大仁田厚の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|お金持ちのボンボンだった

 

プロレスラーで政治家としても活躍した大仁田厚さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は意外にも大仁田さんはお金持ちのボンボンでした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

大仁田厚(おおにた あつし)

 

 

1957年10月25日生

身長181㎝、体重77㎏

血液型はA型

 

長崎県長崎市出身のタレント、プロレスラー、元政治家

本名同じ

 

以下では大仁田厚さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

大仁田厚の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:明治大学 政治経済学部経済学科Ⅱ部 偏差値48(やや容易)

※現在はⅡ部は廃止

 

 

 

大仁田厚さんの出身大学は、明治大学です。

 

在籍したのは政治経済学部経済学科Ⅱ部(夜間部)ですが、Ⅱ部は2004年に募集停止となって現在は廃部になっています。

 

なお大仁田さんは一般受験ではなく、社会人特別入試で進学しています。

 

42歳だった2000年4月に明海大学経済学部に進学しましたが、1年間で退学。

 

2001年4月に明治大学に入学しています。

 

この年の7月に参議院議員選挙に自由民主党から出馬して当選しています。

 

 

そのため以降は政治家やタレント、プロレスラーとして活動していますが、大学は4年間でキッチリと卒業しています。

 

大仁田さんは当初は6年間で卒業することを目標にしていましたが、頑張ったようです。

 

大仁田厚の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:長崎県 瓊浦高校(中退) 偏差値39(かなり容易)

 

 

 

大仁田厚さんが入学したのは、私立の共学校の瓊浦(けいほ)高校です。

 

この高校は1925年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

また同校は以下の3つの学科を設置していますが、大仁田さんがどの学科に在籍したかは不明です。

 

機械科:偏差値39

情報ビジネス:偏差値39

普通科:偏差値39

 

大仁田さんは高校に進学したものの、わずか3日で中退しています。

 

その直後に地元の長崎県長崎市から徒歩で日本一周をすることを決意して、さっそく歩きはじめています。

 

当時は1日およそ60㎞も歩いています。

 

ところが神戸市まで歩いたところで長崎の実家が火事になったことから、日本一周を中止して実家に戻っています。

 

長崎に戻ると父親の知り合いのプロモーターからプロレスラーになることを勧められていますが、当時の大仁田さんは海外に行きたかったことやジャイアント馬場さんに憧れたことからこれを快諾して全日本プロレス入りしています。

 

 

16歳だった1974年4月にプロレスラーとしてデビューしますが、ケガのため1984年に引退しています。

 

 

しかし1988年にFMWを設立して現役復帰すると、有刺鉄線や電流爆破のデスマッチで大ブレイクを果たしています。

 

 

そして大仁田さんは41歳だった1999年4月に、駿台学園高校定時制課程(偏差値なし)の3年次に編入しています。

 

 

ただし前記のように以前の高校を3日で中退したにも関わらず、3年次に編入した理由は不明です。

 

当時の大仁田さんはプロレスラーやタレントとして活動していましたが、1年間キッチリと高校に通学して卒業しています。

 

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大仁田厚の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:長崎県 長崎市立桜馬場中学校 偏差値なし

 

 

 

大仁田厚さんの出身中学校は、長崎市内の公立校の桜馬場中学校です。

 

中学時代は野球部に在籍しています。

 

当時野球漫画の「巨人の星」が流行っていたので、大仁田さんも大リーグボール養成ギプスを自分で制作しています。

 

また鉄下駄を履いて足腰を鍛えていました。

 

中学時代は継母と折り合いが悪かったことから、新聞配達をして生活費を稼いでいます。

 

当時は朝3時に新聞店に行って新聞配達後に、学校に登校するという生活をしていました。

 

新聞配達は3年間続けていますが、親から小遣いをもらえなかったことからすべて食費や学費に消えています。

 

ちなみに母親からは食事も作ってもらえなかったことから、学校の弁当なども含めてすべて自分で作っていました。

 

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大仁田厚の学歴~出身小学校の詳細・お金持ちのボンボンだった

 

出身小学校:長崎県 長崎市立磨屋小学校

※現在は閉校

 

 

大仁田厚さんの出身小学校は、長崎市内の公立校の磨屋(とぎや)小学校です。

 

この小学校は1997年に統合されて現在は閉校になっています。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

父親は複数の洋品店を経営していた実業家で、幼少期はかなり裕福な家に育っています。

 

家の敷地は約1900坪で、門から屋敷まで10分もかかったそうです。

 

また7人もお手伝いさんを雇っていました。

 

ところが大仁田さんが小学校2年生の時に、父親が小豆相場で失敗して莫大な借金を背負って会社はすべて倒産しています。

 

そのため小学校3年生の時に両親が離婚して、母親に引き取られています。

 

ところが小学校高学年の時に父親が現れて、大仁田姓を残すために大仁田さんを引き取って東京で暮らすことになります。

 

そのため港区立東町小学校に転校しています。

 

 

当時の父親は破産をしたものの祖父から資金を融通してもらい実業家として再起していたので、大仁田さんは東京で再び裕福な暮らしをしています。

 

またその頃に父親は再婚していますが、新しい母親とは折り合いがよくありませんでした。

 

さらに父親は今度はギャンブルに熱中して、またもやすべてを失ってしまいます。

 

そのため小学校時代に再び長崎に戻っています。

 

ちなみに小学校時代の大仁田さんは非常におとなしく、少年合唱団に在籍していました。

 

また意外にも当時はスポーツが苦手でした。

 

以上が大仁田厚の学歴とエピソードのまとめです。

 

バブル期にプロレスラーとしてブレイクして、全盛期はかなりの人気を誇っています。

 

またその後に政治家に転身して、国会議員を務めたほどです。

 

プロレスラーとしては何度も引退をしていますが、2018年に7度目の現役復帰を発表しています。

 

 

既に年齢は60代に突入していますが、根強い人気を誇る人物だけに末永い活躍を期待したいところです。

 

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