蝶野正洋の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|お坊ちゃんの不良だった

 

プロレスラーの蝶野正洋さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は蝶野さんはお坊ちゃん育ちでしたが、それでいてかなりの不良でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

蝶野正洋(ちょうの まさひろ)

 

 

1963年9月17日生

身長186㎝、体重108㎏

血液型はO型

 

アメリカ・シアトル出身(東京都育ち)のプロレスラー

本名同じ

 

以下では蝶野正洋さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

蝶野正洋の学歴~出身小学校の詳細

 

 

出身小学校:東京都 三鷹市立北野小学校

※入学は渋谷区立猿楽小学校

 

 

 

蝶野正洋さんの出身小学校は、三鷹市内の公立校の北野小学校です。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。

 

父親は山陽国策パルプのサラリーマンで、比較的裕福な家庭に育っています。

 

また父親が海外勤務が多かったことから、アメリカのシアトルで生まれています。

 

蝶野さんは2歳の時に帰国して、以降は東京の渋谷区に住んでいます。

 

父親が教育熱心だったことから、小学校4年生の頃から進学塾に通っています。

 

そのため蝶野さんは小学校時代の成績は良かったそうです。

 

小学校時代も番長で、他校との児童とケンカにたびたび出馬したそうです。

 

当時から非常に面倒見がよく、イジメなどはおこなっていません。

 

小学校6年生の時に三鷹市に転居しています。

 

なお蝶野さんは私立中学校の中学受験をしていますが不合格になったことから、公立の中学校に進学しています。

 

蝶野正洋の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:東京都 三鷹市立第六中学校 偏差値なし

※入学は三鷹市立第五中学校

 

 

 

蝶野正洋さんの出身中学校は、地元三鷹市内の公立校の第六中学校です。

 

入学したのは三鷹市立第五中学校でしたが、中学2年生の時にこの中学校が開校したことからこちらの学校に移って卒業しています。

 

中学時代は自らサッカー部を設立して、キャプテンを務めています。

 

その一方で「三鷹に蝶野あり」と呼ばれるほどの有名な不良でした。

 

当時の蝶野さんは頭はアイロンパーマに剃りこみを入れて、ボンタンを履いていました。

 

中学時代もケンカに明け暮れており、ほとんど負けたことはなかったそうです。

 

ケンカの相手に内臓破裂の大ケガを負わせてしまったこともありました。

 

【主な卒業生】

小平智(プロゴルファー)

 

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蝶野正洋の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:東京都 永山高校 偏差値44(容易)

 

 

 

蝶野正洋さんの出身高校は、都立の共学校の永山高校です。

 

この高校は1972年開校の都立校で、吹奏楽部が都内では強豪として知られています。

 

実は蝶野さんはサッカーの強豪校に推薦入学で進学する予定でしたが、筆記試験に失敗してこの高校に進学しています。

 

 

この高校でもサッカー部に在籍して、キャプテンを務めていました。

 

後述するように蝶野さんは中学時代から不良でしたが、高校時代も荒れていました。

 

高校時代にはケンカで4度の停学処分を受けています。

 

さらに暴走族にも入っており、特攻服姿でバイクを乗り回していました。

 

ところが家では非常にいい子だったことから、両親は蝶野さんが不良であることや暴走族に所属していることにはまったく気づきませんでした。

 

このあたりについては、次のようにインタビューで話しています。

 

「ある日、親父に“何だその格好は? 日の丸もつけて”と聞かれて、“清掃作業の手伝いに行くんだよ”という俺の嘘を信じてくれたのは、親父は当時の不良の服なんて知らないし、うちの正洋が悪いことをするわけがないと思っていたんだろうな」

 

また高校卒業後は親に大学に行けと言われて素直に従い浪人生活を送るようになりますが、勉強にはまったく身が入らなかったそうです。

 

【主な卒業生】

大塚智子(声優)

 

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蝶野正洋の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:神奈川大学(中退) 偏差値40~50(学部不明のため)

 

 

 

蝶野正洋さんは高校卒業後は、神奈川大学に進学します。

 

現役での合格ではなく、2年間の浪人生活を経ての進学です。

 

また在籍した学部などの詳細は不明です。

 

ただし蝶野さんは大学の入学式に出席したのみで、大学にはほとんど通学せずに中退しています。

 

というのも浪人中に親に「大学でアメフト部に入る」と偽ってトレーニングマシーンを買ってもらい、密かにプロレスラーを目指していたからです。

 

プロレスラーを目指したのは浪人中にプロレス中継で見たアントニオ猪木さんに憧れたからです。

 

そして大学受験とともに新日本プロレスのテストも受けており、合格通知が同時に来たのです。

 

本人は大学に行かずにプロレスラーを目指そうとしましたが、その際には両親の猛反対に遭っています。

 

そのあたりの経緯については蝶野さんは、次のようにインタビューで話しています。

 

「親父は“厳しい世界だから、お前はすぐに逃げ出す”とすごい剣幕で怒るし、お袋は“許しません!”と泣き出すし。俺は不良とはケンカをしたが、普段、親や先生に対し反抗的な態度はとらない主義だ。だからこそ、親父の言葉に交渉の余地があると考えたんだ。“その厳しい世界でこそ自分の力を試したい。 1年だけ、半年でもいいから、チャンスをください。レスラーとして芽が出ないなら大学へ行くから”と頭を下げたんだ」

 

そのため大学に籍を置いたまま、20歳だった1984年4月に新日本プロレスに入門しています。

 

 

同期には後にライバルとして激闘を繰り広げることになる武藤敬司さんと橋本真也さんがいました。

 

蝶野さんはアントニオ猪木さんの付け人をしながらトレーニングに励み、この年の10月にプロレスラーとしてデビューを飾っています。

 

そのために時期は不明ですが、大学は中退しています。

 

1987年の「ヤングライオン杯」で橋本真也さんを破りプロレスラーとして頭角を現すと、1989年には初の世界タッグ王座を獲得しています。

 

 

以降はプロレス界のスーパースターのひとりに成長を遂げています。

 

 

またバラエティ番組などにも多く出演しているため、幅広い層に親しまれています。

 

以上が蝶野正洋さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

プロレスラーとしては武藤敬司さんや橋本真也さんらとともに一時代を築いてきました。

 

 

また見た目とはギャップのあるキャラクターで、バラエティ番組などでも親しまれています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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