成宮寛貴(なりみや ひろき)
1982年9月14日生
身長172㎝
東京都出身の元俳優
本名は平宮(なりみや)博重
以下では成宮寛貴さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
経歴・プロフィールの詳細
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2000年に平宮博重名義で宮本亜門の舞台で俳優デビュー。
2001年に「金田一少年の事件簿」でドラマデビュー、
「溺れる魚」で映画デビュー。
2002年に出演したドラマ「ごくせん」の演技で注目される。
2005年女性誌「anan」でオールヌードを披露。
その後は大河ドラマ「功名が辻」や「イノセントラブ」、
「アンフェア」などの話題のドラマや映画に多数出演。
2010年「ヤンキー君とメガネちゃん」で地上波の連続ドラマで
初の単独主演。
2012年に人気ドラマ「相棒」の3代目相棒に起用され、
当初の予定よりも1年長く2015年まで出演した。
2016年12月に俳優を引退。
学歴~出身中学校・高校の詳細
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出身高校:進学せず
成宮寛貴さんは港区立三田中学卒業後は進学せずに、アルバイトなどで生計を立てます。
母子家庭で育ちましたが14歳の時に母親が他界し、6歳下の弟とともに祖母の家に預けられます。
そして弟を進学させるために引っ越しのアルバイトや新宿2丁目で働いて、生活費や弟の学費を作りました。
また仕事の傍ら毎日、弟の弁当を作るなど、非常に弟思いだったことで知られています。
本に曰く「弟は世界で一番大切な存在」とも語っています。
その甲斐あって弟は高校を無事に卒業できたばかりか、難関で知られる東京理科大学に入学を果たしています。
引っ越し会社でアルバイトしていた際は、非常にまじめな態度で勤務先の先輩からも可愛がられましたが、弟を養って高校に進学させるためにはもっとお金が必要になったことから、会社を辞めて新宿2丁目のバーで働きはじめます。
そしてそのバーの常連だった女優のかたせ梨乃さんから声がかかり、
芸能界入りを果たします。
努力を重ねて宮本亜門さんの舞台「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」
のオーディションに合格し、役者としてデビューをします。
その後の活躍は周知の通りで演技派俳優としての地位も確立しました。
このように想像を絶するほどの苦労を重ね、たゆまぬ努力をしてきた
成宮さんが俳優を引退してしまったのは相応の事情はあったのでしょうが
残念です。
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