風吹ジュンの学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と壮絶な生い立ち

 

女優の風吹ジュンさんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。演技派女優として数々の作品に出演してきた風吹さんですが、実は生い立ちが壮絶で、学生時代からかなりの苦労を重ねていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

風吹ジュン(ふぶき じゅん)

 

 

1952512日生

身長157

血液型はB型

 

富山県八尾町(現在の富山市)出身の女優、歌手

本名は堀川麗子(ほりかわ れいこ・旧姓)

 

以下では風吹ジュンさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

風吹ジュンの学歴まとめ

 

出身高校:進学せず

出身中学校:高岡市立志貴野中学校→高岡市立高陵中学校→京都市立花岡中学校

出身小学校:高岡市立二上小学校

 

風吹ジュンの学歴~出身小学校(高岡市立二上小学校)の詳細

 

出身小学校:富山県 高岡市立二上小学校

※現在は高岡市立万葉小学校

 

 

 

風吹ジュンさんの出身小学校は、高岡市内の公立校の二上(にかみ)小学校です。

 

この小学校は1979年に高岡市立守山小学校と統合されて、現在は高岡市立万葉小学校になっています。

 

家族構成は両親と3歳年上の兄の4人家族です。

 

父親は京都大学卒の高校教師で、幼少期は裕福な家庭に育っています。

 

小学校低学年の時には、読売少年少女合唱隊にも入隊していました。

 

ところが風吹さんが物心ついた頃には両親の関係は冷え切っていました。

 

さらに小学校5年生の時に父親が愛人を作って、両親は離婚。

 

以降は兄とともに母親に引き取られて母子家庭に育ちます。

 

すると生活は一変して、経済的に困窮します。

 

そのため風吹さんも紙コップ作りや子供服の刺繍などの内職の手伝いをはじめています。

 

その一方で母親は父親への憎しみを風吹さんにぶつけて、毎日のように愚痴や悪口を聞かされていたそうです。

 

そのため風吹さんは人の悪口を言わないようになったとインタビューで述べています。

 

なお小学校時代は他の女子生徒よりも10センチほど背が高かったことから、大人っぽく見られていたそうです。

 

風吹ジュンの学歴~出身中学校(志貴野中学校・高陵中学校・花山中学校)の詳細

 

出身中学校:富山県 高岡市立志貴野中学校 偏差値なし

※後に転校

 

 

 

風吹ジュンさんが入学したのは、高岡市内の公立校の志貴野(しきの)中学校です。

 

ただしこの中学校に通学したのは中学校1年生の時のみです。

 

中学時代は母親と兄とともに高岡市に住んでいました。

 

中学時代のあだ名は「レオ」でした。

 

また前記のように当時は家計を助けるためにアルバイトをしており、中学時代は帰宅部で部活動などはおこなっていませんでした。

 

詳細な事情は不明ですが、中学2年生からは同じ高岡市内の公立校の高岡市立高陵中学校(偏差値なし)に転校しています。

 

 

 

母親はスナックを経営していましたが、風吹さんが中学2年生の時に経営が行き詰っています。

 

すると母親から「あなたたちの面倒は見られない」と言われて、母親は育児放棄をします。

 

そのため兄とともに母親の親戚を頼って、中学3年生の時に京都市に移住しています。

 

その際には京都市立花山中学校(偏差値なし)に転校しています。

 

 

 

京都時代の生活は貧しかったことから、風吹さんも内職などのアルバイトをして家計を助けていました。

 

夏休みには縫製工場でアルバイト工員として勤務しています。

 

 

その他にも当時は家事もおこなっていました。

 

このような生活をしていても高校には進学するつもりだったので、担任の教師の家に仮住まいして受験勉強に励んだこともありました。

 

しかし後記のように母親に高校進学を拒否されたため、高校には進学しませんでした。

 

【京都市立花山中学校の主な卒業生】

段田安則(俳優)

 

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 風吹ジュンの学歴~出身高校・大学の詳細

 

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出身高校:進学せず

 

風吹ジュンさんは中学校卒業後は、高校へ進学していません。

 

ただし進学しなかった理由については諸説あります。

 

かつてのWikipediaには京都市立日吉ヶ丘高校美術科を受験して一次試験を突破しましたが、二次試験の当日に母親の再婚を知らされて受験を放棄したと記載されていました。

 

しかし現在ではその記載は削除されています。

 

さらにこの記載に代わって現在のWikipediaには、高校進学を母親に拒否されて家出したと記載されています。

 

いずれにしても風吹さんは高校には進学していないようです。

 

もちろん大学などにも進学していません。

 

ちなみに現在の京都市立日吉ヶ丘高校の普通科の偏差値は50程度ですが、美術科は1980年に京都市立銅駝美術工芸高校(偏差値は51)として独立したので閉科になっています。

 

風吹さんは以降は京都市内でレストランなどで住み込みで3年間働いています。

 

ただし当時は荒れた生活をしており、京都市内のゴーゴークラブでは有名な存在で、不良仲間ともつるんでいました。

 

そして18歳で上京して高級クラブ「徳大寺」に勤務しています。

 

19歳だった1971年にクラブで勤務中にスカウトされて、芸能界入り。

 

 

1973年に初代ユニチカのマスコットガールに抜擢されて注目を集めています。

 

 

1974年にはアイドル歌手としてデビュー。

 

 

その際には年齢を3歳サバ読んでいました。

 

しかし直後に「京都市立日吉ヶ丘高校卒」という肩書や実年齢がウソであることがバレたり、ホステスとして勤務していたことが暴露されてるなどのスキャンダルに巻き込まれて、アイドル歌手としては成功しませんでした。

 

それでも風吹さんは女優としてヌードを辞さない体当たりの演技で評価を上昇させています。

 

 

特に1979年に松田優作さんと共演した映画「蘇る金狼」は当たり役になりました。

 

 

そして上記のスキャンダルを乗り越えて人気女優となり、以降は数々のテレビドラマや映画に起用されています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が風吹ジュンさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

ここまででわかるように生い立ちが壮絶でかなりの苦労人です。

 

また芸能界デビュー後もスキャンダルに巻き込まれるなど、決して道のりは平たんではありませんでした。

 

それでも持ち前のガッツで乗り越えて、人気女優の地位を築いています。

 

 

これまで多くのテレビドラマや映画に出演しており、未だに第一線で活躍しています。

 

安定感抜群の演技力には定評がありますから、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1971年に高級クラブ勤務中にスカウトされて芸能界入り。 

1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれて注目される。

同年のドラマ「ママはライバル」の端役で女優デビュー。 

1974年に1stシングル「愛がはじまる時」でアイドル歌手デビュー(歌手としての活動は1975年まで)。 

「寺内貫太郎一家2」や「前略おふくろ様」などのドラマの出演で知名度が上昇。 

1977年の「白熱デッドヒート」で映画初出演。

1979年に松田優作の相手役を演じた映画「蘇る金狼」の体当たりの演技が話題に。

以降は女優業が中心となり、テレビドラマの代表作は「はみだし刑事情熱系」や「風林火山」、「あさが来た」など。 

1981年に音楽プロデューサーと結婚して一男一女をもうけるも、1992年に離婚。

 

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