青山学院高等部を選択しました。

 

ちなみに少年工科学科を受験したのは、自衛官だった父親の影響です。

 

なお高校在学中は2学年下に政治家の蓮舫さんが在籍していました。

 

尾崎さんは中学時代から音楽活動をしていましたが、高校時代に音楽仲間だったのが俳優の高橋克典さんでした。

 

(高橋克典・高校時代)

 

高橋さんはこの高校の1年後輩でしたが尾崎さんとは気が合って、当時から仲良しでした。

 

また高橋さんはある日尾崎さんから、作った曲を聴いてほしいと頼まれたエピソードをインタビューで話しています。

 

その曲と言うのがデビュー曲となる「15の夜」で、聴いた途端鳥肌が立つほどのセンスを感じたと述べています。

 

ただし当時の高橋さんは自身も音楽活動をしていたことからその才能に嫉妬してしまい、素っ気ない態度をとったと述べています。

 

加えて尾崎さんは部活動では剣道部に所属していました。

 

剣道では初段の腕前です。

 

なお尾崎さんは当時から音楽活動をしていたことから、剣道の試合で日本武道館に行った際、「将来はここでコンサートをやるぞ」と武道館の椅子に落書きをしたそうです。

 

またピアノが欲しいと思った尾崎さんは、高校時代はアルバイトに明け暮れる日々を送りました。

 

朝は新聞配達、夜は飲食店での皿洗いと頑張った結果、本当にピアノを購入することができました。

 

そして高校2年生だった1982年には音楽で生計を立てていくことを決意しています。

 

そんな尾崎さんですが、喫煙やオートバイの事故などで、度々停学処分を受けていました。

 

そして高校3年生の時、大きな事件が起きます。

 

渋谷で同級生たちと飲酒し、その同級生の一人が一気飲みをしたことで急性アルコール中毒となり病院に搬送されてしまいます。

 

さらにその日、尾崎さんたちは大学生のグループと大乱闘、パトカーも出動する大騒ぎになってしまいました。

 

このことで尾崎さんはついに無期限停学処分となりました。

 

しかしこの停学期間がきっかけで、尾崎さんはオーディションを受けることにし、ビクターとCBSソニーのオーディションに応募しました。

 

結果、CBSソニーのオーディションに合格。

 

 

高校3年生だった1983年12月にファーストシングル「15の夜」、アルバム「十七歳の地図」でデビューすることとなりました。

 

 

その後停学処分が解除されましたが、出席日数が足りず留年が決まってしまいました。

 

これを受け尾崎さんは高校を自主退学(中退)して音楽の道へ進んでいます。

 

【主な卒業生】

三田友梨佳(アナウンサー)

寺島しのぶ(女優)

蓮舫(政治家)

和泉元彌(狂言師)

 

すると1985年1月にリリースした「卒業」が過激な歌詞が話題になって、オリコン20位のスマッシュヒットとなっています。

 

 

さらに「DRIVING ALL NIGHT」や「核」といった楽曲がヒットして、高校生や大学生のカリスマになっています。

 

以降もヒット曲を連発して1980年代を代表するようなアーティストになりますが、1992年4月2日に26歳の若さでこの世を去っています。

 

 

しかし死後に「この世の果て」がミリオンセラーになるなど、以降も高い人気を誇っています。

 

以上が尾崎豊さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

現在ではもはや伝説になっており、世代を超えて数多くのアーティストに多大な影響を及ぼしています。

 

 

またたびたびその人生や生き様を紹介する特別番組が制作されています。

 

既に亡くなってから30年近く経っていますが、現在でもその楽曲は語り継がれています。

 

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