中邑真輔(なかむら しんすけ)
1980年2月24日生
身長188㎝、体重104㎏
血液型はA型
京都市峰山町(現在は京丹後市)出身のプロレスラー
以下では中邑真輔の出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
学歴~出身大学
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出身大学:青山学院大学 経営学部 偏差値58(当時・中の上)
中邑真輔さんは高校卒業後は、青山学院大学に進学しています。
在籍した経営学部は現在は偏差値63程度ですが、中邑さんが在籍した当時は現在ほどレベルが高くありませんでした。
また大学へは一般受験での入学ではなく、レスリングのスポーツ推薦での進学です。
高校時代にインターハイの表彰台に立ったことで、中央大学や日本体育大学、早稲田大学などのレスリングの名門大学から声がかかったことを中邑さんはインタビューで明らかにしています。
中でも日本体育大学は特待生での勧誘でしたが、母親に「つぶしが利かない」と言われたことから断っています。
また青山学院大学を選んだことに関しては次のように話しています。
「まず中央はレスリングのパンツがダサかったんですよ。なんか黄色のアウトラインで、紺色で真ん中に「C」って書いてあって。あとレスリング部はイジメが多いという話も小耳に挟んだし。早稲田に関しては当時はレスリング部が弱かったんですね。で、青学は校舎が渋谷にあると。そこで「ステキ」と思って」
意外にもイメージ重視で進学先の大学を選んだようです。
ちなみに青山大学出身のプロレスラーは後にも先にも中邑さんだけです。
そして大学の最初の授業の日に父親を亡くすという悲劇に見舞われています。
大学ではレスリング部に所属しており、主力選手として活躍しています。
またレスリング部では主将を務め、それと並行して総合格闘技団体の和術慧舟會にも所属して練習をおこなっています。
加えて中邑さんは大学では美術部にも在籍していました。
「レスリングをやっているのでアルバイトする時間もあまりないので遊ぶお金もないし、授業の空きがあればずっと美術部の部室にいましたね」
絵画の腕前は相当で、後に画家として個展を開いたこともあります。
加えてその他にもファッションショーを主催するサークルにも在籍しており、大学時代は「マジ忙しかった」と語っています。
大学卒業後には新日本プロレスに所属して、プロレスラーとしてのキャリアをスタートさせています。
2003年12月にはわずか1年3か月のキャリアながら、天山広吉さんを破ってIWGPヘビー級のタイトルを獲得するなど頭角を現しています。
以降は人気と実力を兼ね備えたレスラーとして、数々の名勝負を繰り広げています。
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学歴~出身高校
出身高校:京都府 峰山高校普通科 偏差値48(やや容易)
中邑真輔さんの出身高校は、県立の共学校の峰山高校です。
この高校は1914年開校の伝統校で、プロ野球のヤクルトスワローズなどで監督を務めた野村克也さんの出身校としても知られています。
中邑さんは中学校時代にプロレスラーになることを決意していますが、レスリングをはじめたの高校時代からです。
この高校のレスリング部に在籍して、高校時代も主力選手として活躍しています。
高校3年生のインターハイでは3位になっており、グレコローマンでも全国大会で2位となっています。
ただし高校時代は全国大会の表彰台に立ったものの、優勝はしていません。
当初は高校卒業とともにプロレス入りを志望していましたが、高校での実績が不足していると考えて断念しています。
「やっぱりプロレス界には五輪出場選手とか全日本チャンピオンがいて、実際にそういう人たちとスパーをすると虫ケラ扱いだし、こんな実績じゃクソの役にも立たないと思ってましたから」
そのため高校卒業後は実績作りのためにも、青山学院大学に進学しています。
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学歴~出身中学校
出身中学校:京都府 峰山町立峰山中学校 偏差値なし
※現在は京丹後市立峰山中学校
中邑真輔さんの出身中学校は、地元峰山町の公立校の峰山中学校です。
中学校時代はバスケットボール部に在籍しており、長身を活かして主力選手として活躍して、チームもブロック大会で優勝するほどでした。
また幼少期からプロレスの大ファンだったことから、中学校卒業後にプロレス入りを希望していますが、周囲に高校を出てからでも遅くないと諭されたために、アドバイスに従って高校に進学しています。
なお前記の通り中邑さんは大学時代に父親を亡くしていますが、お父さんは中邑さんが中学校2年生の時に血液の病気を患って余命2年の宣告を受けていたことをインタビューで述べています。
学歴~出身小学校
出身小学校:京都府 峰山町立峰山小学校
※現在は京丹後市立峰山小学校
中邑真輔さんの出身小学校は、地元峰山町内の公立校の峰山小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族のようです。
中邑さんは子供の頃から絵を描くのが大好きで、いつも広告の裏などに絵を描いている少年でした。
小学校の頃に空手を習っていましたが、すぐにやめています。
また小学校時代に観たプロレスに魅了されて、プロレスラーを夢見ています。
以上が中邑真輔さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
プロレスラーとしては国内でも有数の実力者として知られ、2016年からはアメリカに渡ってWWEに参戦しています。
そして2018年には日本人としては初となるWWEの王者になるという偉業を成し遂げています。
プロレスラーとしては円熟期を迎えていますので、今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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